ワニなつノート

子どもが二十歳を過ぎたら

子どもが二十歳を過ぎたら


《コメント~》
先日、高校の定例会?で「親の介護」をすることをyoさんが言った時、「初めて考えたけど・・」と言いながら、納得されていた人がいたと思います。私にとって意外な人?だったような・・。

ここ十年近くで、大勢の「目からうろこが落ちた」人を見させていただいてきました。わかる人には、わかるし、そんな人たちには居心地のいい集まりにちがいありません。
最初のころyoさんの突っ込みがきつくて、いつか「障害児の親じゃないくせに!」と言ってやる~と思って話を聞いていたりして・・。性格もっと悪いでしょ(>_<)

でもそのスタンスで鍛えられたので、行政や学校の人たちなんかと話す時、楽ですよ。悪役レスラー(正義の味方)みたいで(>_<)

今を充分、考えていたら、「親なき後」なんて心配ないんじゃないのかなって思ってしまいます。
私が今死んでも、ヤスは周りのお力で、高校受験させてもらえると信じてるし。
ヤスが介護してくれるのを旦那よりあてにしている私です。
全国的にいっても最先端を走っているということで、これからも頑張ってくださいませ。
(やすハハ)


     ◇     ◇     ◇


やすハハさんへ。
コメントありがとうございます(o|o)

個人的な愚痴のつもりで書いたのですが、コメントを頂いて、愚痴ではない、もっと大事なことを考えられるようになりました。

それは、違和感の中身が、自分のなかで分かりかけたということかな。

私は学生のころから、国や行政と闘ってでも子どもを守る、親たちの姿にあこがれ、たくさんのことを教えられてきました。
それは、アリスミラーが描いた「子どもの感情」を大事にしない「親」とは、正反対の在り方だと感じたのでした。

律子さんや真さん、伊部さん、純子さん、たっくんのお母さん、知ちゃんのお母さん、お父さん……、私はいまも、20代で出会った人たちを、心の基準にさせてもらっています。
子どもの立場に立つのはもちろん大前提ですが、その上で、私が「親」である一に伝えることが、伊部さんにうなずいてもらえるか、律子さんに認めてもらえるか、たっくんのお母さんに笑ってもらえるか。
そんなことを、私はいつもどこかで思っていたのだと、こんなときに思います。

9年前には、「障害児の親じゃないくせに」と私を階段から突き落とそうとしていた(?)母親に、『今を充分、考えていたら、「親なき後」なんて心配ないんじゃないのかなって思ってしまいます。私が今死んでも、ヤスは周りのお力で、高校受験させてもらえると信じてるし。』と、そういってもらえる『会』と『仲間』がここにはいます。

いまの私に、伊部さんは遠くからうなずいてくれて、「でもよー、yoくん、違うんだよな~」と、酒を飲みながらからんでくれるかなと思えます。そうして、私はその「違うんだよな~」の思いを、また一生懸命考えていけます。

ヤスははさんのコメントをもらって、気づいたのは、『子どもが二十歳を過ぎたら、親が考えなければいけないことは、「親が死んだ後の子どもの人生の歩み方」ではないんだろうな。』ということです。

あゆみちゃんのお父さんの言葉をすぐに思い出します。
「二十歳まで育てた。親の務めは果たした。あとは一人で生きていけ」

(正確な言葉がいま見つかりません。あとで原文を探します)

コメント一覧

yo
ritsukoさん
何度もコメントさせてしまいすみません。

私の話した「親なき後」ではなく、「親が要介護になった」ときの話を先にしようよ、という意見は、「本人の意思」を無視するものではありません。

世間一般にいう、「親の介護は子ども、家族がするべき」という考えは、私も微塵も持っていません。

もし、そんなふうなプレッシャー的な言葉になっていたとしたら、私が言葉足らずだったと思います。すみません。

私は思うのです。
子どもが親の介護なんかしたくない。
入院した親の世話なんかしたくない。
そう思えば、周りは何もしなければ、その「本人の思い」は実現します。

でも、もし、24時間介護の必要な人が、自分では親の介護も看病も家事も洗濯も何もできないけれど、少しでも親との最期の日々を安心して過ごしたい、と思ったときに、いまのこの国には、それをかなえてくれる、どれくらいの「人と資源」があるだろうかと。

私が考えていたのは、そんな感じのことでした。
すみません、いまも時間がないので、また丁寧に書きたいと思います。



ritsuko
子育てを子どもたちが20で終了しました。
それぞれに障害はありますが、それぞれの人生を歩んでいます。
だから一般の親のエゴでもある、子どもに面倒を見てもらうつもりもありません。
親の面倒をみるかどうかは、本人が決める事ですから。

私たち夫婦は老親の介護をしていません。
かといって施設に入っているわけでもありません。
両老親が望むような生活を続けられたらと思います。

意思決定は本人たちにあるべきです。

両親の考えはそれぞれ別々のようです。
もちろん私たち夫婦の考えも別々です。
ありんこ
お二人のやり取りを読んでつい笑ってしまいました。

「親なき後」の言葉には私もアレルギー反応を示してしまいます。
その言葉には当事者の暮らしは何処にも感じられなくて
「親がなくなったら誰が面倒見る!?」というニュアンスが伝わってくるからです。
けど、やすハハさんの境地には達していなくて私はまだまだ死ねないな~(苦笑)
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