ビバ!迷宮の街角

小道に迷い込めばそこは未開のラビリント。ネオン管が誘う飲み屋街、豆タイルも眩しい赤線の街・・・。

江戸情緒の和風ビジネスホテル~その1(都内)

2011年11月13日 | 旅荘・簡易宿所
 和風ビジネスホテルがとても気になります。昔は逆さくらげのマークがついていた「連れ込み旅館」と呼んでいたそうなのですが、今現在は和風ビジネスホテル、または「旅荘」と呼びます。
 ビジネス・・・こんなに都合の良い響きがまたとあるでしょうか?お父さんが後ろめたい事を突かれた場合、ここぞとばかり「これは仕事の上の付き合いだから仕方が無いだろう!」といぶかる妻を叱責しつつ煙に巻く時、「ビジネス」の言葉の威力は絶大です。
 もうお仕事ならしかたないわね!

 今回ご紹介するビジネスホテル(旅荘)とは、営業や出張などのお仕事の為や、観光ホテルを敬遠して旅費を抑える旅行者のための簡易宿泊施設としての事ではありません。なんだかウドン屋と蕎麦屋と小料理屋がごっちゃになったような外観の純和風を売りにしたビジネスホテルです。そういったビジネスホテルはラブホテル街に存在する事が多いようですが、殆どの場合、その前身は、連れ込み旅館でした。その他、芸者さんとの宴席を持つ御茶屋さん(待合)が不景気で連れ込み旅館に転業したり、もともと日雇い労働者の木賃宿(ドヤ)だったり・・・様々です。
 和風ビジネスホテルはやはりその古風な外観こそ命。仲居さんが接待して、中に景色抜群の露天風呂でも装備して居るんじゃないだろうかとさえ思わせてしまう、ビジネス旅館をご紹介いたします。

 吉祥寺「旅荘 和歌○」
 
 神田川の源流でもあり吉祥寺の駅から近い井之頭公園にある井の頭のお池は、徳川家光候のお鷹狩の場所として、また井の頭の池に浮かぶ井の頭弁財天は、江戸郊外の名所として古くから人々に親しまれておりました。そんな場所にある緑色の外壁が木立に溶けて眩しく微笑む和歌○です。
 

 

 料金表の看板が扇型なのが洒落ています。吉祥寺は、戦後は連れ込み旅館のメッカで、池の周辺は旅館だらけであったと言います。現在は静かな住宅地に囲まれていますが、和歌水はそんな数少ない連れ込み宿の生き残り。池の北側の繁華街の近くには小規模ながらホテル街があります。
  

 駒込「江○駒」
 江戸時代、城下に暮らす諸大名の娯楽と言えば、広大な下屋敷に繰り広げられた日本庭園造りで、その庭園を飾ったのが駒込で生産される桜やサツキといった花々の立木でした。また駒込には六義園、旧古河庭園など、都内でも屈指の日本庭園が現存していて、町全体が風雅な雰囲気に溢れています。駒込駅の近くにある坂道を登ると神社があり、その石段脇に立つ江○駒。入り口には植木と石を配して江戸情緒を存分にアピールしているようでした。なんといっても石段の隣というロケーションがたまりません。
   

   

  

 高田馬場「多○旅館」
 高田馬場は言わずと知れた早稲田大生が多く集う街。いわゆる新宿や池袋のような大規模な歓楽街というものは形成されていないようです。しかし、小さな通りのそこかしこに連れ込み旅館があったであろう通りが残っていて、今はラブホテルやスナックに転業したりしているようです。この多○旅館、所々下目張り板だったり、石張りの壁だったり、チグハグの印象を受ける外装が、かえってお洒落な雪山の山荘のようにも見えます。
 

 今は民家ですが、やはり連れ込み旅館のような建物もチラホラ。
  
 
 
 目白「ビジネス塩○屋」
 目白駅周辺は皇室の方々もご通学されていた学習院があるために歓楽街は形成されていません。しかし大きな目白の大地を掘削して通された山の手線の駅の傍は、切り通しの崖になっていて、坂道沿いに料亭や風情のあるお稲荷さんがひっそりと並んでいました。目白から下落合、中井にかけての台地は、戦前は高級住宅地で、政治家、洋画家、文人達の住まう豪奢な洋館と、広々とした田園が織り成すのどかな場所であったということです。ビジネスホテルひとつとってもこの雰囲気、確かに頷けます。
    

 入り口の目隠し。


 近くにあったとある大豪邸の洋館に引けを取らない堂々とした和風ビジネスホテルです。
   

ビジネス旅館・・・そこは都会の風雅な隠れ里。
 和風ビジネス旅館~その2へ続く。

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