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日々決意、日々後悔・・・
こんなvorinでも間違いなく進歩しているはずです!!

高齢者を強制的に管理できるようなシステムを作るしかないのでは?

2016-11-04 18:48:24 | 徒然日記
運転の87歳、車で徘徊か 自宅も素通り 横浜小1死亡


痛ましい事故です。

もし87歳の運転手が認知症だと診断されれば、

命を失った子供の親はどこに怒りをぶつければよいのでしょうか。

認知症の人に損害賠償請求はできないでしょうね。


鉄道の損害賠償請求の裁判で

認知症で徘徊していた夫を監視しきれなかった妻に

責任はないという判例が出ています。


つまり家族を責めることもできません。


認知症の人が事故を起こし、

それによって命を失った人がいても、

だれも責任を負わないということでしょうね。


今後どのようにすれば

こういう痛ましい事故が防げるか。


一定の年齢なったら運転免許証を取り上げてしまえばよいのでしょうが、

車がないとどこにも行けない場所に住んでいる人にとっては、

車に乗れなくなることは死活問題です。


もし免許証を取り上げるのであれば、

バスなどの公共的な移動手段を用意しなければいけません。


以前、夕張市の市長が点々と住んでいる市民たち(主として高齢者)を

市営住宅に集めるという努力をされていたのをテレビで見たことがあります。

点々と住まれるとインフラを維持するのにお金がかかるからです。


これと同じように

一定年齢に達したら強制的に決められた施設に移して、

行政が管理できるようにしてはいかがでしょうか。


閉じ込めるわけではありません。

運転免許証を取り上げてしまうので、

車が必要な時は施設が車を出すようなやり方で

高齢者の運転をなくすのです。


現在は自分の意思や家族の勧めで高齢者施設に入っている人であれば、

すでに同じようなことがされていると思うのですが、

それを強制的にやってしまうわけです。


元気な人が見守り役になって、

認知症の兆候を察知したり、

孤独死もすぐに発見できたり、

現代版の姥捨て山みたいな感じになるかと思います。


強制的であれば施設に入れても家族は心が痛みません。

認知症の人が知らぬ間に人の命を奪う心配もなくなります。


ただ、100歳になっても全然元気な人もいるので、

そういう人にとっては嫌でしょうけどね


ちなみにvorinは自由が少なくなるのは嫌ですが、

もしパートナーが先に死んでしまって独居老人になることを考えると、

強制的に姥捨て山に行かされるというのは、

それはそれでいいかもしれません


とにかく高齢者の監視を家族に押し付けることは、

核家族化の現代では限界があるということです。


このままだと認知症の人が起こす事件や事故は、

今後も増えるんじゃないでしょうか。
コメント (2)
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