ワニなつノート

HalとNaoちゃんの待ち時間(+やっち)(13)


HalとNaoちゃんの待ち時間(+やっち)(13)

Naoちゃん(7)のこと。
就学相談会で毎年聞かれる「不安」の一つに、
「45分座っていられるか?」があります。

Naoちゃんも、ちゃんとその予想に応えてくれます。
「しばしは自分の席を離れ」、「時には教室を抜け出し、
ブランコにいそいそと出かけてしまうこともあるとか…」。

私は、こうした行動を「問題行動」ではなく、
子どもの「適応行動」と呼びます。
初めての学校体験をする6才の子どもにとって、
当たり前の行動の一つだと思うからです。

もし担任がそれを「問題行動」とみれば、
周りの子どもたちも、それは「問題行動」だと認識します。
そこから、「問題」が起きてきます。

Naoちゃんの担任は、それを「問題行動」とはみていません。
すると、「自分の席を離れ、先生のイスに座る」Naoちゃんを、
みんなが「Naoちゃんセンセー」と呼ぶ雰囲気が生まれます。

そして、教室の外に出て行ったとしても、
「しばらくすると担任の先生が迎えに来てくれて、
娘は手を引かれ素直に教室に戻る」のであれば、
それをくり返すうちに、教室の外よりも、
教室の中に居場所ができるようになります。

大切なことは、教室から出ようとするときに、
無理に押さえつけないこと。
でも、「今は授業中だよ」と注意をすること。
休み時間には、一度は教室に誘いもどすことだと思います。

「席につかなくてもいい。細かいことは気にしない。
心配しない。子ども同士、成長していきますから。」
「間違いや失敗はたくさんした方がいい。
友だちとのやりとりの中で少しずつ学んでいくから。
そして親の失敗談もたくさん話して聞かせた方がいい。
親だってたくさん失敗を重ねてきたんだと分かれば
子どもは安心するでしょう」

1年生の最初に、こんな先生に出会えたNaoちゃんと
クラスの子どもたちは本当に幸せでした。
初めての学校のその雰囲気の記憶は、一生の宝物になるでしょう。

そして、何より幸運だったのはNaoちゃんママです。
ところが、こんなにいい先生でも、
Naoちゃんママは信頼できませんでした。

「先生がクラスで娘の病気を説明した上で、
『そういうことなので、みんなでお世話してあげましょう』と話した」
ことに引っかかったようです。

「みんなでお世話してあげましょう」という言葉は、
私もあまり好きではありません。
でも、問題は「言葉」よりは、先生のNaoちゃんへの接し方であり、
クラスの空気そのものです。
同じ言葉でも、それを発する先生の「心の中」を
子どもたちはちゃんと見抜きます。
だから、先生が「この子は何もできないから」と思いながら、
「お世話してあげましょう」と言えば、
子どもたちは「赤ちゃん扱い」してしまうことになります。

でも、Naoちゃんのクラスの場合、
そこには「Naoちゃん先生」という言葉からも分かるように、
同じ仲間という対等な空気が十二分にあふれています。

そこでは「お世話してあげましょう」は、
困ってる友だちがいたら手をかしてあげましょう、
というふつうの意味になります。

「クラスの子が強制されて、
仕方なく娘のお世話をしているのかと思ったら、
悲しくて悲しくて…」

これはまあ「1年生の子どもたち」が、
どんなに素敵な生き物かを知らなかった
Naoちゃんママの妄想だとして…(>_<)

こうした場面での一番の「問題」は、
親がそれを飲み込んでしまい、それを先生に「伝えない」ことです。

「私の気持ちを先生に伝えたいのですが、どうしても言えません。
そんなことを言えば、…先生は娘を見捨ててしまうかもしれない…。
とてもいい先生なだけに、
私さえ黙っていれば波風も立たず…と思い、
このまま言わないでおこうと決心したのです。」

この先生の場合には、もし何も言わなかったとしても、
Naoちゃんが我慢しなければならないことはなかったでしょう。

でも、もし本当に子どもたちがイヤイヤ「○○ちゃん当番」の
ような形で、先生に押し付けられたりしていた場合には、
親が遠慮することが、
子どもの居場所を息苦しくさせることになります。

『障害児の異議申し立て』という本に、
小学校4年生のキミエちゃんのことが書かれています。

キミエちゃんが学校に行きたがらなくなったとき、
母親は「困った癖が出はじめた」と考えたそうです。
それは、何かの理由があって登校拒否をするほど、
キミエちゃがものを考えたり悩んだりしない
という意識があったからだと言います。

ところが、ある時、キミエちゃんが
『あんたの面倒、見んならんからね』
『あんたはアホや』と
ひとり言を言っているのを耳にします。


「母親は驚いた。
今までキミエがこんなことばを使ったこともないし、
家では誰もそんなことをいう者はいない。
……一方的に面倒を見られる、教えられる状況の中で、
「『あんたの面倒、見んならんからね』ということばかけが、
キミエの心になんのわだかまりも生じさせないはずがない。」


親が息苦しいこと、ひっかかることをそのままにして、
子どもが安心できる居場所を守ることはできません。

気になることは、ひとつひとつ伝えていくこと、
ひとつひとつ確認していくことが、
子どもの居場所、子どもの笑顔、
そして子どもたちの関係を守ることにつながります。

そして、まずそれが順調にできるのもまずは小学校のうちです。
障害のあるふつうの子も、障害のないふつうの子も、
中学生、高校生になれば、親に泣きついたりはしなくなります。

Naoちゃんママはちゃんと書いています。
「…やっとの思いで気持ちを伝えることができました。
…伝えることではじめて、先生も私が何を考えているのか、
娘の学校生活にどんなことを望み、
どんなことを気にしているのかを
分かってもらえるのだと思います。」

親が先生にものを言うことは、確かにきついものがあります。
一人で悩み、考え続けても答えはでません。
「よし先生に話そう!」と
自分で自分の背中を押すことは、なかなかできません。

まして、初めての一年生の親であればみんな同じです。
だからこそ、親の「弱さの情報公開」が大切なのです。

困っているとき、誰かの手、誰かのことばが必要なのは、
「障害」のあるふつうの子どもたちだけではないのですから。
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