「その島の人たちは、ひとの話をきかない」(その1)
「その島のひとたちは、ひとの話をきかない」という、わかりにくい?タイトルの本を読んだ。
「ひとの話をきかない」とは、悪口ではない。
ひとが困っていると感じたり、手をかしてあげなきゃと思ったら、その人の話を聞く前に、手を差し伸べて助けてしまう人たちのこと、らしい。
「老人ホームレス社会」の森川すいめいさんの新刊。
副題に「精神科医、自殺希少地域」を行く、とある。
日本の「自殺希少地域」5か所を旅したときの記録。
徳島県・海部町、青森県・風間浦村、平舘村、広島県・下蒲刈島、そして伊豆七島の神津島。
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「困っているひとがいたら、できることはするかな」
できないことだったら?
「ほかのひとに相談するかな」
「できることは助ける。できないことは相談する」
こうありさえできれば、困ったことがあったひとは孤立しないと感じた。
(P98)
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これって学校の先生が苦手なこと、だなと思った。
子どもたちに、「自分のことは自分でする」「ひとに迷惑をかけない」。
そう教えている先生は、「できないことを相談する」って苦手なんだろうなとおもう。
他にも印象的なことばがいくつもある。
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ここでも感じた老人の対話力の高さ。
老人たちはひとを助けることに慣れている。
私たち若いのは老人のこの力にまったく太刀打ちができない。
私たちは年長者に守られ生き、生かされている、そういうことがわかっていく。
(P109)
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この本の文脈とは別に、私のなかに瞬間的に浮かんできたのは、やはり子どもたちの姿だった。
最初に小3のまきちゃんが浮かび、4才児クラスの子どもたちが浮かび、次々と子どもたちの顏と言葉と場面が押し寄せてくる。
「障害児」の介助者や教師としてそこにいた私にとって、子どもたちの「対話力」の高さ、「手をかすこと、感情の流れをあわせること」への慣れ、
そうした力に、わたしはまったく太刀打ちができなかった。
私が28のとき、小3だったまきちゃん。
私はRiの介助者として教室にいた。
あるとき、彼女が授業中に何かをきっかけに大泣きしはじめた。
そして休み時間になると、周りの子に八つ当たりしはじめた。
明らかに関係ない子たちへの八つ当たりにみえて、私は彼女を叱った。
まきちゃんはそんなわたしをそっと押しのけて、Riの正面から抱きしめた。
瞬間、まきちゃんの顏や肩に頭突きをくらわそうとあがく。
まきちゃんはそのまま抱きしめている。
ふとRiの力が抜ける。
そして、泣き方が変わるのがわかった。
怒りながら泣いていたのが、悲しくて泣いているこえにかわった。
まきちゃんは泣いている赤ちゃんをあやすように、やさしく抱きしめている。
かなわないなと思った。
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ここでも感じた子どもの対話力の高さ。
子どもたちは子どもを助けることに慣れている。
私たち大人は、子どものこの力にまったく太刀打ちができない。
私たちは、子ども同士のつながりに守られ生き、生かされている、そういうことがわかっていく。
※ 「その島のひたとちは、ひとの話をきかない」
森川すいめい 青土社 2016.7
(つづく)