ワニなつノート

【関係の中で生きることを】


最近、自分の書きたいことが、言葉になりかけている気がする。

あとちょっと、もうちょっとで、何かに手が届く気がしている。

そんな気がしているとき、偶然、あとちょっとが本棚から落ちてきた。

純子さんの記事の切り抜き。1990年。娘が生まれた年。

娘が生まれてすぐに会いに来てくれた。娘の名前を言ったら、「私が真面目に生きてきた人生が崩れ落ちそうな名前ね」と失礼なことを言った。

純子さんがいなくなって何年たつのかを、知らない。誰にも聞かないようにしてきた。どこかにいるように、しておきたかった。向き合えないできた。

10年ぶりくらいに、純子さんの書いたものを読んだ。私が書こうとしているものが、そこにあった。


私はずっと純子さんと篤さんと、話を続けているみたいだ。


         □


【関係の中で生きることを】(その1)

―――中学校を卒業した朝子―――  岩生純子

《入れなかった都立篠崎高校の入学式》




何回か『記録』誌上で紹介させていただいた伊部朝子(15歳)です。

この春から、江戸川区の都立篠崎高校に通い始めました。入学試験は受けましたが、名前も書けないし、話もあまりしないので「不合格」でした。したがって、入学の「許可」は得ていないことになります。

しかし、朝子には朝子の必然性が、いま高校に行きたい心があります。


きょう4月10日は、東京の都立高校の入学式でした。入学式前から学校をながめに行っていた朝子は、入学式の前々日に、学校から「学期が始まったら校門から中へ入らないでください」と言われていました。じゅうぶんに予期してはいましたが、具体的通告はつらいものでした。

 でも、入学式にはやはり行こうと思っていました。友人のKさんもつき合ってくれて、朝子を連れて高校に向かいます。篠崎高校は家から歩いて3,40分の所にあります。朝は忙しいのでバスで行きます。朝子はバスの乗り降りや、目的地に行くことは、ひとりではできませんので、誰かが必ずついて行きます。発作で倒れることもあります。

 バスを降りると、H君のお母さんに会いました。H君も篠崎高校に入学したそうです。H君は試験に合格しました。朝子は試験に落ちました。H君のお母さんは「どうして来るの?」とは言いません。

「あそこらへんがゴソっと篠高よ」とH君のお母さん。
「だれ?」と私。
「M君でしょ、O君でしょ、あとね」
「女の子知ってる?」
「女の子はわからないわねえ・・・」

あそこらへんというのは、あんまり勉強もしないで、何とかやってきて、髪型ばっかり整えて「軽いノリ」で、それでもけっこう朝子とも関わりのあった男の子たちの一味です。

「みんな、受かったのかしら?」
「サァ? だいたい受かったみたいヨ」
「それじゃ、落ちたのは朝子だけかしら?」
「そうねぇ・・・」

「朝子も毎日来ようと思ってるの。よろしくね」というようなことを話しながら、歩きました。

不自然なことは何もありませんでした。私たちは、学校からの通告を忘れたふりをして門の中に入りました。入ったら、ほんとうに忘れてしまいました。

私は、「入学式に出させてください」と学校にお願いしました。「困る」と言われました。涙をのんで帰りました。その日、朝子は泣きました。


(『記録』1990年5月号№134より)
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