ワニなつノート

通級で一石二鳥は 勘違い


【つ」通級で一石二鳥は 勘違い

「通級」の制度ができてから、「通級」に通う子どもたちは増え続けています。特別支援教育が始まってからはさらに勢いづいています。

通級のメリットとしてよく言われるのは、普通学級で「みんなと一緒」も経験できて、通級で「子どもに合った個別指導も受けられる」こと。両方のいいところが足し算できると思われています。

でも、放課後の通級だけならまだしも、普通学級での日常から、一人だけ抜き出される時間は、足し算ではなく引き算になっているということが忘れられています。そして、いつしか引かれる時間が積み重なって、もともとのこの子の居場所が、どこにもなくなってしまうことが、よくあります。

「飛ぶ鳥を落とす勢い」とは、いまの特別支援教育のこと言うのでしょう。みんなと一緒の空から、子どもたちが「落とされている」のです。


※【類語】→【お】「大人がどんなにがんばっても、子どものかわりはできません」

いつも、顔なじみの顔や声や安心がある。
困ったときには、誰かがそばにいてくれる。
手をつないでくれる子がいる。
顔をのぞきこんでくれる子がいる。
抱きしめてくれる子がいる。
笑いかけてくれる子がいる。
いつもふざけて笑わせてくれる子がいる。

なじみの友だちと絆ができ始めたころに、分けられてしまったら、人との関わりが喜びにつながらなくなります。その子の声や話し方、匂いやリズムや笑顔に安心と喜びを感じはじめたころに分けられる。それでは、安定した「つながり」の感覚を育てることができません。

人と人との、確かなつながり築くためには、飽きるほどに繰り返される安定と安心の日々です。通級や交流には、安定した「繰り返し」がどうしても足りません。「通級」や「交流」を考えた人たちは、「分ける」マイナスがどういうものかを考えられなかったのでしょう。

たとえば、赤ちゃんにとって、母親から別のもっと専門的な母親に「通級」するとき、通級はどういう意味を持つでしょう。家族と引き離したあとで、交流しましょうというとき、交流はどういう意味を持つでしょう。大人がどんなにがんばっても、子どもの変わりはできません。

しかも、子どものころの、大好きな仲間たちとの関わりは、私たちのストレスを調節する仕組みにもなっていきます。ヒデやコウタローくんは、初めての場所や暗い場所に入れませんでした。でも林間や合唱祭で仲間と一緒の時にだけ、「初めて」の「暗い」場所にも普通に入っていくことができました。それは、みんながいるところは安心の場所だとわかっているからです。不安やストレスを、自分で対処する術を、みんなのなかで覚えてきたからです。子ども時代とは、大人になってもつづく、自分の苦労に自分で対処する仕組みを、仲間とともに形作る生活の日々のことです。それが、一生の間、自分を助ける自分につながります。
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