ワニなつノート

『知的障害者ともに大学で学ぶ』感想文(4)


『知的障害者ともに大学で学ぶ』感想文(4)

       

私が何度も読み返しているのは、当事者の声。本を閉じても、繰り返し聞こえてくる。

この講座には一般の大学生等も参加していて、「共同学習者」とされている。

【知的障害者と「ともに学ぶ」存在としての参加。大学生が知的障害者を支援するという位置づけをするのではなく、ともに学びながら相互理解を深めていくという特徴】なのだという。

だから、当事者の感想も、「いろんな意見が聞けるからおもしろい。この人はこう思って、この人はこう思うとか、違いを楽しめる」「協同学習者と話ができることを一番楽しみにしていた。友達とか増やしたいからです。」という声が多い。


      □


唯さんという女性は、中学校(特殊学級)卒業後、クリーニング、大学の清掃、パン製造、市役所等の仕事を経て、21歳から大手服飾メーカーに勤務している。

「高校も大学も行っていないから大学に来るのが楽しみ」

「現在の仕事に就くまでに何度も面接を経験し断られるのが嫌だから勉強したいなあと思って」

「職場の人たちとお仕事以外で遊んだりは、ないからそういうものを作りたい」

「病気のない普通のひとたちと接するのが楽しみ」

「自分のことを聞いてくれる人がいるのか心配」

「自分の人生は療育手帳をとったところから始まった」

(自分の夢)「しょうがいしゃやけんじょうしゃがいっしょにいられる店やのみやや自分の家や学校がえらべるかつどうがふえるようなじだいにしたい」


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圭さんという男性。

「高校1年生のときに養護学校に入って、『なんで私には障害があるんだろう?』と思った。」

「障害者とか健常者という区切りが好きじゃない。同じ人間なのになぜ区切るのか。養護学校の高等部に入ったときに、『自分には障害があるんだ』と感じた。友達に自分の障害のことを話したら、『意外だ』『気付かなかった』と言われた。自分の障害のことを話す友達は見極める必要がある。ひかれたら終わり。

お前はいらないと言われたこともある。知的障害があって困るのは、好きな物に触らせてくれない、好きなことをさせてくれないこと。就ける職業が狭いこと。掃除とかしかないし、給料も少ない。」

「小中の時にこれが出来てたらもっと楽しかったのかなと思います。今の職場で色々な人がいますが(中には嫌な人もいます)が自分の気持ちを相手にちゃんと伝えてみんな仲良くやっていきたいと思います。大変そうだけど、それが僕の大事な学びかな。」

「今日が最後でとても早いと感じました。またみんなに会いたいと思います。それと私を忘れないでください。」


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そして、私が何度も読み返すのは、どんな人かは分からないけれど、アンケートの隅にあった一言。

「小学校の時に先生とバレーをしたが、友達と一緒にバレーをしたことがはじめて。」


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これらの声は、【学習者は講座を受講することで何をどのように学んだのか】の研究の中で取り上げられている。そして「大学でともに学ぶ成果」だと書かれている。。


だけど私には、「子ども時代に分けられて、失ったものを、取り戻している」言葉として、聞こえる。


これが「大学でともに学ぶ成果」であるなら、私が出会ってきた「ふつう学級の子どもたち」は、みんな小学一年生でもっともよく習得していたな。

圭さんが言っているように、「小中の時にこれが出来てたらもっと楽しかった」学びであり、「高度に専門的な知を有する教育機関」だからできたと言うことでもないよね。。。。
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