ワニなつノート

「かんじんなことは目にはみえない」 (NO 02)


「かんじんなことは目にはみえない」 (NO 02)



今日は今年初めの定例会でした。
この春に小学校に入学する女の子がきてくれました。

去年10月の就学相談会に来て就学時検診を拒否、
そして、12月中にはちゃんと入学通知が届きました。

赤いランドセルを自分で選び、小学校に行くのを楽しみにしている子どもと、今年も出会うことができました(^^)v


いま、その子の姿を思い浮かべると、娘が小学校に入学したころの姿が並び浮かぶ。このしあわせなきもちと圧倒的な安心感は、どこからくるのだろうとおもう。


「しえんの必要な子はいないか」と探し回る大人があふれる国で、
少なくともここでは、この会で出会える範囲の子どもはまもることができる。
だれもがただ生まれてきたことをよろこび、
6才になった子どもへ、
よくここまで生きていてくれたと感謝し、
いまここにこの子といっしょに生きていられることのよろこびを、
しょうがいの有無に惑わされることなく、
ただそのよろこびをまっすぐにかんじることができる世界に生きていられる。

世の中とか、世間とか、そんなことはどうでもいい。
わたしにとっては、出会う子どもの笑顔と、子どもを支える家族の姿が、世界だ。


      ◇


「四月の入学を前に、いま、何か気になってることはありますか?」

そんなことをお母さんに聞いてみる。

「とくに何かということではないけれど不安がいっぱいなので、みなさんの体験とかが聞ければと思って…」


そこで、いまはもう高校生や中学生のお母さんたちに聞いてみる。

「7年前、9年前、12年前に、不安だったことを覚えてる?」
「あのころ、不安だったのはどんなこと?」
「具体的に、子どもが小学校に入るのに、何が心配だったの?」

いろんな聞き方で、不安の中身を思い出してもらった。
2月のワークショップも近づいてるし、これはいいチャンスだと思い、いろいろ聞いてみた。

でも、「不安はあった」と確信を持っていう割に、「これが!」という中身は具体的には聞こえてこなかった。

「じゃあ、その《不安》だった気持ちは、どれくらいでなくなったの?」

はっきりとはしないが、みんな4月中には薄れていったようす。

入学前はこの子の何が不安で、4月になってこの子の何が変わって、という具体的なことではないようだった。

「担任が受け入れてくれたのが大きいかな…」

「まわりの子どもたちが当たり前に受け入れてくれたからかな…」

そんな言葉を聞きながら思った。

入学前の不安とか心配事は、子どもの障害の中身とかじゃなくて、「世界がこの子を受け入れてくれるのか」ということなんじゃないかと思った。


「世界はこの子を大切に思ってくれるのか」

「この世界は、私の大切なこの子を、ようこそ、と喜んで受け入れてくれるのか」


あぁ、そういうことだったのか、と改めて腑に落ちる気がする。

わが子が6歳で、世界はこの子を受け入れてくれると、親が思えることは、親にとっても、子どもにとっても、とても大きなことなんだろうな。

世界がこの子を大切にしてくれるという安心と確信を、
わが子の姿と、お友だちの姿と、担任の先生を通して、
感じながら過ごす4月のあいだに、
いつのまにか親の不安が消えていたという記憶。


それは、普通学級に通うことで手に入れている、「目に見えないかんじんなこと」。
今日のように、あらたに入学前の子どもに出会わなければ、忘れている記憶。


世界はこの子を、いまこのとき、あるがままのすがたで、受け入れている。

この子に足りないものは、なにひとつない。

この子はこの子のままで、いま、せかいのまんなかにいる。
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