木村は毎日のように土を掘って、観察を続けた。
今や何よりの教科書になったドングリの木の下や、
自分の畑だけでなく、山の中の様々な場所から、
山の麓の荒れ地まで、掘れるところはどこでも掘った。
踏みつけてその上を歩いていただけのときには
思いもよらなかったけれど、
畑の土と山の土はなにもかもが違っていた。
…
深く掘っても、山の土の温度はほとんど変わらない。
ところが、畑の土は10センチ掘るだけで極端に温度が低くなる。
リンゴの木はリンゴの木だけで生きているわけではない。
周りの自然の中で生かされている生き物なわけだ。
人間もそうなんだよ。
人間はそのことを忘れてしまって、
自分独りで生きていると思っている。
そしていつの間にか、自分が栽培している作物も、
そういうもんだと思い込むようになったんだな。
農薬を使うことのいちばんの問題は、
ほんとうはそこのところにあるんだよ。
農薬を撒くということは、リンゴの木を
周りの自然から切り離して育てるということなんだ。
山の土が温かいのは、微生物がたくさんいて、
活発に活動しているからだ。
だから、深く掘っても温度は一定だった。
畑の土が10センチ単位で温度が低くなるのは、
土中の微生物の動きが弱っているということだな。
『奇跡のリンゴ』 石川拓治著 幻冬舎
私が、一人で想像というか妄想の世界に入っていると、
リンゴと子どもたちの問題のつながりが、
見えずらいかもしれません。
で、今回は、そのまま「ワニなつ直訳」してみます(^^)v
☆ ☆ ☆ ☆
わたしは毎年子どもたちの足元の土を掘って、観察を続けた。
普通学級も、情緒障害児学級も、ことばの教室も、
中学校も適応教室も、普通高校と定時制高校も、
子どものいる場所はどこでも自分で体験してみた。
私が普通学級の上を歩いていただけのときには
思いもよらなかったけれど、
普通学級の土と、「特別な場所」の土はなにもかもが違っていた。
…
深く掘っても、普通学級の土の温度はほとんど変わらない。
ところが、「個別」の土は10センチ掘るだけで
極端に温度が低くなる。
リンゴの木はリンゴの木だけで生きているわけではない。
周りの自然の中で生かされている生き物なわけだ。
人間もそうなんだよ。
人間はそのことを忘れてしまって、
自分独りで生きていると思っている。
そしていつの間にか、自分が教育している子どもも、
そういうもんだと思い込むようになったんだな。
「特別な場所での教育」を使うことのいちばんの問題は、
ほんとうはそこのところにあるんだよ。
子どもを抜き出し分けるということは、
リンゴの木を周りの自然から切り離して育てるということなんだ。
普通学級や普通高校の土が温かいのは、普通の楽しみ、
普通の苦労がたくさんあって、活発に活動しているからだ。
だから、子どもたちは勉強は0点でも「高校に行く」と言い、
実際に、高校生活を誰よりも楽しみ、学び、
自信を持って卒業していく。
その「0点のまま」での自信は、深く掘っても温度は一定だった。
畑の土が10センチ単位で温度が低くなるのは、
土中の障害のあるふつうの子どもの、
「障害」ばかりに栄養を与えて、
「ふつうの子ども」が弱っているということだな。
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