ワニなつノート

本のノート2012 (その1)

本のノート2012 (その1)


(P357)
子どもは、親が愛情深い世話をしている光景を目にするだけでも強い感銘を受ける。

四歳のときに母親が殺され、現在は十三歳の少年が、REOで乳児に接したときの様子をメアリーが語る。

少年は何人もの里親のもとを転々とし、攻撃的で、学校にもうまくなじめなかった。
髪を剃り上げてタトゥーを入れ、わざとすごんでみせている。

「ようこそ赤ちゃん」の授業で、誰か抱っこしていいわという母親の申し出に少年が手を挙げた。
母親は心配だったに違いないが、それでもわが子を少年に差し出した。

少年は優しく抱き留め、赤ん坊はすぐにその胸にすがりつき、肩先に顔を埋めた。
少年はそっと大切そうに赤ん坊を揺すっている。

あとで少年は指導員にこう質問したという。
「誰にも愛されたことがなくても、ちゃんと親になれるかな」


『子どもの共感力を育てる』
ブルース・D・ペリー  マイア・サラヴィッツ 
紀伊国屋書店


        ◇


《「彼」のこえ》

次の治療は、今週の金曜日から。
また1週間くらい記憶がとんでしまうかなーと思ったりします。
そこで、自分が毎日何を考えているのか、何を知りたいのか、それを忘れないように、できるだけブログを更新しようと思います。

とりあえず机に積んである本から、「つなぎたいもの」を抜き出してみることにします。
この作業なら、なんとか続けられそうです。
そうして、自分の中で「つなぐ糸」を探してみようと思います。


上記の少年の言葉を読んだ瞬間、このブログに何度か書いた子どもの声が聞こえました。

「おれもいい人になれるかな…。まだ、間に合うかな…」

保護所で出会った11歳の「彼」のこえは、あれ以来、ずっと私の中の何かを支えてくれていたのだと、こうした本を読んだ時に気づかされます。

         ◇


《大切なもの》

私たちの社会は、子どもに幸せになってほしいと願い、絵本や教育やスポーツや遊びや医療を準備しています。
子どもたちの人生に大切なものを贈りたいと願っています。
でも、私たちは、自分が本当はどんなものや思いに支えられて、人と人とのつながりの中で生きることができているのかを知らないでいます。

いつも空気を子どもにあげたいと願いながら子育てをしている人は、子どもが呼吸に関わる病気を持っているのでなければ、そうはいません。
自分にとって当たり前すぎたものを、この子にもどうしても贈りたいとは願わないでしょう。
その当たり前すぎたものが、どれほど大切な宝物であるかを知らなければ、それを大切にすることはできないからです。


            ◇


《「彼」が支えてくれているもの》

わたしがずっとやってきたことは、私が8歳のときに失いかけた「当たり前すぎるもの」が、どれほど大切なものであったかを確かめることだったような気がします。

自分がみんなとは違うから、この学校に、このクラスに、いられなくなる。
自分が悪い子だから、家族とも暮らせなくなる。
近所のクソガキ仲間や友だちや大好きな女の子や、母ちゃんや妹たちとも、「終わり」になる。
確かにあれは、自分が「終わり」になるかもしれないことだったような気がします。

だから、みんなと違うところがあったって、どんな障害があっても、みんなと同じ学校、同じクラスにいてもいいんだと言い続けてきました。
たとえ、家族と暮らせなくなったとしても、それはあなたが悪い子だからじゃない、あなたは少しも悪くない、だからあなたはあなたの大切にしたいものを大切にしながら、自分の人生を生きていいのだと伝え続けたいのだと思います。

その私を、「彼」のこえは支え続けてくれています。
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