ワニなつノート

手をかりるように知恵をかりること  序章


手をかりるように知恵をかりること  序章


私も子どもたちも、「個人」であると同時に
社会的な哺乳「類」であり、
人と関わり、お互いに大切に思い合う関係を築き、
依存しあわないと生きていけない。

子どものときにも、大人になってからも、
そして親になってからも、
人に大切に思われ、人とつながっている実感は
何よりかけがえがない。

何でも一人でできる人も、
たくさんお金が稼げる人も、
心が一人で生きていくのは寂しい。
食べ物や水がないと人が死んでいくように、
寂しすぎても人は死ぬ。
その寂しさは、自分一人では自分を大事にすることが
難しいということ。

だから、子ども時代の思い出の中に、
人として尊重される体験はかけがえがない。

「子どもが一人の人として尊重される」体験。
それは、「未熟なまま、できないまま、弱いままの、
人として尊重される」体験のこと。

子どもが、子どもである未熟さを含めて、寛容にあつかわれ、
失敗を許され、あなたがそこにいてくれてうれしいと思われ、
敬意をもって扱われる体験。

子ども一人では、自分が誰かに大切に思われる人間だと、
感じる能力を作り出すことはできない。
子ども一人では、自分がみんなの仲間だと、
信じる能力を作り出すことはできない。
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