「適格者主義」を越えて(その4)
高等学校も、義務教育の後の「希望者全入」の学校を目指して始まった。
昭和24年4月30日文部省学校教育局【第一四 入学者の選抜】には、次のように書かれていた。
「新制高等学校で入学者の選抜を必要とする場合は、民主的かつ教育的で、その収容力の実情に最も即した選抜方針をもたなければならない。
1. 学校は、選抜を根本的には望ましくないものであると考えているかどうか。新制高等学校は、入学者の選抜はそれ自体望ましいものであるという考えをいつまでももっていてはならない。
入学希望者をできるだけ多く、全日制か定時制かのどちらかに収容することが、結局のところ望ましいことなのである。新制高等学校は、その収容力の最大限度まで、国家の全青年に奉仕すべきものである。
これまで一部の人々は新制高等学校は、社会的経済的および知能的に恵まれたものからよりぬいた者のためにのみ存在するきわめて独善的な学校であるべきだと 実際に信じていたが、学校の教師・校長または教育委員会の委員や教育長が理論的にも実際上にもこの考えに同意するようではいけない。
選抜をしなければならない場合も、これはそれ自体として望ましいことでなく、やむをえない害悪であって、経済が復興して新制高等学校で学びたい者に適当な施設を用意することができるようになれば、直ちになくすべきものであると考えなければならない。】
また、昭和35年の閣議決定でも、「すべての者に中等教育を」という原則の遂行が世界的課題として提起されていることにかんがみ15歳~18 歳の年齢期の青少年がなんらかの形態で教育訓練を習得できるようにしなければならない」とされた。
◇
しかし、義務教育同様、高校でも障害による「差別」「後回し」が行われてきた。
新しい高校の「理想」を捨てるきっかけが、「適格者主義」という障害者差別=能力差別の思想であった。それを明確に示したのが。昭和38年の文部省通知である。
【高等学校の入学者の選抜は、高等学校教育を受けるに足る資質と能力を判定して行なうものとする。心身に異常があり修学に堪えないと認められる者その他高等学校の教育課程を履修できる見込みのない者をも入学させることは適当ではない】
2019年、令和元年に、沖縄県教育委員会が立っている場所は、この昭和38年のままなのだ。
沖縄が日本に「返還」される前の、昭和の障害者差別通知の場所に、沖縄県教育委員会はしがみついている。
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