適格者主義」を越えて (その3)
21世紀になって「障害者差別禁止条約」「障害者差別解消法」が成立したことは、20世紀まで「障害者差別」が禁止されていなかったことを表す。戦後の日本の教育の場においても、障害児の教育はいつも「分けられ」「後回し」にされてきた。
よく「高校は義務教育じゃないんだから」と言われるが、その義務教育でさえ「重度障害」児は1979年まで猶予・免除されてきた。
同じ「障害」でも、盲ろう学校は小中学校と同じ1947年から義務教育が始まった。32年も待たされたのは「重度障害」「知的障害」の子どもたちだった。
そして、いま「無償化の高校」で「定員内不合格」にされ「待たされて」いるのが、その「重度障害」「知的障害」の子どもたちなのだ。
待たされても、共に学べるならまだいい。空いている席にさえ座らせてもらえないまま、待たされたまま死んでいく子どももいる。今年5月に19歳の若者が、そして11月には21歳の若者が亡くなった。二人とも来春の高校入学への希望を抱いて生きていた。
二人の高校生活への憧れと希望は、教育委員会が考える貧しい「教育の提供」ではない。高校とその先の一生につながる、仲間への信頼にあふれた人生への希望だった。
◇
ふと、「災害救援」という本の一節を思い返す。
【災害は人間の命を奪い、家財を破壊する。人々が生計を維持するのに精一杯だった時代は、被災者の救援は外傷の手当てと、食料や衣類など物質面での援助でよかった。心への救援は、物の陰に当然くっついているものだと思いこんでいた。あるいは、心の傷はしょせん一人ひとりが耐えていくものでしかない、と決めつけていた。
さらに豊かな時代になって、私たちは、世界は物だ、経済だと思い込み、それが災害救助にも反映しているのではないだろうか。だが、豊かな時代になればこそ、物以上に心の傷に配慮する必要がある。・・・】
この文章が書かれたのは、1993年北海道南西沖地震による奥尻島の津波被害の後である。
2019年の日本の災害対応がなぜ遅れたままであるかは、この文章からよく分かる。
何も進歩していないのだ。
何も変わっていないのだ。
障害であれ、災害であれ、定員内不合格であれ、「心の傷はしょせん一人ひとりが耐えていくものでしかない、と決めつけている」社会のままなのだ。
私たちは、その寂しいままの社会を変えたい。新しいつながりを生きる子どもたちが変えてくれると信じている。
だから、いま、無償化の高校から捨てられ続ける子ども、中退に追い込まれる10万人の子どもたちに、最後まで教育を贈ることのできる学校をつくりたい。
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