「適格者主義」を超えて(その5)
2018年、仲村伊織君は「不十分」な合理的配で入試に臨んだ。沖縄県「障害を理由とする差別等の解消に関する調整委員会」は、「本事案の県教育委員会の対応は、合理的配慮の提供として不十分な点があったと考えます」と指摘した。
この「助言」を受けて、伊織君は2019年の入試に臨んだ。合理的配慮は行われたが、定員80人空きで不合格。二次募集の定時制高校でも30人余り定員が空いていての不合格。
その時、「重度知的障害」とよばれる伊織君が、生まれて初めて「どうして」という言葉を口にした。両親には応える言葉がなかった。だから「なぜ定員内不合格なのか」と教育委員会に問い続けた。
2019年11月27日、沖縄県教育委員会がそれに答えた。
「高等学校では、重度知的障害のある生徒に対し、法律上その特性に応じた教育課程を提供できず生徒の学びの保証ができない」。
もしそれが事実なら、「入試を受ければ合格の可能性がある」と騙して受検させたことになる。調整委員会に対しても、「入試を受ければ合格の可能性がある」ように装って回答したことになる。
しかし現実には、教育委員会が主張する「重度知的障害のある生徒に対し学びの保証ができない」という法律はどこにも存在しない。
「定員内不合格」の犠牲になっているのは、「重度知的障害」の子だけではない。一定の「点数」は取れても、「医療的ケア」「重度障害」があることで「定員内不合格」にされている子もいる。
今年のバクバクの会総会の実行委員長だった広島の中村天哉さんは、次のように書いた。
【ともに育ってきた仲間たちがそうだったように、僕も地域の高校への進学を選びました。オープンスクールに参加して、自分の居場所はここしかない!と思った高校を受験することにしたのです。…(制度上)選択問題しかできない僕にとって、広島県公立高等学校の入試問題は選択問題が少ないので、大きな痛手でした。それでもまばたき受検が認められたことや、3年間一生懸命やってきた調査書や面接もあるから大丈夫だろうと、慌ただしい状況の中でも、なんとか受検に臨むことができました。しかし結果は…1人だけ不合格。それも定員内不合格でした。情報開示請求をしましたが、不合格になった理由は分かりませんでした。当然落ち込みましたが、意を決して次の年もチャレンジしました。結果はというと、大幅な定員割れにもかかわらず、また1人だけ不合格になったのです。この時、県教委から最初に言われた「受検することは拒まない」という意味が初めて分かりました。ショックで倒れた僕は、病院で点滴を受けながら、「真面目にずっとやってきたのに…」と自暴自棄になりました。】
それから2年。今年19歳になった彼は、お世話になった人からの「バトンを受け継いで」実行委員長を引き受けた。そして再度高校に挑戦しようと思い始め、実行委員長として奔走するさなか、5月23日に急逝。
また、千葉県で7年間27回の受検をし、うち25回の「定員内不合格」にされてなお、強い意志で来年の合格を目指していた渡邊さんも11月17日、志半ばで亡くなった。
◇
敗戦後の痛みと苦しみの中から、日本の教育は平和と人権を大切にする道を歩んできた。しかしその初めに決定的に欠けていたのが「障害児」の教育だった。
盲ろう学校は小中学校と同じ年から義務教育が始まった。「障害」のあることは「同じ」でも、32年長く待たされたのは「重度障害」「知的障害」の子どもだった。
この間、この国の「能力差別」はとことん教育を蝕み続けた。
根本的な間違いは、重度障害児の教育は「不可能」と扱ってきた歴史だ。
しかもそれを修正しないまま、「養護学校」に「隔離」するような形にしてしまったことが、今につながっている。
だから「高校は義務教育じゃない」「障害児に教育は提供できない」と恥も外聞も知性もなく主張する教育委員会がのさばり、「無償化」になった高校の「定員」が余っていてもなお、教育の機会を奪われ、待たされ続けるのが「重度障害」の子どもなのだ。
待たされても間に合うならいい。待たされたまま亡くなる若者がいる。19歳だった中村君と21歳だった渡邊君。二人とも来春の高校入学への希望を抱いて生きていた。二人の高校生活への憧れと希望は、教育委員会が考える貧しい「教育の提供」ではない。高校とその先の一生につながる、仲間への信頼にあふれた人生への希望だった。
彼らは、専門家だけの狭い世界でなく、仲間と共に遊び、話し、学び、笑い、泣き、生きる道を歩んだ。彼らの夢は、子どものころから一緒に育ってきた仲間と高校に行くことだった。みんなと一緒に学校に通えるのは高校まで。子どもたちはそれを知っている。その先は、自分の運命を引き受けて、大人として生きていくのだと知っている。
だから小学校中学校で一緒に学んだように、高校で一緒に学ぶことを願った。たとえ違う高校でも、街で会えばお互いに高校生の顔で出会える。18歳まで同じ高校生として一緒に生きたい。
あり得ない夢ではない。この国に生まれた子どもなら99%が当たり前に叶えている願い。難しいことではない。用意された机と椅子は余っている。机どころか教室まるごと空いていた。なのに席に座ることすら叶わないまま、二人は人生を終えた。
19歳と21歳で閉じてしまう人生。それが変えられない運命だったとしても、それが彼らのがんばりの限界だったとしても。それでも「共に学び共に生きる教育」を、18歳までに贈ることができた。できたはずなのだ。「19歳」と「21歳」とは、そういうことだった。たった、それだけの願いすら叶わず。たった、それだけの願いを叶えてあげることすら、私たちはできなかった。
彼らが自分の命をかけて願った学びたい思いを、高校は容易く「定員内不合格」と切り捨てた。自分の命より大切に親が守ってきた子どもの願いを、教育委員会は容易く踏みにじる。
「受検の機会は与えた。合理的配慮もしてやった。だから門前払いや切り捨てではない。公平・公正だ。身の丈を弁えた学校なら入れてやる。交流も考えてやる。それがインクルーシブ教育だと」
今の時代、高校生として「不適格者」と呼ばれるのは誰か。
進学率99%の時代。中卒就職率0.3%の時代。この国に生まれた子どもの1000人に一人に向かって「お前は不適格」とよび、教育を奪うことに一生懸命な大人。
それは教育委員会の仕事ではない。校長の仕事ではない。教育委員会や校長が考えるべきは、「いかに学びを奪うか」ではなく、「どうしたら学びを保障できるか」だ。
子どもに障害があり学びの困難があるというなら、子どもの力では作れない学びの環境を整えるのが、大人の仕事、大人の知性の見せ所ではないのか。
だから私たちは、全国の定員内不合格をなくし高校希望者全員入学を望む。
【全国・定員内不合格をなくし高校希望者全員入学を実現する会】
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