ビバ!迷宮の街角

小道に迷い込めばそこは未開のラビリント。ネオン管が誘う飲み屋街、豆タイルも眩しい赤線の街・・・。

スナックゆの花(長野県上田市)

2015年03月03日 | 赤線・青線のある町
先日、信州は大停電と情報があるにも関わらず、新幹線でかろうじて電気の通っている雪の軽井沢まで行き、そこから各駅のしなの鉄道に乗り換え、上田駅から別所線に乗り換え・・・都内から4時間かけて行ってきた「別所温泉」。そこは箱根と信州の鎌倉と異名をとるぐらい、仏教寺院が多く、印象としては箱根と鎌倉を足して小さくしたような場所でした。

 終着駅別所温泉駅へ。時代を感じさせる近代建築でした。
 

 温泉街まで、勇壮な夫神山を望みながら坂道をひたすらあるくと、「北向観音」の石造りの門が見えてきます。
  

 厄除けで名高い「北向観音」は平安時代、比叡山延暦寺の慈覚大師によって開創されたそうです。南向きの善光寺と合わせてお参りするとはじめてご利益があると言われています。善光寺に似た破風の形や年月ですすけた材木に貼られた千社札が印象的でした。


境内にある「温泉薬師瑠璃殿」。こちらは境内の前に流れる湯川が氾濫した時に流されて、水を避けるように崖の下に再建されたものだとか。縁の下の木組みが綺麗です。奉納されたおカイコの繭で書かれた北向山の絵馬。上田市では上田紬が作られ、養蚕が主な産業でした。


寺院の前を流れる湯川沿いに土地が大きく凹んでいて、そこだけ別世界のミニ参道になっていました。現在はは小さな川ですが、昔は大きな流れだった跡でしょうか。 
  

 別所温泉は、日本武尊が見出したと言われる古からの湯です。湯川沿いには「大師湯」というお堂を模した共同浴場もあります。家族風呂のような小さな浴室なので、地元の方と楽しくお喋りをしながら入浴しました。硫黄の匂いが強烈でしたが、それゆえに皮膚疾患などには効果がありそうです。周辺には至る所に温泉が引いてあって、お湯の洗い場までありました。
 

 「常楽寺」は、北向観音の本坊です。現在も茅葺きのスタイル。


 別所神社には、農村歌舞伎を上演していたのでしょうか?大きな舞台があって、そこから独鈷山という尾根が鋸型の尾根が見渡せます。
 

 「安楽寺」の国宝三重塔は八角の屋根の梁が幾何学模様を描いて連なる様子が優れています。北条氏の加護を受けて鎌倉時代に建てられたものが、現存しているのは大変貴重だと言う事です。複雑な図形を描く梁の様子、眺めるだけで瞑想を十分誘います。
 

 赤線は、上田の市街地にあるのですが、こちらの温泉街にも遊郭跡と思しき建物がありました。長野県は表向きは廃娼県なので、遊郭ではなく料理屋と呼びます。一見、料理屋なので、小料理屋や定食屋と見分けがつかないのが特徴です。ですので、弱気に撮影しました。

 大通りと違ってなんだか、怪しさあふれる通り。
 
 
 レトロな用品店に、軒や柱のデザインがモダンな家。
  

 一見、素泊まりの旅館風なのから、スナックまで様々。
  

 火山岩に見せかけたセメント加工、粋ですね。
 

 スナックゆの花、そしてスナックちゃこ!!
 

 もちろん民家かもしれませんし、想像するだけですが・・・。
 

 目を奪うタイル物件。
 

上田の市街地に戻り、上田遊郭(新地)に向かいました。真田氏の居城上田城の北側で、駅から徒歩で40分以上。1972年まで鉄道が通っていたのですが、廃線で、現在駅も更地になっています。かつて養蚕業が盛んだった上田市では、多くの絹糸業者が訪れた事でしょう。蚕糸業の繁栄と共に、夜の街も賑わいます。市を上げて遊郭を盛り立てる為に、明治の廃藩置県で老朽化するのみの上田城の櫓を、料理屋(遊郭)の店舗にするために売却した事もありました。しかし華やかな時代は去り、現在はスナック一軒すら見当たらないただの住宅地となってしまいました。

 廃線となった花園駅跡地は物悲しい砂利道に。新地の入り口は立ち食い寿司か、うなぎ屋と相場が決まっているので、入り口はすぐ分かりました。
 

 他の住宅地と違って、道が不自然に整然としてくると、そこは新地です。吉原に習って、大通りを挟んで、左右に店舗が区画に沿って建てられたようです。
  

 お堂が、大通りを見据える形。出梁造りの旧遊郭時代の建物も。格子などが昔はあったのかもしれません。
 

 凝ったただの民家なのか、それとも料理屋なのか・・・かろうじて、塀の意匠で分かる程度でした。
 

 駅の近くの繁華街には面白い通りがありました。花やしき通りです。古き良き浅草のお笑い界を舞台にした映画撮影ために、上田劇場という古い映画館が雷門ホールとして使われて、看板がそのまま残っていました。
 
 

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