ワニなつノート

自分を支える自分のこと(その5)

自分を支える自分のこと(その5)

《映画》

先日、『最高の人生の見つけ方』を見ました。
タイトルはいまいちですが、ジャック・ニコルソン、モーガン・フリーマンは好きだし、何よりいま見るのが旬かなと思いました。

原題は「棺おけリスト(The Bucket List)」というらしいです。
余命6ヶ月を宣告された二人の男が、死ぬ前にやっておきたいことのリストを書き、旅に出るというストーリー。ジャックニコルソンが大富豪なので、金に糸目をつけずに何でもできるという設定です。

もし自分が癌になってなかったら、あまり心に残らない映画だったと思います。
でも、今の私には、とても役立ちました。

それは、映画のリストの中身は、すでに私の人生にあるものだと素直に思えたからです。
これなら、自分の人生は、思い残すことのないいい人生だったじゃん、と思えました。


           


《ここにいる》

それでも、私のなかで、残り時間を考えてしまうことと、娘を一人にできない…という思いは続きました。
10月の半ば、娘が友人と京都に出かけました。
その夜、久しぶりに家で一人過ごしているときに、ふと気づいたのです。
「娘を一人にできない…」と未来のことばかり考えているけれど、いま、娘がいてくれることで助けられているのは自分の方だと。
娘がいてくれるから、自分は一人じゃないのだと。

その「一人じゃない」という思いこそが、癌であっても変わらずに生きていく自分を、「支える自分」を、確かに支えてくれているのです。


いまここにいる。
いっしょにいる。
くらしている。
ここにいる。

そう思えたことで、自分がいまいる所の豊かさを取り戻した思いがしました。


子どもの相談を受けたりするときには、よくこんなふうに話していました。
「将来のこうあるべき姿から振り返って○○ができるようにしてあげようとするんじゃなくて、いま、ここに、目の前にいる子どもの声を、思いを、聞けるといいね」

それなのに、私は、病気が悪くなる将来から今を振り返って、「この子を一人にできない…」と思いづけていたのでした。
それは、目の前の子どもを見ないということでした。
いま、目の前にいる子どもを、ここにいっしょにいる今の豊かさが見えていないことでした。

ここにいまある希望を、未来の不安で見えなくなるなんて。

翌日、京都から帰ってきた娘のおみやげは、清水寺のお守りでした。
お守りには「健康御守」とありました。

自分を支える自分。
生き続けることで娘を見守り続けたいと願う自分を、「支える自分」。
それは病気が治ることが支えになるのではなく、いま娘がここにいることが支えになっているのでした。

いまここにいる。
いっしょにいる。
くらしている。
ここにいる。

そうして、「一人じゃない」を積み重ねる日常が、一人の自分を「支える自分」を確かなものにしていくのだと思います。


          


いまここにいる 希望。
いっしょにいる 豊かさ。
くらしている 当たり前の日常。
ここにいる 幸せ。

私がいつも就学相談会などで言い続けてきたことは、このことでした。

「分けられたいと思う子どもはいない」
「大人がどんなにがんばっても友だちの代わりはできない」
「理解は後からついてくる」

そうして、子ども時代に「一人じゃない」を積み重ねる日常こそが、
いつか自立するときの「一人の自分」を「支える自分」を確かなものにしてくれます。

私が「子どものために」と思ってきたこと、
それは結局、自分自身が何より必要としているものだったのだと思います。
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