新しい「ふつう学級」のために知っておきたい大切なこと
(その1)
《はじめに》
障害児が生まれると殺される時代が長く続いています。現代は「生まれる前に消される」出生前診断の時代に入りました。ダウン症とよばれる人とその家族・友人にとって最悪の「絶滅政策」時代でもあります。このことは、私たちが、障害のある子どもを大切にする人間の段階には届いていないことを現しています。
どこの国の障害児教育の歴史にも、いくつかの段階があります。
第一段階は「教育不可能」とみなす時代。
「何も分からない、覚えない、身につかない」と見た人が「あきらめた」教育放棄の時代。
障害児を人間と認めなかった時代。
障害児も動物も人間以下の存在とみなした時代。
第二段階は、そこから「あきらめず」に、「直す」「健常者に近づける」「ましにする」手段として、「教育」する人たちの手で始まりました。
それと同時に、捨てられ、閉じ込められた子どもを救い出し、人間の子どもとしてつき合い暮らそうとする人たちがいました。
そのときに、あえて「この子らも人間」だとか光だという言い方がされました。
障害のある子どもたち「も」人間だという証を必要とした時代です。
その証として、能力を「高める」教育や医療が語られました。
「あきらめ」⇒「教育の成果」としては、ヘレンケラーがあまりに有名です。
「医療の成果」としては、ポリオの予防接種による成果などが語られ、様々な訓練法が試されました。
基本は「直す」「近づける」であり、障害のある身体で育つ主体感覚の視点から、子ども時代に何を見るべきか、何を体験すべきかが語られることはありませんでした。
(今はさらに医療の進歩により、助けられなかった命が助かります。そして助けた後の、教育と生活の問題(医療的ケア)が、「合理的配慮」として語られるところまできました。)
第三段階は、障害児と健常児が共に育ちあう場所から始まりました。
「教育の場所」からではありません。教育する側には、同じ教室にいても、「無理・無駄・あきらめ」という意識が根強くありました。
だから新しい段階は、ただ一緒に「いる」ことから、始まりました。
子ども同士の「何か」がつながり、「新しい・ふつう・の成長」が始まったのです。
最初は、それが何か、どんな意味があるのか、そこからどんな「世界」が広がるのかに、誰も気づいていませんでした。
不幸なことに、そのころに養護学校が義務化されました。
そのために、一部の人が「気づきかけた大切な何か」は、場所の争いに巻き込まれてしまいました。
「分けて教育」する場所がいいのか、「一緒に教育」する場所がいいのかという、「場所の争い」に焦点が当てられてしまったのです。
本当は、子どもがどこにいても、「子どもが必要としているものは同じ」だということを語る言葉が始まるはずだったのです。
今年は、そのことを言葉にしてみたい。
40年遅れの理解のことを書きたいな(=゚ω゚)ノ
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