ビバ!迷宮の街角

小道に迷い込めばそこは未開のラビリント。ネオン管が誘う飲み屋街、豆タイルも眩しい赤線の街・・・。

高台の迷宮・文士村~その2(新宿区・下落合)

2013年08月11日 | 近代建築
 文士村巡り、今回は下落合文士村です。西武新宿線の中井駅、および下落合駅の北側は、目白の台地で、旧華族、財閥、そして文壇、画壇の作家たちの住居が立ち並び、古くは徳川家の鷹狩の場所として市民はお留められる土地で、今もその名残で「おとめ山公園」という公園が残っています。
 
 目白駅周辺は言わずと知れた学習院がある場所で、ハイソな雰囲気ですが、下落合文士村周辺は、おそらく農地を開拓した居住区で、現在は古いお屋敷の立て壊しも進み、かつての高級住宅街であった頃の雰囲気はわずかしか残っていないようです。
 
 洋館の聖母病院と、目を引く古い門構えの家。
 

 古びた民家や管理されていない廃墟の中に、ひっそりと青白く佇むのが、パリの街角を描いたことで有名な画家、「佐伯祐三のアトリエ記念館」です。
 

 数年前にお邪魔した時は、藪の中に佇む、ペンキの剥げたお化け屋敷のような雰囲気でした。しかし、晴れて新宿区が再整備し、母屋を壊して(勿体無い!)採光のために高い天井を設けたアトリエ部分と、佐伯自身が増築したという洋間と離れの茶室だけが、再現されていました。部分的にオリジナルの古建材でしたが、綺麗過ぎて物足りなさを感じました。
 
 
 しかし、佐伯の作品や人生について何も知らない私は、その生涯を紹介した映像に感動しました。パリから帰国後、大正時代の好景気の時に、裕福な親族の援助を受けて、この下落合に完成した豪華なアトリエでの、画家としての活動は4年ばかりで、再び目指したパリにおいて、体と精神を病んで亡くなった佐伯と、物悲しい街角の空気すら写し取ったようなパリの画風に言い知れない気持ちがしました。
 

落合でみかけた佐伯祐三の描くパリの街角のような店舗。


 今度は「中村つねアトリエ記念館」です。同じ下落合ですが、佐伯のアトリエからけっこう歩きます。37歳で夭折し、その作品数が限られている洋画家ですが、新宿中村屋の創始者が設けた文化サロンに出入りしたり、親族の援助があるなどして、幸福にも立派な赤い瓦屋根のアトリエを設ける事が出来た画家です。不勉強で知らない画家でしたが、エルグレコの祭壇画のような縦長に伸びていく空間と、病弱であった故に、どこか悲痛な雰囲気を漂わせた洋画が印象的でした。整備されている以前は鬱蒼と木が茂っていたのに、現在記念館の庭は綺麗になりすぎて、観光地のレストランみたいでしたが、内部は当時の古い家具とボロボロの床板をあえて残していて、とても貴重な資料だと思いました。
 

 中井駅から近い、「林文子記念館」は必見です。晩年の作家、林芙美子が立てた住居です。林芙美子の名はその作品よりもむしろ、女優森光子が一世一代の大当たり役として演じていた菊田一夫脚本の舞台「放浪記」のほうで有名かもしれません。本来ならば歩くのもやっとの高齢の森光子が、毎回でんぐり返しをやってのけた大ロングランの舞台です。そのでんぐり返しを行うのが、現在も多くのビジネス旅館が軒を構える新宿4丁目、旭町と呼ばれていた通称ドヤ街の木賃宿です。新宿高島屋が建ったことで、随分町の印象が変わりましたが、この界隈は、つい10数年前程前まで連れ込み旅館や、生コン工場がひしめき合う甲州街道沿いの掃溜めのような場所でした。
 
 今も残る、ビジネス旅館の一泊の料金は驚愕。入り口の色っぽい意匠も、連れ込み宿だった頃の名残でしょうか?
 

 その日暮しの労働者達と共に、粗末な布団の端で、文章をつむぐ貧しい女性・・・女流作家を目指していた芙美子は、ある日自分の作品が世に出られる事を知って、男たちの前で、狂喜してでんぐり返しを行うのです。当時貧しい着物の女性がパンツを履いていたのかどうか・・・しかしそんな事を差し置いてもでんぐり返しをしないではいられない程に嬉しいという名シーンです。しかしそんな喜びと引き換えに、同室の妹のように可愛がっていた女性は、遊郭に身を売らねばならない事態に陥ります。やがて女流作家の第一人者となった芙美子は、人の犠牲や妬みの上に、自分の作家としての不動の栄光が築かれていく事に疲れていき、誰もが羨む下落合に建てた御殿のような自宅の書斎で、転寝をするうちに幕・・・というのが舞台「放浪記」の大まかなストーリーです。
 
 
 現実の芙美子も、晩年この記念館になっている住居の建設に並々ならぬ力を注いだと言います。京都の嵐山を模したであろう、孟宗竹の竹林が印象的な玄関口。庭の奥に設えた茶室・・・たしかに贅沢の極みでした。


 林芙美子記念館に行った後、不思議な体験をしました。その一週間後に、随分落合から離れた場所のとある表具屋さんに行くと、通常ならお目にかかれないような立派な文楽人形(お染久松の久松)が飾ってありました。表具屋の主が、私の人形が入ったガラスケースに向けた視線に気付いて「林さんのお亡くなりになったご子息のものです。一対のお染さん人形のほうは、まだ旧居の、たしか記念館になってる場所にあるらしいですよ。」と喋るのを戦慄しながら聞いたのを覚えています。今もお染さんと久松さんの人形は互いに呼び合っているのでしょうか?
 

 目白駅方面に向かう頃には、お屋敷町に相応しい門構えの家が多くなります。その中で、見た目はごくごく普通の民家ですが、実は内閣総理大臣にして公爵の爵位を持つ近衛文麿邸の一部だった家屋があります。周辺の近衛町はすべて近衛家のお屋敷の土地だったと言われていますが、財閥や華族の解体後、邸宅の一部であれ、よく残っていたな~と思います。現在は着物などの展示を行うカフェとして親しまれています。
 

 そして日立倶楽部は、財閥の社交クラブです。未来都市の要塞のようなデザインに目を奪われます。
 

 高台から見る景色。JRのトンネルを抜けると、高田馬場界隈で、左の坂道を登ると、目白駅にたどり着きます。
 

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