エッセイ的な何か

エッセイ的な「何か」です。
エッセイなのかコラムなのかダイアリーなのか自分でもよく分かりませんが「何か」です(笑)

やれば出来るんだけど、やらないだけだ

2008-06-17 | ちょっと考えた事

特に脈絡無く、ふと思い付いた事なんですけど
「やれば出来るんだけど、やらないだけだ」
という文句。
通常は悪いイメージで使われます。
「やれば出来るなんてのは嘘だ。ただの言い訳だ」とか「たとえ出来るのだとしても、やらなければ意味がない」とか、まあそんな感じで。
確かに、出来る出来ないはともかくとして欲しい結果が得られないんじゃ、「いくら出来るんだ」と言われても全く意味がありませんね。

ただ、それはそれで確かにその通りなんだけど、本当に文字通り
「出来るけど敢えてやらない」
って場面もあるなあ~。・・・と言うことをボンヤリと考えました。
「出来ること」特にかなりな余裕をもって、簡単に片付けられるものほど「ん~、こんなのいつでも出来るし後でいいかな?」とか思ってそのままにしておく事が多いなあ。なんて、自分自身を振り返って思ったわけです。
仕事で期限が定められてるようなものだと、そんな悠長な事は言ってられないし色々と責任も掛かってくることだし、後々めんどくさいので出来ることは出来る内にこなしてしまうようにしてますけど、プライベートに関連しての事になると、出来ることほど後回しにしてる部分って多いかもしれない、とそう思い当たる節が多かったりします。
で、考えてみるとそういう後回しにしてしまっている事って、もたいして被害を被ることもなく、影響も少ない事柄だからこそそうやって後回しにしているわけで、だとすれば
「やれば出来るんだけど、やらないだけだ」
って言葉の意味の中には、
「やれば出来るんだけど、(特に早急にやる必要性が無いから)やらないだけだ」
という場合もあるんだなあ。とか

で、何が言いたいのかというと、「価値観の押しつけは良くない」という話に繋がっていくんですけど、そもそもやるべき事、やらなければならないこと、なんていうのは、それぞれ個人の価値観によって、それぞれの個人が望む「こうしたい」「こうなりたい」という願望を達成したいが為に行うわけで、個人的な価値観を勝手に物事の基準に据えて「~をしなければならない」とか「何故~しないの」とか・・・・その程度ならまだ可愛いレベルですが、「そんな事も出来ないの?」と勝手に決めつけられても迷惑だという話です。(仕事や、何かの義務としてやらなければならないようなことを放置するという場合を除いての話です)
そこで、本当に興味が無くて、自分自身としては価値を見いだせないから
「別にやろうと思えばできるけど、(必要性を感じないから)やらないだけだ」
と言ったとしても、この言葉は「まけおしみ」として捉えられてしまうという理不尽さがあるな。と。

と、敢えて「これが言いたかった」という部分を書くとすればこんな感じですが、今回は別に強くなにかを主張したかったのではなくて、本当にただなんとなく「ボンヤリとそんなことを考えました」という記事でした。