ワニなつノート

「自立」ということば

「自立」ということば


ちょっと前に本屋さんで『基礎から学ぶ社会的養護』という本を手にしました。

「基礎から学んだことはないな~」と思いながらページをめくり、「やっぱり、基礎から学んでる残り時間はなさそうだな~」とそのまま棚に戻しました(・.・;)

そのまま忘れていたのですが、高校の相談会のころから、ある一節が気になりだしました。

「どの子も地域の学校へ」と言い続け、「0点でも高校へ」と言い続けてきたけれど、学校や教育委員会ではなかなか通じなかった本質的なことが、そこにはさらっと書いてあったように思い始めたのです。

こんなに気になるのだから買ってこようと、本屋に行ったのですが、必要なのは3文だけでした。
さすがに3文に2600円は出せなくて、そこだけ覚えてきました(・。・)


厚生労働省が、自立支援について発表している文章だそうです。


          ◇

「児童が社会人として自立して、生活していくための総合的な生活力を育てることであり、
基本的生活習慣の習得や職業訓練だけを意味するものではない。」

「自立とは孤立ではなく、必要な場合に他者や社会に援助を求めることは自立に不可欠な要素であるから、依存を排除しているものでもない。」

「むしろ発達期における十分な依存体験によって育まれた他者と自己への基本的信頼感は、社会に巣だっていくための基盤となるものである。」


           ◇

これは、「自立援助ホームの概要」という一節に出てきます。

自分の仕事としての「こだわり」と、会の仲間と続けてきた「こだわり」は、やっぱり同じだと改めて気づきました。

学校での障害のある子どもとのつき合いも、援助ホームでの子どもとのつき合いも、「手をかすように知恵をかすこと」「手を借りるように、知恵を借りること」が当たり前のことだと思ってきました。

私が不思議な感覚になったのは、「援助ホーム」の仕事としての私の子どもとのつき合い方は「国」(厚生労働省)の公の見解と同じなのに、学校の「教師」や「介助員」の仕事としてのつき合い方は「国」(文部科学省)の方針とは正反対だったということでした。

上記の文を、「どの子も地域の普通学級で学ぶこと」として書き加えると、こんな感じでしょうか。

            ◇

共に学び育つ学校生活とは、
「児童が社会人として自立して、生活していくための総合的な生活力を育てることであり、
基本的生活習慣の習得や職業訓練や知的教科の習得だけを意味するものではない。」

「自立とは孤立ではなく、必要な場合に他者や社会に援助を求めることは自立に不可欠な要素であるから、依存を排除しているものでもない。」

「むしろ発達期における十分な依存体験によって育まれた他者と自己への基本的信頼感は、社会に巣だっていくための基盤となるものである。」


            ◇

どんな障害があっても、当たり前に地域の学校で受けとめられ、必要な場合には安心して援助を求めることのできる学校環境が、いかに大切か。

ひらがなを学ぶことや数を学ぶことだけを取り出して「援助」しようとすることで、忘れられるもの、奪われるものは、「社会に巣だっていくための基盤となる」「発達期における十分な依存体験によって育まれた他者と自己への基本的信頼感」なのです。
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