夫の葬儀から、早3週間以上経過
3月に入り「お線香を」と言ってくださる方々がいて
我が家のリビングは、涙と笑いに包まれている
今まで聞いたことが無かったクラシック音楽を聴くようになる
毎日『アレクサ』で
「流行りの曲」 とか 「ジャズ」 とか 「歌手名〇〇」
を聞いていたが、亡くなる一週間前くらいから
その音が鬱陶しく感じ
「アレクサ、ショパンかけて」とか「モーツァルトかけて」
数百年聞かれ続けている重み・深みを感じている
先日、年金事務所に行く
担当者(40代女性)が死因の欄を見て
ご主人さま、めずらしいお病気だったんですね
いやそれがね、100万人に6~7人で・・・
え~っ
なんて話から、看取りの話では質問攻めになり
ここでも笑いを含めた(ほとんど)会話が続き
たぶん、予定の1.5倍ほどの時間をかけ
無事手続き完了
夫は、まったくもう・・・と呆れているだろう
さて、私の忘備録として・・・
夫を看取る事は今年になってから決めたが
その伏線となる出来事について
昨年12月
夫の荷物を取りにゴルフクラブに行った時の事
せっかくなので友人たちとのラウンド
その時担当になったキャディさんのご主人が、5月に亡くなったとの話だった
クラブを渡す時とか、近くに来て二人だけの時とかに
こそこそっと話したところ、ご主人は50歳代でガンだったそうだ
体格が良くて介護は大変でしたが、50キロ台まで痩せました
えっ!?下の世話もしたの!?それで家で看取ったの!?
はい、ヘルパーさん達に助けてもらいながら・・・
夫は下の世話をする時に、いつもすまないなぁと言うんです
でも私は何言ってるの!私がやりたくてやっているんだからいいのよ!
〇〇さん頑張ったんだねぇ 偉かったねぇ
キャディさんの服装はゆったりしていて分からなかったが
肩を撫ぜると、痩せていた
もう毎日寂しくて寂しくて
でも仕事を復帰したので、気はまぎれます
と・・・
ショックだった
そんな事 私は絶対言えないし出来ない
私がやりたいからやってる・・・って、そんなことあるわけないじゃない
あり得ない!!
その時は頭をトンカチで叩かれた位(たとえが古い)な衝撃を受けた
もちろん、帰宅しても夫にその話はしなかった
だって、俺もそうして欲しいなんて言われたら困る
夫はその頃はまだ、生意気小僧だったので
そんな優しい言葉なんてかけてなかったし
それを受け入れない自分とキャディさんを比較して
自分は冷酷だ、と言う気持ちに苛まれていた
今から思うと全く無駄な思考だし、精神的に一番不安定だったんだと思う
そのキャディさんとの出会いで選択肢も増え
自分の気持ちの折り合いも付けられた
あとは、ゴールに向かえばいいだけなので
腹をくくった後は、清々しい思いで生活していた
感謝です
そしてブログ
私の中では記事にすることで、自分の気持ちとも向き合えたし
サウナーじゃないけど
『整う』って感じ
パソコンに向き合う時間は気がまぎれるし
ブロ友さんの所へお邪魔すれば、前向きにもなれるし旅行もできる
そして
今になって読み返すと、忘れている事も多々あり
この1年間は私達夫婦にとって、とても濃密な時間だったことがわかる
書き残しておいて良かった
長い間、楽しくも無い夫の病気にお付き合いいただき
ありがとうございました
さて、haruharuさんから頂いたコメントに
まずは切れてしまったパスポートをとって旅に出ましょうよ
とあったように
そうだ!納骨したらまずはパスポート取得よ