ワニなつノート

自分を受けとめる力 (その3)

自分を受けとめる力 (その3)

《自己肯定感を持てなかった大人》と《年老いていく自分を受けとめられない大人》



教育相談の場で、「専門家」が使う「自己肯定」とはどういう意味でしょう?

彼らは、普通学級は「みんなと同じことができないといけない場所」だと信じています。
みんなと同じことを、同じ速さで、同じようにできなければいけないと教えられ、信じてきたのでしょう。
そのなかで「できること」を誉められ、認められることで、「自信」をつけてきた人たちが「専門家」になります。

彼らのいう「自己肯定感」とは、「できる自分・肯定感」のことであって、「無条件の自己肯定感」ではありません。

少なくとも、「障害児が普通学級に行くと、自己肯定感が持てません」というときの、「自己肯定」はそういう意味で使われています。「障害」のために「できる自分」がないのだから、「肯定」されるはずがないと。

でも、本当に自己肯定感をもつ人は、幼い子どもの「できる・できない」で自己肯定感を計るような考えはしないと思うのです。

            ◇

子どもにとって、「よくがんばったね」「よくできたね」と誉められることは、うれしいことに違いありません。
自分ががんばったこと、一生懸命やったことを認めてくれる人に、子どもが好意をもつのは自然なことだと私も思います。

でも、その隣で「できない子」はどういう扱いを受けていたのでしょう。
自分の隣で、「できない子」が分けられていくとしたらどうでしょう。
今まで隣にいた子がいなくなる、という経験。
それを「オープン」に話す空気はこの社会にはなく、ただ子どもたちにも引越しや入院とは違うということは分かります。
いつのまにか違う「学級」、違う「学校」に変わっていく子ども。
「私たち」から「あの子たち」に変わっていく子ども。

その学級が「あの子たち」の幸せのための場所だと説明されても、言葉通りに受け取る子どもはいません。
それが「本当」なら、みんな、そこに行きたいと思うはずです。
自分のペースに合わせて、親切に丁寧に勉強を教えてもらえて、大事にしてもらえる、そんな教室なら「自分もそこに行きたい」と思うはずです。
でも、そんな子はいません。
少なくとも私は会ったことがありません。

          ◇

現実に、特別な学級に移って「救われた」という子どもがいるのは本当だと思います。
「普通学級と違って、ここはいい所だ」という子どもがいるのも本当でしょう。
私もそういう言葉を自分の耳で何度も聞いてきました。
「ここは安心できる」と言ってくれることがあります。
「はじめて、自分の言うことを聞いてくれる先生にあった」と言ってくれることもあります。

でも、そうした言葉は、「分けられた場」の正しさを表わしている訳ではありません。
それは、普通学級でいじめられ、先生にまともに相手にされたことがなく、孤立させられた子どもが、生まれて初めて「ここにいていいよ」と言ってもらえる場所と人に出会ったという表現であって、それ以上でも以下でもありません。
実際、私はその言葉を「情緒障害児学級」や「適応教室」でも耳にしましたが、それ以上に、「定時制高校」という場所でより多くのその言葉に出会ってきました。
彼らが言っていたのは、「できる・できない」で子どもを差別しないでほしい、「せいいっぱい生きているいま・の自分を認めてほしい」ということだったのだと思います。
それは、障害の有無ではなく、本来つまづいたり、失敗しながら成長する「子ども」という人のことばです。

          ◇

「できない」ことで居場所を奪われ、分けられる社会では、「できない」自分を受け入れることはできません。
必死で、「できる」を追いかけるしかありません。

でも、「できる自分」しか受け入れられないとしたら、それは「自己肯定」とは言いません。


その人自身、本当の自己肯定感を持っていないので、「できない子」がふつうに大事にされることや仲間として認められることがどういうことか、本当のところ、まったく知らないのです。

だから、老人介護・福祉の世界でも、同じようなことが行われてきました。
本当の自己肯定感を持たない人々が行うことは、どうしたって同じ形になります。
「私たち-あの人たち」と「分ける」ことで、「私たち-の肯定感」を保とうとするのです。

         ◇

【以前、ぼくが勤めていた特別養護老人ホームも例にもれない。
ぼけや障害のあるお年寄りが百名も暮らす場所だけに、生活上のもめごとは常だった。
「ぼけた人が部屋に入ってきて(私物を)勝手に触る。あの人をなんとかしてほしい」
こんなことは序の口だ。
解決策として一棟から五棟まであった各棟を障害別に分けて、同じような障害の人を集めていた。トラブルが起こりにくい、かつ介護もしやすいを目標に。

二棟は寝たきりやぼけた人が集められた。いわゆる、重症棟である。
一棟・三棟は準寝たきり。
四棟は一部介助の必要な人たち。
五棟は、自立している人たちといった具合に。

五棟の入居者で、病気や物忘れをきっかけに自立生活に支障が出ると、介護の必要度や障害の度合いに応じて、居室の移動が迫られる。
それぞれの棟を渡り歩きながら、最終的に最も介護の手の暑い二棟へとたどり着く。
そして、どのお年寄りたちも、徘徊や問題行動すら起こせぬ寝たきりとなるか、鍵付きの畳部屋で、困ったぼけ老人として暮らすことになる。

いつからか、四棟や五棟のお年寄りがこんなことを言うようになった。
「二棟に行ったらおしまいバイ」

ぼけた人を見つけては、「ここはアンタらの来るところジャーなかろうが」と排除するのだ。なぜこんなことになるのだろう。

比較的元気なお年寄りたちは、職員のぼけた人たちへの対応を見て、「ああは、なりたくない
(あんな扱いは受けたくない)と」おののいていたに違いない。
「私は、あの人たち(ぼけ)とは違う」というその主張が、排除へと変わる。

ハンセン病患者や精神病患者が、誤解や偏見により地域から追われたがごとく、ぼけ老人は特別養護老人ホームに暮らしの場を移し、その老人ホームの中で、鍵付きの部屋へと隔離される。
今も昔も変わらず繰り返される隔離の実態は、かたちを変えながら脈々と生き続ける。
特養という場が特殊なわけではなく、地域社会のありようが凝縮され露呈しているだけのことなのだ。


(『おしっこの放物線』村瀬孝生 雲母書房)

          ◇


子どもが、「できない」ことで悔しい思いをして泣くこともあるでしょう。
絵がうまく描けない、鉄棒ができない、泳げない、漢字が書けない…、そのことに「自信」をなくすこともあるでしょう。

でも、「自分でいる」ことが「できない」子どもはいません。
「子どもである」ことが「できない」子どもはいません。

そのことを認めてくれて、出会いを喜んでくれ、受けとめてくれる大人がいれば、
受けとめられた子ども同士、お互いを蔑むことや拒否することはありません。
お互いがお互いに大切にされる仲間だということが、子どもたちには分かるからです。
そうした受けとめられ体験を基にした自己受けとめの力と感性を、自己肯定感といいます。

みんなが当たり前にいる場所で、一人の子どものありのままの姿が肯定されること。
それが、すべての子どもの本当の「自己肯定感」の基本だと私は思います。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「自分を支える自分」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事