ワニなつノート

自分を支える自分のこと(その6)

自分を支える自分のこと(その6)

《一人じゃない》


《一人でがんばらなくていいよ。「一人」で自立するんじゃない。
あなたが自分の人生でひとりじゃないと心から腑に落ちたら、そのときには一人でも自立して生活することは、そんなに難しいことじゃない。
だから、一人でがんばらなくていいから…。》

入院中にそんなメモを書きました。
あれから、「一人じゃないとどうしたら思えるか」、「本当に思えるか」と考えてきました。

そんなとき、男性の高い自殺率と、低い女性の自殺率の話を思い出していました。
1997年の男性の自殺率は26.6%、女性12.4%。
1998年は、男性37.2%、女性15.3%。
2003年、男性40.1%、女性14.5%。

この数字は、ここで何度も引用している「寄る辺なさ」について書かれた『家族という意思』に書かれています。
そのなかで、春日キスヨさんの「女性に比べ男性の方が孤独にうちひしがれやすい」という言葉を紹介しています。

           ◇


《そうして生きてきた女性のほうは、物理的にはひとりで住んでいても、たえず、自分のイメージのなかにある他者とのつながりのなかで生きようとする。

……ひとりで暮らしていても、イメージの世界ではひとりっきりにはならない(なれない)女性。

それに対して、ほんとうにひとりぼっちになってしまう男性。

ひとり暮らし男性とひとり暮らし女性のそうした違いは、日常生活レベルでの人間関係維持の在り方でも異なってくる。》
(『家族の条件』 春日キスヨ 岩波書店)


「自分のイメージのなかにある他者とのつながりのなかで生きようとする」という箇所を説明するのに、都市で共働き生活をしている女性が遠く離れた田舎でひとり暮らしする老母について次のように語るのを紹介している。


《田舎でひとり暮らしの母は年老いて、足も弱り、不自由な暮らし。
それでも私のことが心配みたい。

心配しなければならないのは私のほうなのに、電話でもすれば、
「寒いなかで、あの子はつらいだろう。もう若くはないのに、忙しく仕事に明け暮れているのだろうかと思い暮らしている」なんて言ってくる。

思いをかけられるほうが迷惑なこともあるんだけど、ありがたいことだと思います。

父親には、そんな思いのかけらもなかった。自分の過去の栄光に執着し、年々、喪失感だけを深めていってみたい。》
(『家族の条件』 春日キスヨ 岩波書店)


        


この母親は、自分を「支える自分」の隣りにいつも娘がいることを確かに感じながら、一緒に暮らしているのだと思いました。
現実に、遠くで一人で暮らしているのだから、自分の面倒を見、自分を支えるのは、自分しかいないわけで、でもその「支える自分」のそばにはいつも娘がいる。
だから、一人暮らしでも孤独にはならない。さびしくても、さびしいけれど、よるべなさに押し潰されてしまうことにはならない…。


私は?
抗がん剤を打って一週間はとにかく落ちます。
痛みもしびれも吐き気も意識も、とにかく落ちていきます。
先日の夜、一人で食事をして、薬をのみ込んだあと、ふと泣きそうになって自分に驚きました。
薬をのめばのむほど具合が悪くなっていくようにしか身体は感じられず、自分は何をしているんだろうと思いました。

自分一人のことなら、病気で死ぬならそれはそれで仕方ないという思いがあります。
私は今まで、自分より年上の人よりも、圧倒的に多くの子どもたちをみおくってきました。
とくに小学校1年生の子の二人のお別れの日の光景は思い出す度に鮮明です。
それに、私はかなりわがままに自分の好きなように生きてこれたと思っています。
出会ってきた人たちも極上で、私がこの世で会いたい人にはすべてめぐり会えたような思いもあります。

だから、もし一人暮らしだったら、絶対にもう薬を止めるだろうと思います。
次の点滴の日にはもう病院には行かなくてもいいんじゃないかと思うのです。
抗がん剤をうっていても、転移するときにはするんだからと。

ただ、いま薬をやめることが、娘を一人にすることになるとしたら、やめるわけにはいかない。薬が効こうが効くまいが、そんなことはどうでもいい。
娘に一人じゃないと伝えるには、自分が一人じゃないという気持ちを本当に感じていると伝えられるかどうかだと思ったりもします。

そんなとき、自分を「支える自分」をはっきり自覚します。
薬に弱音を吐く「自分」を、「支える自分」。そいつは、一人ではぜんぜん支える力がないのです。
やはり、一人じゃないと感じる自分だけが、自分を「支える自分」になれるようです。


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明日は、ホームの四女の引っ越しの日です。
ホームで一緒に暮らしたのは半年ほど。

一人じゃないよという思いを、どれだけ伝えることができたのか。
いつか赤ちゃんを抱いている彼女に聞いてみたいから、そのためにももう少し生きたいとおもったりします。
そんなときも、ふと気づきます。
「一人じゃない」という思いを、私の方がもらっているのだと。

携帯には、先日彼女が送ってくれたメールが保存してあります。
『長生きしてね。』
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