ワニなつノート

ホームN通信 2017.10



ホームN通信 2017.10




《あのとき》


あのとき、あの場所で、助けられなかった子がいる。
あのとき、聞けなかった声がある。離してしまった手がある。


今なら助けられるだろうか、と思うことがある。
どうしたら、助けることができたのか。何が助けることだったのか。

あのころ、「助ける」ばかりを考えていたと気づく。「助けられる」を考えなかった。
「助けられる」が何かを尋ねなかった。

あの子が助けてほしかったものは何だったか。

寄る辺なく、途方にくれる子どもの「助けられる」を尋ねずに、何を助けようとしたのだろう。




《二年後》


「あれから、いろんな大人に会ったんだよ。…わたし大人になったんだよ」
その言葉が生まれるまでに、どれほどの不安と寂しさと闘ってきたのだろう。


「人に謝れるようになったんだよ」
その言葉が生まれるまでに、どれほどの時間が必要だっただろう。


頼れる親も帰る家もない十代の壁にどれだけぶつかり、壊してきたのだろう。
縛りつける糸を自分ごと切ってきた痛みは、誰からも縛られない自分を確かめるためだった。
自分ごと切り刻んででも、大人の言いなりにはならないと、逆らうことは自分を確かめることだった。


私は彼女の声を聞くことができず、自分を守るのに精いっぱいだった。後悔してる。
彼女が逆らっていたもの。それは、彼女の子ども時代の人生を縛りつけたすべてであって、私ではなかった。そんなことすら気づいてあげられなかった。


「ずっと謝りたかったの」
謝るのは私の方だった。五十歳の大人が、守るべき子に「出ていけばいいんでしょ」と言わせたら、100%私が悪い。その言葉を言わせてはいけない。それが最低限の私の仕事であり、私のやりたいことだ。

援助や指導より助けたい。生きていてほしい。信頼できる人と出会って、つながって笑い合える大人になって、自分の人生を生きてほしい。

どうしたら生き辛さを抱えて自立できるのか、十代の子に道を示せない私にできることは、「ここにいていい」と思ってもらうこと。


「あんなによくしてもらったのに」
その子が十八になったときに、伝えてくれた言葉が私を支える。同じ間違いをしないために私は、いま目の前の子どもたちと向き合う。

十六の彼女がたった一人で探しあてた自分の主人公と、どんなに傷つけられても縛られてもなくなることのなかった優しさを、できることならここで見つけてほしい。外の世界で傷だらけになりながらでなく、腕を切りながらでいいから、ここにいてほしい。そのための費用は、必要経費だ。自分で稼ぐことが必要なのは、その先のことだ。


「二十歳までの短い時間だけど、ここにいる間は、あなたはあなたのままでいい」

「学校が続かないならそれでもいい、仕事が続かないならそれでもいい。だめならだめで、だめなままでいいから、せめてここにいるあいだは、ゆっくり眠ってほしい」

「安心して、自分の悩みや生きづらさと向き合っていてほしい。お金持ちじゃないけど、あなたが二十歳になるまで、食べていられるくらいなら大丈夫だから」

そう言えるようになりたい。できることなら、それを教えてくれた子たちにその言葉を伝え、もう一度やり直したい。


自分の運命と向き合う時間を経て、みんな立派に働いている。そして大切に子どもを育てている。

私たちの願いは、「働いて一人暮らしさせる」ことじゃない。彼ら、彼女らが、いつか我が子とめぐり合うとき、安心して子どもと笑いあえる「自分」を確かめる日々に寄り添うことだ。
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