ワニなつノート

手をかりるように 知恵をかりること 2020



手をかりるように 知恵をかりること 2020



《合理的配慮とは何か》



目の見えない子は、文字が読めない。それを「障害」という。
配慮=調整なしでは、与えられた課題に向きあうことができない。

だから見えなくてもOK。障害によるできなさをマイナスとは言わない。点字や指点字のスキルを使うことができる。それを入試の合理的配慮という。

私たちはすべての子どもを応援する。
「どんな障害があっても、あなたのやり方で学び、あなたらしく生きてほしい」


          □


耳の聞こえない子は、音が聞こえない。それを「障害」という。配慮=調整なしでは、与えられた課題に向きあうこともできない。

だから聞こえなくてもOK。障害によるできなさはマイナスではない。手話や他のスキルで対話する豊かさを広げよう。それも入試の合理的配慮となる。

私たちは一人も切り捨てない。
「どんな障害があっても、あなたのやり方で語り、あなたらしく生きてほしい」


          □


身体を動かせない子は、問題を開けない。それを「障害」という。配慮=調整なしでは、与えられた課題に向きあうことができない。

だから、動けなくてもOK。障害によるできなさを克服する必要はない。学ぶための手立ては常に新しくなる。それも新たな合理的配慮となる。

私たちはすべての子どもを応援する。
「どんな障害があっても、あなたのやり方で歩み、あなたらしく生きてほしい」


          □


この子は、文字が読めない。それを「知的障害」という。配慮=調整があっても、入試問題を解くことはできない。点字や手話があっても、代読や代筆があっても、答えは分からない。

だからこの子だけ「不合格」にされる。


人の目をかりてもいいけれど、知恵をかりてはいけない?
人の耳をかりてもいいけれど、知恵をかりてはいけない?
人の手をかりてもいいけれど、知恵をかりてはいけない?


そんなことはない。私たちはみんな、誰かの手と目と耳と知恵をかりて生きている。


だから、文字が読めなくてもOK。障害のあることは人として恥ずかしいことではない。

学ぼうとする意欲と希望のある子どもに、学ぶ機会を与える場を学校という。そのための手立てを合理的配慮という。


私は、この子を応援する。

「どんな障害があっても、あなたのやり方で出会い、あなたらしく生きてほしい」


あなたの「共に生きる知恵」をかりて、私も「共に生きる社会」を学びたい。
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