ワニなつノート

不思議なはなし



「赤ちゃんに触っていい?」という見出しにつられて、今朝の天声人語を読んだ。
予想した感じの記事だったけれど、最後のことばを読んで不思議な感覚になった。

「見知らぬ人との間に安心は成り立たない」

「そうだよね」という思いと、「そうでもないよな」という思いが、両方いっしょにわき上がった。

これって、なんだろう。


      ◇


天声人語 《赤ちゃんに触っていい?》


安心と信頼は似ているようで違うという。
社会心理学者の山岸俊男さんによれば、他人がどう行動するか、用心しなくてもいい状態が安心だ。

例えば、呪文で縮む輪が孫悟空の頭にはまっている限り、三蔵法師は悟空の裏切りを心配する必要がない。

これに対し、輪がはまっていなければ、悟空は裏切るかもしれない。
用心が必要になる。

にもかかわらず、悟空の性格や三蔵法師に対する感情からして裏切るまいと考える。

それが信頼だというのが山岸さんの定義である。


きのうの本紙オピニオン面「どう思いますか」の特集を読んで、両者の違いを思い出した。

きっかけは、声欄に載った35歳のお母さんの投稿だ。
街中で、1歳半の娘の頭を見知らぬ高齢男性が触ろうとしたことへの困惑をつづる。「せめて一声かけて」という訴えだ。

多くの反響があり、4通が特集に掲載された。

色々な事件が起こる現代の母親は常に緊張を強いられているという共感から、親が用心するのは当然だが、もう少し力を抜いてみてはというアドバイスまで。

力点の置きどころは違っても、どの声も温かい。

赤ちゃんはお年寄りに好かれる。
電車の中や公園で、「かわいいねえ」と親子に声をかける姿を時々見かける。
親との会話が弾み、知らない同士がふれあう光景は、周りの人も和ませる。


山岸さんの区別に戻れば、見知らぬ人との間に安心は成り立たない。
ただ、さりげない言葉のやりとりや気配りが、その場にささやかな信頼を生むことはある。


(2015年11月19日・朝日新聞)


       ◇


「見知らぬ人との間に安心は成り立たない。」

それなら、子どもを分けてはいけない。
まして「見た目」が違う子どもを、すべて遠ざけて、違う学校に分けて、安心は成り立つか?

「さりげない言葉のやりとりや気配りが、その場にささやかな信頼を生むことはある。」

それなら、子どもを分けてはいけない。
「ささやかな信頼が生まれる」はずの、その場所を、分けてしまってはいけない。

最近は、どんな文を読んでも、「分けてはいけない」理由が書いてある気がする。

震災や貧困、認知症や精神病院のこと、介護や子育てのこと、どれをとっても、「つながり」が一番の基本と書いてあるのに、どうして「教育」だけが、子ども同士の「つながり」を大事にしないのだろう。

天声人語の新聞も、特別支援学校や特別支援学級の増設を熱心に訴えている。
「子ども」を分ける場所が足りない、もっと分ける場所をと、大きな声で訴えている。不思議だ。


ここまで書いてきて、最初の疑問の答えがわかった。

「そうだよね」というのは、「分けてはいけない」ということ。
「見知らぬ人との間に安心は成り立たない」は、正しいことのように感じる。

でも、「そうでもないよ」は、何か。

誰も分けないよ、という場所で育った子どもたちは、「見知らぬ障害児」と出会っても、「安心」が成り立つことがある。

わたしが子どもたちに教えてもらったのは、そのことだった。

 
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