ワニなつノート

この子がさびしくないように(その3)

この子がさびしくないように(その3)


①~④、どれも、無断転載(>_<)

私たちが、どうしても譲れないものは、
「この子がさびしくないように」なのだと思います。

「障害」のあることや、その困難が、
この子たちをさびしくさせるのではありません。

「障害があるから、手がかかるから」と、
子どもにさびしい思いをさせても、
痛みを感じない大人があまりに多すぎるのです。

どうして障害があることが、
子どもにさびしい思いをさせていい理由になるのだろう。

子どもをみんなの中から抜き出すこと。
一人だけ、プールに入れてあげないこと。

それがどれほど、子どもを孤独にさせているかを、
先生はまったくといっていいほど感じません。

「人手がないので、この子は見れません」と、
先生たちは本当にお気軽に、呑気に口にします。

その人たちが、障害のない子どもには
ちゃんと気持ちをわかってあげて、
みてあげることができるとは思えません。

障害のある子どもにさびしい思いをさせても平気な大人は、
他の子どもがさびしい思いをしていても
気がつくことはできなでしょう。

  □    □    □


《この子がさびしくないように ①》

【hiroさんのコメント~】

入園について教委に問い合わせた春、
9名の空きがありながら、
障害児の入園は介助が必要だが予算がない、
次年度でも約束はできないと言われました。

やっと入園が決まった事前の面談で、
介助員が休んだら欠席するよう求められました。

それはおかしいと言うと、
登園しても誰もオムツをかえませんよ、と。

4ヶ月後、休むよう求められることが現実となり、
今後はできないと園長や担任に訴えましたが
「どこにそんな手があるのか?」
「他の子の保育ができない」

教育長に、担任が休めば16人のクラスの保育を
教頭が代わるのに、なぜたった一人の子の介助を
代われないのか?と詰め寄ると、
「16人以上の手がかかるということでしょう」


年中になってから町も園も様々な変化があり、
やっと信頼できるようになったと感じた年度末、
主任を兼務する担任に感謝の気持ちを伝えました。

その雑談の中で、静かにしていなければならない場面
(読み聞かせや○○式など…)で、
あーあーと声を出してしまうことに触れ
(年少の頃から再三指摘されてきた)、
子ども達は全然気にする様子がなく、
その声があることも当たり前になっているようだとの
嬉しいお話がありました。

ところがその直後に、
「先日卒園式の予行練習があったのですが、
さすがにこの時は年長さんに失礼なので、
外に出てもらいました」と続きました。

まだ連れ出していたのかということと、
それを何の悪気もなく笑顔で話す担任に対して、
二重の驚きとショックで言葉を失いました。

そもそも正義・不正義以前の場所に、
娘は置かれているのだと思い知らされます。

当たり前の存在であることの無視。
『そんなことをして正しいのか?』と
微塵の疑問も持たれない存在、
これが差別なのだと何度も凍りつく瞬間でした。

でも引き下がれません、諦める訳にはいきません。
どうしようもない相手(個人)を糾弾することだけが、
真の目的でもありません。

声に出さず問題にしないことで、
空きがあるのに入れないこと、一人だけ休ませられること、
連れ出されること…が、そうした状況を
見聞きする人(子)たちの中に、
『それも仕方ない・障害あるし・○○だし…』
などの感覚を更に浸透させてていくことを、防ぎたい。

そうした感覚が差別を一層深く、
見えにくくしていくと思えてならないからです。



  □    □    □


《この子がさびしくないように ②》

【ありんこぞろぞろ・9月6日~】


…娘は足の怪我で水泳記録会までプールは見合わせていました。
今年はプールに一度も入ることなく終わってしまうのかな。と
プールが大好きな娘のことを思うと残念でなりませんでした。

けれど9月になってもプールは続行するということで
娘にチャンスが訪れました。
先週の木曜日。やっと娘のプールに入れそうな予感♪

娘に話すと娘も期待して「プール入る!!」といって
学校へ行く準備が早まりました。
親娘共々、ウキウキして学校へ行きました。

ところが、プールの時間(5~6時間目)に
担任はいないのだとか。
「楽しみにしているので 可能な限り入れてやってください」
とお願いして学校をあとにしました。

お昼を少しすぎた頃、学校から電話がありました。

…午後の時間、担任はいない。養護の先生もいない。
校長も司書事務員もおらず、今日は他の学年も人手が足りず
空いている先生がいないので、娘をみる職員がおらず
引取りに来てもらいたい。とのことでした。

頭の中では「おかしい。おかしい」と思っているのですが、
楽しみにしていたプールにも入れず、
ぽつんと一人でいる娘の姿を想像すると、
そのままお願いします。とも言えず了承してしまいました。

電話を切った後、涙が溢れだしました。

「どうして娘だけが…」そんな思いでいっぱいでした。
どうして強く拒否しなかったんだろうと、
後悔も押し寄せてきます。

約束の時間に保健室へ娘を引き取りに行くと
居ないと聞いていた校長もおり、
へらへらとしている姿を見て腹が立ちました。

ぶっきらぼうに娘を引き取り帰りました。

車に乗った途端、娘がランドセルから
ノートと鉛筆を取り出し勉強をし始めました。

そして懸命に私に見せるのです。

何か自分が不味いことをして学校にいられなくなったのでは?
と思ったのかもしれません。
私にはそんな風に見えました。

なので「あーちゃんは何も悪く無いんだよ。
悪いのはお母ちゃんと学校だよ。
お母ちゃん、もっと頑張らなくてごめんね。」と謝りました。

しばらくして、今度は娘が「○○くん(三男)は?」、
「○○くん(四男)は?」「○○ちゃん(長女)は?」、
「○○ちゃん(次女)は?」と聞いてきます。

私が「お兄ちゃんも、お姉ちゃんもみんな学校だよ。
お勉強してるよ」と答えると
「あーちゃんは?(学校)ない!なくなっちゃった。」
と言います。

この子は分かっているんだな。
胸が痛みます。

「あーちゃんは悪くないんだよ。ごめんね、ごめんね。」
ただただ謝るしかありませんでした。

(お母さん この次から頑張るからね…。)

それ以上娘は何も言いませんでした。

翌日、学校へ行くと3年生がプールに入っていました。
教室の時計を見るとあと25分くらい。

はじめ運動着に着替えてプールサイドに
連れて行こうかとも思いました。
けれど娘がプールバッグを指差し
「着替えてもいいの?」という顔をしました。

そう!娘が遠慮することは何もないはず、
水着に着替えさせて3年生のいるプールへ連れて行って、
プールサイドの先生にお願いして家へ戻りました。

あーちゃん、頑張れ!

迎えに行くと嬉しそうな娘の笑顔と
「プール入ったんだよ♪パシャパシャって!」の第一声。
クラスメイトも様子を教えてくれました。
残り僅かな時間だったけれど入れて満足そうでした。

ほんの少しだけ前日の罪滅ぼしが出来たように思いました。
本当の意味での罪滅ぼしは
まだまだこれからなんだと心に言い聞かせます。
前日私が感じた口惜しさや後悔を忘れません。


  □    □    □


《この子がさびしくないように ③》

【ミーナわーるど 9月 5日~】

『コミュニケーションに関する研修会』

名古屋でSMA家族の会主催のコミュニケーションに関する研修会がありました。
当初、パパだけで行ってくる予定でしたが、やっぱりママも行きた~い!と言う事で、家族みんなで行くことに。新幹線で日帰り名古屋です。

ミーナにはちょっとハードスケジュール。朝の排痰が欠かせないミーナは、早朝の4時30分に起こして、うつ伏せしてネブラザー(吸入)。

当然、起こしても寝ぼけてすぐに寝てしまうミーナ。そんなときにテレビで「おかあさんといっしょ」のコンサートを見せると、いっきにパッチリ目を覚ましてくれます。


10時半過ぎにようやく名古屋港に到着。会場では、普段メールやブログを通してしか知らなかった方々がたくさん。ミーナもお友達とパシャリ。

そしていつもとってもお世話になっているよっちゃんぱぱさんにも会うことができました。よっちゃんぱぱさん作成のタッチセンサー。ミーナの動きが弱い右手でも正確に反応していました。ミーナはしばらくおじゃる丸を楽しませていただきました。こんなセンサーを自分で作ってしまうよっちゃんぱぱさん、本当にスゴイ!!

みなさんにお会いできただけでも、とっても嬉しかったのですが、さらに今回は、コミュニケーションの研修会ということで、ミーナのように指先しか動かせない子どもが、どのようにコミュニケーションを確立していけばよいのかなど、参考になるお話(講演)をたくさん聞くことができました!

やっぱり基本は、いきなり「あいうえお」を覚えさせようとしても無理があり、遊びの中で覚えていくこと。どの子どももそうですよね。
でも、それが難しい…。

でもでも、今日は、他のご家族の方から、実際にどうしてるよ!なんてお話を聞けたり、明奈よりちょっとお姉ちゃんのお子さんが、あいうえおカードで上手に会話している姿を見ることができたりと、本当に参考になりました。

そして、今回もマイトピーを体験。
目で見るだけで、見ている対象が選択できるマイトビー。やっぱりすごいです。例えば、何種類かの動物がいて、ミーナが目でみた動物が選択されると、その動物の鳴き声を聞くことができます。

今、ミーナはどの動物に興味を持ったのかな?なんてことは、動物の絵を見せているだけでは、なかなか分かりません。でもマイトビーなら分かります。マイトビーを通じてミーナの気持ちがちょっと分かった気がします

問題はお値段…ものすご~く高いです。しかもOSにWindowsを使用しているため、パソコンの寿命は持って数年。それを考えると、とても手がでません。せめて、一度購入後は、パソコンの調子が悪くなってきたとき、普通にパソコンを一台買うくらいの感覚で新しくできればいいのに…。

楽しい時間はあっという間に終わってしまいました。今回、せっかくお会いしたのに、お話できなかったいた方もいて残念。もっと積極的に話しかければ良かった。

家に到着したのは21時半ごろ。お兄ちゃんとミーナ、お風呂に入ったあと、すぐに寝ちゃいました。でもいつもよりちょっと遅い時間。 明日も保育園楽しんでね~!



  □    □    □


《この子がさびしくないように ④》

【はるよこい~  花火大会】


夏休みも残すところあと一週間となった頃、
町内の子どもたちが近くの港に集まって、
持ち寄った家庭用花火を楽しむという花火大会がありました。
昨年も今年もメンバー変わらずの11人の子どもたちでした。

手持ち花火をシューと出すだけなのに
(「だけなのに」とは、なんと私はつまらん大人なのか…(泣))、
毎年子どもたちは大はしゃぎ。
集合時間のかなり前から港で走り回っています。

あたりがようやく暗くなった頃、緩く長い坂道を
haruは車椅子に乗って下って行きました。
坂道が終わったその先に港があります。

haruが到着すると、「haruくんだー」と言って
何人かが駆け寄ってきました。
「haruくん、花火出せるかなぁ?」と言う子もいれば、
いきなりharuをコチョコチョして、一緒に笑う子もいました。
haruも久しぶりにみんなと会えて嬉しいのか、
たくさん笑顔を見せていました。

花火大会が始まりました。しばらくして気が付くと、
haruは子どもたちに車椅子を押してもらって、
あっちこっちに移動していました。
いつも同じ子が側にいるのではなく、
いろんな子が代わる代わるharuと一緒にいました。

「haruくん、花火、きれいだね」
「haruくん、ほら花火だよ。こっちこっち」
「haruくん、すっごい見てるー!」
「めっちゃ真剣やん!」
「haruくん、汗かいてるねぇ」

暗闇の中、子どもたちが花火の
オレンジ色の光に照らされていました。
後ろには黒い海。
光のあるそこだけ、笑い声と共に、
子どもたちの姿が映し出されていました。
haruはみんなが見せてくれる花火をじいっと見つめていました。

私から離れて子どもたちの中にいるharuを見ながら、
私は昨年の花火大会を思い出していました。

昨年の花火大会、haruに話しかける子はいませんでした。
haruは私の膝の中で座って花火を見ていました。
子どもたちの楽しそうな声は遠くにあって、
haruがオレンジ色の光に照らされて、
暗闇の中に浮かび上がることはありませんでした。

昨年の夏は、haruは地域の学校ではなく、
養護学校に通っていました。

今年の4月から地域の学校に通っていますが、
昨年と今年のこの子どもたちの素直な変化は、
地域で過ごすということは
こういうことなんだと教えてくれているようでした。


夏休みはいろいろな思い出ができましたが、
この花火大会は特に印象的なものとなりました。
haruは寺津の一員になれたことを
実感できたのではないかと思います。
そして、子どもたちの仲間になって、
ここで生きていい安心を得たのではないかと思います。
地域で過ごすということは、
そういうことでもあるかなと思いました。
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