「みつこさんの右手」を書きながら、最後まで書けなかった話があります。できれば、つづきを書きたいのですが、とりあえず要約のメモをここに置きます。「まいちゃんのお母さん」にかかってきた一本の電話の話です。
《電話の向こうの人生 ~「障害」を心に閉じこめて~》
(まいちゃんのお母さんに電話をかけてきたのは、28歳の女性。)
ちょっと見たぶんには他人に気づかれることがないものの、指の数は四本であり、片方の手は部分的に癒着していたらしい。幼いころに手術を受けて切り離してあるから、機能的にもとくに困るということはない…。
「幼稚園時代は、入院・手術のくり返しで、病院生活の思い出しか残っていません」と彼女は小さく笑った。
「生後六ヶ月のときにケガをして、こういう手になった」というのが、彼女が父や母から聞かされていた自分の手への説明であった…。
「だから、もとどおりきれいに治そうね」
手術を小学校入学まえに終えていた彼女の家では、手の話はいつのまにかタブーのようになっていました。「私が元気に明るくしていれば、親は喜ぶので、親を悲しませるような話はできませんでした」
…自分の手は赤ちゃんのときのケガなどではなく、もしかしたら生まれつきなのではないか…
「はっきり意識しだしたのは小学校四年生のころでした」
・・・・
「手のこともそうですけど、こんなに自分のことを人に話したことははじめてです……」
そういうととうとう彼女は泣き出してしまった。そして、涙でとぎれがちな声で、これからは自分の気持ちに正直に生きていきたい、とつぶやいた。
「28歳にもなって、じぶんでじぶんを認めようとしない、認められない、そんな生き方をしてきてしまったのです。ほんとうの私をいつもごまかして、否定して…」
彼女の孤独が伝わってくる。
(女性には、そのとき2歳半になる娘がいました。)
「…娘が大きくなって、話し相手になることができたら、私は娘に自分の手のことをきちんと話そうと思います…」
(つづく)
『魔法の手の子どもたち』野辺明子著 1993年
