ワニなつノート

名古屋のお母さんたちと話していて、気づいたこと。(その5)


名古屋のお母さんたちと話していて、気づいたこと。(その5)


《忘れ物》

前回でひとまず終わりのはずだった。
でも、読み返したら、忘れ物だらけだった。



《忘れ物1》



親がいてくれること。
家の中で、子どもである自分が「有名人」であることの意味。
ずっと自分をみていてくれる人が、いること。


そうしたことを、考えずにきたのは、「親が生きていた」からだけじゃない。
子どもの頃、親を憎んだ時期があった。
そのことを抜きにしたら、話は伝わらない。


嫌いとか反抗のレベルではない。
小学生のころから、酔って暴れる父親への殺意があった。



このブログのタイトルにある言葉。
『子どもの屈辱をわかってやる感覚が、私たちにはまだ備わっていません。』

その答えを知りたくて生きてきたのは、「父親」と「教師」への、憎しみと怖れと闘うためだった。

「酒と暴力」と「8才の子どもが普通学級から分けられること」。
その二つとの闘いが、私の人生だった。


          ◇


こうして言葉にしてみて、「ああ、そうだったのか」、と自分で驚いている。

どちらも、「子どもの屈辱」に無関心な大人の姿だ。


そして、自分もそこから抜け出せた訳じゃない。

まだ途中だ。


途中……。

そうか、それで、まだ生きのびているのかもしれない。
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