ワニなつノート

鉢植えの自信(その2)


鉢植えの自信(その2)

私の自信は「鉢植えの自信」でした。

8歳のときまで、私は、自分の「根」が、
みんなと同じ大地にあることを疑いませんでした。

でも、私の根だけ、みんなと同じ大地から引っこ抜かれたときから、
自分の根は、同級生たちと同じ場所にはないと知ってしまったのでした。

私の根は、私の意志とか感情とはまったく無関係に、
誰かの考え、誰かの力で、いつでも根こそぎ、
別の畑に植え替えられてしまうものだと知ったときから、
私が手に入れてきたものは、「鉢植えの自信」でした。

一度引き抜かれた「私の鉢」は、
そのまま普通学級の中に置かれました。
あれ以来、私の根は、みんなとは違う
「鉢植え」の土の中にありました。

8歳の時に失った「自信の根拠」。
自信の根拠とは、「人と人との現実的なつながり感」
と「一人の人間として尊重されている実感」です。

それは、いつ消えるかわからない儚いもの、
頼りないものであることを
8歳のときに私は知りました。

自分の居場所にいられなくなる不安。
家族と毎日一緒に暮らすこと。
近所の友だちと学校に行くこと。
そんな当たり前の日常が、根こそぎ揺らぐこと。

そうした基本的な生活すら自分の思いどおりにならないこと。
親もその強大な力には抵抗できないこと。
つまり、そこからは自分は守ってはもらえないこと。
自分にも、親にさえ思い通りにならない自分の居場所。
自分の家にさえ居場所がなくなる恐怖。

そんなことを、8才の子どもが考えるだろうか?
本当に、私はそんなことを、
心のどこかで考えていたのだろうか?
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