エッセイ的な何か

エッセイ的な「何か」です。
エッセイなのかコラムなのかダイアリーなのか自分でもよく分かりませんが「何か」です(笑)

カテゴライズ

2008-04-08 | ちょっと考えた事

物事をカテゴライズする行為というのは、その物事を「分かり易くする」という意味でとても有効な手段だと思います。
始めて触れる場合であっても、あるカテゴリーで検索した結果見つけた物だったりすると、予めおおよその見当を付けられるという効果が考えられるし、既に持っている資料もだたそのまま抱えているよりも、カテゴライズして管理しておくと後に利用しやすいし、分かり易くなります。

ただ、逆にこのカテゴライズという行為に捕らわれすぎて、逆に物事を難しく考えてしまっり、混乱しちゃったりすることもあります。
最近では、自分のこのブログを書いていて「はて?カテゴリーは何に該当するかな?」とか思ったりする事も多いです。
俺の場合、とりあえず頭の中にあるイメージというか漠然とした思考を文字に置き換えるという形でまず先に記事を完成させます。そして、その記事に見合ったタイトルをその後に考えて、最後にカテゴリー及びジャンル(gooブログには「カテゴリー」と「ジャンル」という区分があります。他のブログのシステムはよく分かりませんが、ブログによりそれぞれでしょうね)の区分をします。
そのカテゴライズの部分で、「こっちかな?」「いや、こっちにも当てはまるな」「でも、こっちの方が今回はだとうかな?」とか、そんな感じです。

しかし、よくよく考えてみたら(いや、考えるまでも無いことなんですが)、ブログに限らず、世の中に存在する全ての事物に関して、何かをカテゴライズするというのは、そもそも人間が自分自身にとって、その方が理解しやすく、扱いやすく、整理しやすくするために、自分で後付的にルールを決めて、それに従って区分しているに過ぎない事なんですよね。
世の中は「カテゴライズのルールが既に有りき」で始まった世界ではなく、存在する物はあるがままに存在しているだけ。それをカテゴライズするのは人間の勝手。と言うことです。
だから、上手くカテゴライズ出来ない物なんて有って当然だし、カテゴライズ出来ない物、どのように捉えて良いのか分からないものなんてのも無数に存在します。

ブログの場合を例に挙げましたが、ブログなんて自分で好きでやってて趣味みたいなもんで、そもそも自分でカテゴリーを自由に作成できる分には、多少「?」と思う部分があっても、さほど苦労することも無いだろうし、あまり支障は無いし、大雑把でもたいして問題有りません。
ただ、これが、学問だとか仕事に絡んでくるとなかなかに厄介なものになってくるんですよね。
特にテストなんかでは「次の○○は、a~bのどの種類に分類されるか?」とかいう問題をやった記憶ありますし、仕事でもある統計を取ったりする作業の時に「これって、こっちにもこっちにも被るんだけど、どっちに集計すればいいんだ?」なんて場面があります。

「aにもbにも当てはまる」若しくは「aにもbにもcにもdにも当てはまらないぞ」なんてものも当然あるわけで、たまにはカテゴライズに拘らず「ありのままのこと」はその「ありのまま」で捉えても良いんじゃないか?とか思ったりもするのですが、テストや仕事では正解が求められているので、その正解を覚えないといけません。まあ、幸いにしてそういった物にはおおよそ「正解」というものが存在しているので、それを覚えるように努力すれば良いわけですが、仕事やテストなどと言った必要で覚える分はともかくとして、それ以外の部分、ブログを始めプライベートであれやこれやをカテゴライズする際には

カテゴライズという行為に捕らわれすぎて、逆に物事を難しく考えてしまっり、混乱しちゃったりすることが無いように気を付けよう

と、最近は心がけています。
アクセスアップにばかり気を取られすぎて、ブログを書くのが苦痛になったり面倒になったりしないように・・という事を『「ブログのネタ」は考えない』という記事でも書きましたが、それと考え方の根本は一緒です。
目的と手段を見間違えないように。
カテゴライズが難しいなと思ったら、

ありのままのことはありのまま受け止めてみよう

と思っています。

って、あれ?ブログで書きたいネタが浮かんで、その前提としてカテゴライズの話が必要だなと思って、この記事を書いたんだけど・・・・その元々何を書きたかったんだっけかなぁ?俺(笑)
これを書いてる最中に忘れてしまいました。思い出したら書いてみます(笑)