◆
100人の子どものうち、
高校にはまだわずかの子どもしか座れる席がなかった時代に、
文部省は言った。
「入学者の選抜を望ましいものであるという考えを
いつまでももっていてはならない。」
「選抜はやむをえない害悪であって、
経済が復興して高等学校で学びたいものに
適当な施設を用意することができるようになれば、
直ちになくすべきもの」
「高等学校はその収容力の最大限度まで、
国家の全青年に奉仕すべきものである。」と。 (1949年)
もちろん当時は、「全青年」の中に
「障害児」は入っていなかっただろう。
そのころ、重度の障害児はどのような扱いを受けていたか。
≪「この子が学齢期に達しましたが、
このような身体の状態でも入学させていただけるのでしょうか」
おふくろがおずおずと、ぎこちなくたずねた。
「貴様、こんな片輪もんを学校に入れられると思っとるのか。
一生学校なんか入れない。たわけ者が!」
役人はけんもほろろの態度で、
罵倒の声をおふくろに浴びせるのであった。
おふくろは泣く泣く、役人がつくってくれた就学免除通知書を胸に、
家路についたが、
おれもおふくろの背中で悔し泣きをしていた。≫
(『自伝かたつむりの訴状』広岡研語)
小学校への入学でさえ、こうした状況が当たり前だった時代。
障害児の高校進学を考えている人間は、
この国にはいなかっただろう。
それでも、子どもの教育に最大限応えようとする
その精神は尊い。
◆
戦後の復興とともに、高校に行きたい子、
高校に行かせたい親は増え続け、
日本中に、「15の春を泣かすな」という
言葉が通じた時代があった。
みんなが高校生になりたい。
それは当然だよという思いを、多くの人が応援した。
高校くらい出してあげたいという親心は当然という思いが、
当たり前に受け入れられた。
舟木一夫の『高校3年生』が流行ったのは、
私が3歳のころだった。 (1963年)
私が「こーこーさんねんせー」と歌うと、
周りの大人たちに妙に受けたのを覚えている。
1963年、この年、
高校3年生になった人たちの進学率はすでに62%だった。
このころ、
「高校の制服は、中卒で就職した若者には手の届かない
《憧憬の対象》だった」という。
そこで歌われていたのは、「クラス仲間はいつまでも」だった。
1963年、文部省は通達を出した。
高校は「高校教育を受けるに足る資格と能力」を持ったものを
入学させるという考え方に変り、
志願者が定員を超える超えないにかかわらず、
学力検査を行うことになった。
◆
「選抜はやむをえない害悪」という言葉からわずか20年で、
この国には、100人の子どものうち80人が座れる席を作った。
そのころ、OECDの調査団の人たちが、
この国の教育政策を調査にきて、こう言った。
「日本は15歳まで、中学校段階まで、
差別的な学校教育をやらないよう細心の努力を
はらってきた国の一つである。
しかし、中学校の最後の学年はほとんどの場合、
高校入試に向けられている。」
「こうした現状が、おくれた子どもたち、
とりわけ高校に進学しない20%の子どもたちに
犠牲を強いないはずがない。
にも関わらず、この問題が一般には
ほとんど論議の対象になっていないことに、
われわれは驚きを覚えた。」≫ (1971年)
イギリス、ノルウェー、フランス、
アメリカからきた学者たちは、
100人のうち、高校に行けない20人の子どもの痛みを、
「犠牲」といった。
私も、そう思う。
◆
それから、さらに15年あまり、
子どもの数は増え続けた。
そして、高校の数もまた増え続けた。
そして、100人の子どものうち、
97人までが座れるところまできた。
そのころ、障害をもつ二人の若者が、
「高校生になりたい」と声をあげた。 (1985年)
「障害があってもみんなと一緒に高校へ行きたい」
「0点でも高校生になりたい」と確かな声をあげた。
康治は時間延長と、介助受検という「方法」を
社会的に認めさせて、高校生になった。
けれど雄介は、時間延長しても、
介助受検をしても、
高校生にはなれなかった。
雄介には「知的障害」があったから。
雄介は自主登校を続けながら訴えた。
知的障害の生徒に、学力選抜をするのは「差別」だと。
二人の言うことは、
「地球は回っている」と同じくらいの真実だったため、
はじめは多くの人が本当のことだと気づかなかった。
あれから、さらに20年が過ぎたが、真実はまだ広がらない。
この国では、まだ太陽が地球の周りを回っている。
◆
同じころ、15歳の子どもの数は減り始めた。
今度こそ、高校に行きたい15歳の子どもは、
100人とも高校に入れるようになるはずだった。
経済は復興し、
高校で学ぶための施設も余るほど用意できている。
「15の春」を泣かす必要はなくなった。
条件は整った。
ところが、そうはならなかった。
次の年も、
その次の年も、
そのまた次の年も、
100人の子どものうち、
高校に入れるのは97人のままだった。
◆
そうして20世紀も終わろうとする頃には、
こんな意見も出るようになった。
「子どもたちの心の抑圧を解くために、
まず高校入試をやめたらどうでしょう。
96%もの進学率のなかで、
なお選抜試験を課すことに意味があるとしたら、
点数きざみの多層化を確認するためだけのものです。」
毎日新聞社説。 (1995年)
全日本中学校長会で、
「希望者全員入学」の提言がなされたこともある。
また、三重県ではこんな提言があった。
「入学者選抜制度をなくすことによって
起こるであろう問題をしん酌してもなお、
入学者選抜制度の弊害の大きさを考える時、
高等学校入学者選抜制度は廃止することが望ましい」
(1996年)
でも、本当のことは、なかなか社会には受け入れられない。
都立高等学校長協会会長はこう言った。
「こんな制度を持ち込むと、
学力の高い生徒はみな私立に行く。」 (1996年)
それが、100人の子どもから、
3人分だけ高校の椅子を奪う理由らしい。
その翌年、「中教審」の人たちはこんなふうに言った。
「今日、高等学校は96.8%に達する進学率に示される通り、
まさに国民的な教育機関となっている。
そして、少子化が進む中で、
高等学校の収容力という観点からすれば、
すべての進学希望者を受け入れることは可能となっている。」
【21世紀を展望したわが国のあり方について】
(1997年)
◆
この頃、ある高校入試についての裁判があった。
入試の成績は上位なのに、
身体に障害があることを理由に「不合格」にした校長の判断を
「違法」とした。
身体障害に限ったことではあるが、
合否の判断する校長も間違えることがある、
ということは証明された。
特に、「障害」について無知な校長は、
判断する根拠を持っていないということが明らかになった。
・・・こうして21世紀になった。
でも、いまだに97%という数字は変らない。
どうして?
席がないから。
でも、子どもの数は減っているのに、どうして?
だって、高校の席の数も、それに合わせて減らしているから。
5年たっても、10年たっても、20年たっても、
高校生になれるのは、100人のうちの97人のまま。
どうしても、3人分の椅子を、取り続けている。
いつまでたっても、3人は、座る椅子がない。
椅子取りゲームをする理由は何だろう?
15歳の子どもの人生の椅子取りゲームを、
続ける意味は何だろう?
文部科学省、
教育委員会、
学校の先生たちは、
この椅子取りゲームを、
何のためにやらせているのだろうか?
犠牲になるのは、いつも3人だけだから、
それくらいは目をつぶっていていいというのだろうか?
子どもが傷つくことを、無視し続ける社会。
毎年、毎年、毎年、
その年の15歳の中学卒業生の人数をきちんと計算しながら、
3人だけが傷つき、悲しみ、涙を流す環境を作り続ける社会。
そして、同年代の97人の仲間とは別の人生を行けという。
そこには、どんな教育的意味があるのか。
97人の子どもにとって。
3人の子どもにとって。
私は、「20人の子どもを無視することが驚き」といった
35年前の人たちの感性を忘れないでいようと思う。
私は、高校入試の意味、選抜の意味、
97%を維持し続ける「計画進学率」といういじめ・
虐待・差別の意味を、
聞いたことがない。
納得のいく説明を、ひとつも聞いたことがない。
先生という職業の人にとっても、
それがどれほど愚かなことであり、
自らの仕事を否定し、
自らの仕事の意味を辱めるものかを考えないのだろうか。
毎年、毎年、
15歳になる3人の子どもを犠牲にする選抜の意味を、
私は知らない。
その上に、「定員内不合格」だ。
文部省が戦後、平和と希望を持って、
高校について語った言葉。
「選抜は害悪だ」
その理想を共に目指して、多くの人々が15の春を泣かすなと、
ほとんど全ての中学生が高校生になれる豊かな国を作ってきた。
けれど、いま、100人の子どものうち、
3人分の席だけを、わざわざ壊し、
捨て続ける。
そして3人の涙と悔しい思いに、
誰も心を痛めない。
だから、わたしたちは言いつづける。
0点でも高校へ。
学力選抜は、障害児差別であり、
希望者するすべての生徒を受け入れる高校を、
その教育の中身をみんなで作っていくべきなのだ。
小学校でも、中学校でも、高校でも、
子どもを選別し、切り捨てる教育をしてはいけない。
それは教育が、子どもを捨てることであり、
心を捨てることだから。
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