8才の子ども 2014
高校の会に、曹洞宗の住職さんたちが取材にみえました。曹洞宗のなかに「人権擁護推進本部」という部署があるんだそうです。お寺さんが、0点でも高校へという活動に興味を持って下さるのは不思議な感じもしますが、とてもありがいことです。
その方が、「手をかすように知恵をかすこと 2014」を誉めてくれました。
さすがは住職さんというか、誉め方がとてもうまく、話しを聞きながら自分でも読んでみたくなりました。
で、久しぶりに読んでみると、「そうそう」とついうなずいてしまうし、「いいこと書いてあるな~」と感心する。
隣りにいた中邨さんに、「これ、いいこと書いてあるね~」と言ったら、「そうね」と軽くスルーされた(・.・;)
そうだよな。おれが書いたんだもんなぁ。
なかでも、住職さんが誉めてくれたのは、
《障害があることは、人として恥ずかしいことじゃない。
障害があることで、子どもでなくなるわけじゃない。》
という一節でした。
◇
家に帰ってから、その言葉をいつごろから言い続けてきたのか、記憶をたどってみました。
毎年、その言葉を使うのは県教委との話し合いの場面です。
子どもたちが高校受験で不合格になるたび、なぜ不合格なのか、私たちには理解ができません。とくに、公立高校の「定員」が空いていて、席がいくつも空いているのに、先生が子どもを拒否するという神経が、まったく理解できません。
「義務教育じゃない」といいながら、授業料は無償になり、現に99%が進学しています。
特別支援学校高等部は100%以上受け入れていて、教室が足りないと新しい校舎や分校を作っています。
(そのことが、普通高校の先生たちの「意識の遅れ」「障害への無理解」を助長しているのですが、それはまた別の機会に…。)
つまり15歳から18歳の生徒の教育のために、人を建物をお金を使うことに、社会は反対していません。
高校に行きたいという1%足らずの生徒を、切り捨てているのは、高校の先生たちだけです。
そもそも、障害があると分かっている子に、障害のない子たちと同じ試験で競争させることは差別です。
合理的配慮もなにもあったもんじゃない。
点数が取れないことは、人として恥ずかしいことじゃない。
なのに、点数が取れない、というだけで、なぜ席が空いているのに、野良犬のように追い払われるのか。
ちょっと思い出しただけで、無数の場面が浮かんでくる。
何人もの子どもの涙を、さびしそうな顔を思い出していた。
◇
さらに、記憶をたどると、「恥ずかしいことじゃない」という言葉を始めて聞いたのは、石川先生のラジオだったと思い出す。
「障害のある孫の不自由な手が不憫でならない…」というおばあちゃんからの相談の電話でした。
「その子の、その手は、その子にとって少しも恥ずかしい手じゃないんですよ。」
石川先生は、静かにそう語りかけていた。
「その手は、その子にとって大切な自分の手なんですよ」
ラジオを聞きながらいつもの石川先生の顔が浮かび、その声は電話の向こうのおばあちゃんへの言葉じゃなく、わたしに言われているように聞こえた。
◇
8才のあの日。
私は自分が分けられるのは、自分が「悪い子」だからだと信じていた。
両親が泣いているのは、自分が「悪い子」で、世間に顔向けできない「恥ずかしい子ども」だからだと、心に刻みつけた。
だからその日をなんとか切り抜けた後も、私は自分の「悪い子」がばれないように、自分が「恥ずかしい子」だとばれないように、いつも気を抜かずに生きてきた。
私が行かされそうになった場所、
町はずれの施設や、特殊学級にいる子は、できのわるい子、恥ずかしい子だと、思い込んで生きてきた。
だから、そこには近づかないように、生きてきた。
そこには関わらないように、自分には関係のないものとして生きてきた。
そんなふうに生きてきた私の心根を、石川先生には見透かされているように感じることがあった。
人として恥ずかしい生き方をしてきたのは、私だった。
同じ町内に住み、家も顔も知っている「あの子たち」を遠ざけて、見ないようにして、いないようにして、そんなふうに恥ずかしい生き方をしてきたのは私だった。
いまは、それがよくわかる。
「あの子たち」がどんな思いをして、学校に通っていたのか。
近所で顔を合わせたときにはふつうに話したこともあるのに、学校に行くと目を合わせないようにしていたのはなぜだったのか。
あの子が、自分がその学級にいる姿を見られたくないという顔をしていたのはどうしてだったのか、いまは分かる。
「あの子たち」の母親や父親が、どれほど子どものことをおもい、大事に育てていたのか。
あのころの私は知らずに生きてきた。
幾度か、気づきかけたことはある。
近所のお母さんが、大きな息子をおんぶしてあやしている姿をみたとき、その「母のおもい」は、私が知っているどの母親ともおなじだった。
でも、わたしはすぐに目をそらした。
見ちゃいけなかったことのように、通り過ぎた。
自分が「あの子たち」の仲間に間違えられないように。
自分が恥ずかしい子だと思われて、あの子たちの仲間に入れられないように、必死で逃げてきた。
私は何から逃げていたのだったか。
小学生のあいだ必死で逃げて、
中学生のあいだも必死で逃げて、
高校には特殊学級がないと思っていたら、ボランティアで施設にいく女子がいたりして、その姿も見ないように必死で逃げてきた。
◇
いまも娘と二人で実家に帰ると、八十を過ぎた父と八十近い母が、8才の私のあの日の話をする。
あの日が、人生の中で「特別な1日」だったのは、私だけではなかった。
いまの私よりずっと若かった父にとっても、いまの私よりずっと若かった母にとっても、死ぬまで忘れない特別な1日だった。
あの後、じつは校長先生と担任の先生が、私の家まで謝罪にきたのだと、先日初めて聞いた。
何を謝罪にきたのか。
「8歳の子どものおもい」に、謝りにきたのではない。
友だちや大好きな女の子と離れたくないという私の思いを聞かずに、引き離そうとしたことを謝りにきたのではない。
子どもを分ける自分たちを悔い改めて謝りにきたのではない。
たぶん、間違って障害児のように扱ったことを誤りにきたのだろう。
分けようとしてすみませんと、謝罪する理由。
それはただ単に私の知能テストの結果がふつうだったから。
それだけのこと。
◇
あのとき、「謝罪」を聞かなくてよかった。
あのとき、「間違い」だったと教えられなくてよかった。
もし謝罪を聞いて、間違いだったと教えられていたら、
8才の子どもは「あの子たちとは違う」と信じただろう。
「あの子たちは恥ずかしい子」で、ぼくは違う。
「あの子たちの世界」は、自分の住む世界とは違う。
そう信じて疑わないまま大人になっただろう。
たっくんや康司に出会うこともなかっただろう。
ともちゃんや石川先生に出会うこともなかっただろう。
そして、障害のあることは人として恥ずかしいことじゃない、と死ぬまで知らずにいたかもしれない。
勉強ができないことは人として恥ずかしいことじゃない、
手をかりることも知恵をかりることも、
人として恥ずかしいことじゃない。
本を読むのに、知恵をかりること。
食べるときやトイレに行くのに、手をかりること。
そこに、人としての恥ずかしさがあるのではなく、
その人のそばに人がいるということ。
つながりがあり、人のぬくもりがあるということ。
手をかりるときにも、手をかすときにも、
人としての恥ずかしさがそこにあるのではなく、
人としての信頼がそこにある。
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