ワニなつノート

《今年の就学相談会》(その6) 



《今年の就学相談会》(その6) 


《たくさんの「だいじょうぶ」をくれた歩さんへ(3)》

     


5歳で出会った子は、10年後15歳になる。
その10年後には25歳になり、そして35歳になる。
そうして私に分かったことは、どの子も「その子のままで大人になる」ということだった。

「この子は、この子として成長するようになっている」のだった。


相談会には、知的障害とか発達障害とか、ダウン症とか医療的ケア児とか、子どもたちがいろんな名札をつけられてくる。だけどどの子も、専門家が「解説」したような何者かにはならなかった。(それはそうだ。もともと専門家はふつう学級で育った子どもたちを知らないのだから。)


5歳のとき「いちねんせい」という言葉に、何かを見出したように、どの子も15歳になると「高校」という言葉を見つけた。

そして、幼い時にもらった自己肯定のやり方のまま、みんなが行く高校へと向かった。


          □


《知ることによって、子どもは何かになる》


5歳のとき、親がそこで「何を話しているか」を知っていた。
「自分の笑顔のために」、悩んで苦しんで泣いていることを知っていた。

みんなと一緒にいたい。その願いを必死に守ってくれる親がいる。
私の願いは間違いじゃない。願ってはいけない願いじゃない。
私はここにいていいんだ。
だって私はこんなにも大切に思われている。

一緒にいられる喜びと安心。目が合うよころび。
声が聞こえるよろこび。手をつなぐよろこび。
はじめは母親にもらった。
それから次に友だちや仲間が増える。
私たちは「骨の髄まで社会的な生き物」なので、「相手にされ、理解されていると感じる」能力を生まれながらに持っている。

子どもははじめから開花し可能性に満ちていた。
「この子は、この子として成長するようになっている」のだった。


はじめからどの子も、自分たちの速度で、自分の人生を実現するように努力していた。
どれも自分の身体で感じるよろこびの感覚であって、誰かに教えてもらうものではない。

ただまっすぐにそれを望んでいい、手をのばしていいことを知ること。
私たちが大事にしたい自己肯定感は、その自己感覚だった。


         □


いま中3の京ちゃんたちが高校に向かうこと。

18歳の伊織くんが高校に向かうこと。

19歳のあーちゃんが高校に向かい続けること。

21歳まで純くんが高校に向かい続けた人生。

35歳まで歩さんが生きてきた人生。

そしてヒデや淳くんが自立生活を生きていてくれること。

私たちはまだ、子どもたちに何かを教えてもらっている途中だ。
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