ワニなつノート

1年生になったかいとくんへ

1年生になったかいとくんへ


かいとくん、入学おめでとう(^_-)-☆
去年の9月に書いた「6歳になったかいとくんへ」の
【完結編】がやっと完成しました。

9月にこれを書いたときから、
今日の完結編を楽しみにイメージしていました(o|o)
ほんとだよ。
これで、イメージ通り。
いえ、それよりずっとずっと最高でした(^^)/~~~

もちろん、「完結」は、私たち大人の物語。
ここから先は、かいとくんが、自分で
すてきなものがたりを織りなしていくんだろうな。
たのしみ。

   □    □    □

6歳になったこの子へ 

(6歳になったかいとくんへ)


生まれたときから闘う日々だった。

生まれたその日から、
この子は、生きるために闘う日々を生き抜いてきた。

生まれてすぐから病気と闘い、
止まりかけた呼吸と闘い、
止まりかけた心臓を自分で励まし、
生きるために、喉を切り、
生きるために、管を入れた。

母親に抱かれて眠れる日まで、長い時間、
長い年月をこの子は病室の中で待った。
待って、がんばった。

がんばって、生き延びて、
ようやくお母さんの待つ家に帰ることができたとき、
この子は1歳半になっていた。

お母さんとお父さんの待つ家に、兄姉の待つ家に、
長い長い時間をかけて帰ってきた。
やっと、ふつうの子どもに戻れた日。
命がけで取り戻したふつうの親子の毎日。
ふつうの子どもの日々。

命と引き替えに、傷ついた身体。
生きるために、身体に入れたチューブ。
そのために、我慢しなければならないこともいっぱいある。
制限させられることがいくつもある。

でも、病院の子から、お父さんとお母さんの
ふつうの子どもになって戻ってきた。
やっとふつうの子どもになって、いっぱい甘えて、
いっぱい遊んで、大きくなった。

保育園に行くようになって、友だちもいっぱいできた。
はじめは、身体のこと、喉のこと、チューブのこと、
珍しそうにみていた友だちも、そのうち、
それが当たり前のことになり、ただの日常になった。
保育園の中では、看護師さんが吸引をしてくれるから、
お母さんも安心だった。

そして、とうとうこの子が、6歳の誕生日を生きて迎える。

来春には、保育園の友だちと一緒に、
1年生になるのを、何より楽しみにしている。

けれども、今の「学校」はこの子に向かって、
あなたは「医療的ケアが必要な子」だから、
みんなと一緒の学級ではなく、「特別」な学級に行きなさいという。

でも、この子は「医療的ケアが必要な子」じゃなくて、
「医療的ケアが必要なただのふつうの子ども」だ。

この子一人を、特別な教室で、
「手厚い」教育をしてくれるより、
保育園と同じ、みんなと一緒にいるために
「必要な配慮」をしてほしい。

「できることと、できないことがあります」
どこの教育委員会の人も、同じ言葉を口にする。

でも、私たちが求めているのは難しいことではない。
「保育園でできることは、小学校でもできるでしょう。」
ただ、それだけのこと。

教育委員会の人は言う。
「学校は保育園と違って、看護士さんはいません。
だから、自分で自分の「医療的ケア」ができるようにしてください。
入学までに、自分のことは自分でできるようにしてください。」

6歳の子どもに、大の大人たちがそう要求する。

わたしたちは、この子に、
これ以上、「がんばれ」とは言わない。

これまで誰よりもがんばって生きてきたこの子に、
ただ、みんなと一緒に一年生になりたいと願うだけの子どもに、
これ以上、「がんばれ」とは言わない。

この子は、生まれてすぐから、母親に抱かれて眠れる日まで、
1年半も待ちながら病気と闘ってきた。
止まりかけた呼吸と闘い、止まりかけた心臓を自分で励まし、
生きるために、喉を切り、生きるために、管を入れた。

その6歳の子どもに向かって、今の学校は、
「自分のことは自分でできるようにしなさい。
それができたら、みんなと同じ学校に入れてあげる。
できないなら、お母さんと一緒に来なさい」という。

この子は、自分にできるせいいっぱいのがんばりを、
立派に闘いきって、今ここにいる。
誰もが、生まれてすぐに母親の胸に抱かれて過ごす赤ちゃんの日々を、
ひとりで受けとめ、闘った。

その子が6歳になって、学校に行く。
そこでもまた、闘いの後に残った生きるためのケアを、
この子ひとりに背負えという。

そんな言葉を誰が言えるものか。
6歳の子どもに、一人で背負えと、そんなことを誰が言えるか。

私たちは誰も、その荷を背負って生きてはこなかった。
その荷は、母親が、家族が、
学校や地域の大人たちが、支え持ってくれたものだ。
私たちはその中で見守られ育ち、今日まで生きてこれた。

だから、その荷は、私たち大人が、
ひとりの子どもに背負わせていい重荷ではない。

この子は、すでに背負いきれないほどの荷物を、
生まれたときから誰よりも堂々と受けとめ担ってきた。


私たちは、この子に伝えたい。
「あなたに必要なケアは、私たち大人がちゃんと見守るから、
安心して学校においで。」

「新しい学校で、友だちをいっぱい作って、
いっぱい遊んで、いっぱい勉強して、
あなたのやりたいことをいっぱい見つけていこうね。」

「私たち大人は、私たちにできることをせいいっぱいやって、
きみの学校生活を応援するよ」

私たちは、そう言いたい。
そう言わなければならない。

そう言える学校と社会全体で、
この子たちの苦労を受けとめることで、
これから先、この子が自分で引き受けていく苦労や困難に、
立ち向かう支えになりたい。
この社会は信じられる温かい社会だと、この子に伝えたい。

私たちが、守らなければならないのは、
この子をみんなと分けて、「特別な教室」で守ることではない。

ただ、この子がみんなの中で、
当たり前に生きていくのに必要な配慮をし、
この子がみんなと一緒に学校に行きたいという思いを
大切にすることだ。

「保育園でできることは、小学校でもできるでしょう。」



    ◇      ◇      ◇
 

《新生児医療》

「近年、少子化が叫ばれる中、
小さく生まれる赤ちゃんの数は増えています。
私が勤める病院にも、毎年多くの赤ちゃんが運ばれてきます。

その中でもかいとくんは、本当に大変な赤ちゃんでした。
両手のひらに収まるような小さな身体。
呼吸を助けるために入れられた2,3ミリのストローの様な細い管。

けれど、それはかいとくんにとっては、
何より太くて大切な命綱でした。
ほんの数ミリのズレでも命にかかわる。
そのために頭を固定され動くことすら制限される日々…。

私たちも何度となく先生を呼びに走り、
手に汗握る処置を繰り返した事でしょう。

そんな中、かいとくんは小さな身体で、大きな手術に耐え、
ノドに穴を開ける事でやっと自由に動く事を許されました。
長い入院生活は、ご家族にとっても、
もちろんかいとくんにとっても辛く大変な日々でした。

その日々を思うと、今ここにいる、
大きく成長したかいとくんの存在を
奇跡と感じずにはいられません。

あの時、あんなに小さかったかいとくんが、
今は笑顔で私に大きな大きなパワーをくれます。
 
新生児医療に関わる者として、ここにいるこの子たちが、
そしてこれから生まれてくる子どもたちが、
大人の都合に振り回される事なく、自分らしく、
自由に生きていける社会であってほしいと願っています。  

(新生児科看護師S)


   ◇    ◇    ◇


《624日間》


裸のまま、小さな保育器の中、
固定された頭は少しも動かすことを許されない。
この胸に抱いてあげることもないまま、4ヶ月が過ぎたね。

それでもやっと、2000gになったね。
気管と食道を切り離し形成する手術。
暗い空が寒々しい冬の日。
手術室から出てきた姿は、初めて保育器越しではないかいとだった。
そっと頭をなでた、初めて触れた。

初めての沐浴、初めてのうぶ着、初めて抱いた時、
かいとも父さんも母さんも、すごく緊張したよね。

生後9ヶ月、気管切開の手術、人工呼吸器が取れ、
初めて哺乳瓶で飲んだミルク、グビグビと力強かった。

NICUでの闘いは309日にも亘った。
面会時間も終り、父さん母さんの後ろ姿を見て、
ベッドの柵の間から大粒の涙を流し、
声のない声を絞って泣いていたね。

そして、生後624日、1歳10ヶ月、
父さん母さんの待つ家へ帰ってきたね。

家に帰ってからも何度も何度も闘ったね。
お風呂上り裸のままお父さんの腕の中で呼吸が止まった。
夜中、母さんの頭を叩き、起こしてくれた後、呼吸を止めた。

苦しくて苦しくて、思い切り息を吐いて、
一緒に血も吐いて…
でも海斗は何度も何度も戻ってきてくれたね。

父さん母さんから離れ、初めてひとりでバス通園もできた。 
4歳4ヶ月、生まれて初めての声を聞くことができた。
かいとは自分でビックリしていたね。

《…命と引き替えに、傷ついた身体。
生きるために、身体に入れたチューブ…≫
本当にがんばったね。
ずっとひとりでがんばったね。

(かいとママ)


  ◇    ◇    ◇


《みんなと一緒》 


「こうちゃんは1ねん1くみでしょ。
でも、いないよ。どこにいるの?」
「……」
「みんないるのに、きてないよ」

入学式翌日。
特別支援学級へ行った友だちを探し言いました。
そうか…、もう気づいたんだ…。

「なんで、ママがついてくるの?」
「吸引器を持って行かなくちゃならないでしょ」
「やだぁ。ひとりでいきたい!」
「自分で持っていけるようになったらいいよ」
「きゅういん、いらない。コンってじぶんでできるよ」

入学して三日目。
周りが子どもだけで登校しているのを見て言いました。
そうか…、みんなと同じがいいんだ…。

「みんなはべんきょうがすきなのに、ぼくはにがてだよ」
「そうかなあ、勉強すきな人ばかりはいないよ。
ママだって苦手だったよ」

授業が始まった日に言いました。
そうか…、そんなこと感じるんだ…。

入学式後と、先日の全校保護者会で校長より、
かいとが医療的ケアが必要なこと、
看護師常駐でケアを受けながら、みんなと一緒に学校生活を送ること、
学校全体で支えていきたい、などの話がありました。
その中で、「人のなかで人になり、人に触れ人となる」と話され、
いろいろな障害は個性と同じであり、
いろいろな子どもたちが一緒に育ち合うことが大切と
考えていらっしゃることを聞きました。

担任は、かいとのことをクラスの子どもたちに
事前に説明することはないのでは…とおっしゃいました。
先入観を持たず一緒にいる中でそれぞれ感じとって欲しい、
自然な形でいいですよね、とのことでした。

初めての学校で、信頼できる先生方に出会えたことは
本当に嬉しいことです。
先生方を信じ、違ったときには伝えていこうと思います。

N市では初めてになる看護師配置での学童保育の受け入れ、
というありがたい配慮をいただきスタートした学童での生活も、
とても楽しんでいます。

迎えに行くたびに「帰るのいやだぁ。まだあそびたいよ~」
と逃げていきます。
学校での緊張から解き放たれ、テンションも上がり、
毎日興奮状態です。

そんなこんなで、かいとの新しい生活が始まりました。
毎日の学校で、いろいろなことに気づき、
みんなと同じでいたい、周りとの違いも感じ…、
そんなことができるのも、みんなと一緒にいるからです。

かいとを見ていると、みんなの中にいることを
全身で受けとめているんだなあと感じ、
これからの長い学校生活を自分らしく過ごしてほしいと願っています。

      

今日、かいとにとって生まれて初めての「宿題」が出ました。
し(す)うじをかく。と書かれた連絡帳。
朝5時に起き、学校で5時限、学童で5時まで…。

「宿題やるー?」
「なんで、おうちでもおべんきょーすんのー? やだぁー!!!」
「みんな、やってくるかもよー。」
「やだー!」

その後、泣き叫び(うそ泣きっぽい)暴れてました。
で、7時に気を失うように寝てました。

いやぁ……楽しいですねぇ。
宿題を出されて、こんな風に抵抗するなんて、
今までの私の人生では想像もできないことです。
宿題なんてやって当たり前、そんな常識も
かいとには関係ない世界ですね。
いいなぁ……楽しいなぁ。

(かいとママ)


     □     □     □


「ほらね。保育園でできることは、小学校でもできるでしょう♪」

これを書きたかったんだぁ(^^)/~~~

保育園では保育園でしか生まれない物語があって、
その先に、小学校の物語、中学校の物語へと
つながっていくんだよね。

コメント一覧

isizaki
かいとママさんへ

先日の定例会の時、かいと君の咳をとっても気にしていたのは、いろんな心配があったからなんですね。

私なんて、子供が元気いっぱいの時は、健康でいることの有り難みを軽く感じがちです。
けど、やっぱり、子供が元気でいてくれればそれが何よりの幸せですよね(^^)v

入院、手術、それまでの時間…と心配はつきないと思います。

かいと君には、たくさんの友達がついているし、かいとママさんには私達がついています。
大丈夫、大丈夫。


yo
かいとくん、心配ですね…。
でも、「来月」ってことだし、
かいとくんには、日本で一番信頼できるお医者さんがついてるし、何より生まれたばかりの時から誰よりも誰よりもがんばりとおしたかいとくんだもん。
だいじょうぶですよ(^^)v

4月の終わり、新一年生はみんな
疲れ果てるころですしね。

…それに、ママさんが「弱気」なのは、
初めてあったときから
ずーーーーーーっとじゃないですか(>_<)

そこに惚れてるらしいパパさんには
いくらでも迷惑かけてよさそうだけど、
かいとくんにあんまり心配かけないようにね(^_-)-☆



かいとママ
yoさん、ありがとうございました。
「かいとの物語」は、これからも、想像をはるかに超えずっと続いていくんですね。
じつは、ここのところ夜間だけ、いつもと違う呼吸音が続いていて、朝になるとおさまり・・・を繰り返していました。受診の結果、来月入院して処置が必要との事。
新しいカニューレが出来るまで、毎日綱渡りのような日々を送ることになりました。
この二年間、それまでのトラブルが嘘のように穏やかな日々を過ごしていました。
かいとの元気に走り回る姿、もりもり食べる姿、天使のように穏やかな顔で寝る姿・・・を見ている日々に、すっかり安心していたんです。
でもやっぱり、闘って闘っていかなければなりません。
あぁ、今夜は静かな呼吸をしてくれている・・・
どうかこのまま、かいとの大好きな学校生活を奪うようなことをしないでください、と神に祈っています。
yoさん、済みません。
なんか弱気になっている母です。
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