エッセイ的な何か

エッセイ的な「何か」です。
エッセイなのかコラムなのかダイアリーなのか自分でもよく分かりませんが「何か」です(笑)

「当然の行為」が酌量の要件になるってどうなんだろ?

2008-04-23 | ちょっと考えた事
今、世間では「光市母子殺害事件」で被告人に死刑判決というニュースが大々的に取り上げられていて、ニュースではまずこの件に関することを目にするけど、まあ俺も「当然の結果」というか、裁判所がまともな判断をしてくれたなあと感じてます。
世論も「妥当」という意見が大多数なようで、この件に関しては、まともな世間の感覚に個人的に一安心しています。
この件に関しては俺も「至極妥当だ!」という意見です。他には特に述べたいことも無いです。ただ、話題のネタだったので一応書いてみました。

さて、これとは話は変わって、こちらはかなりのローカルネタになるのですが、青森県の地元ニュースでこんなのがありました

スーパー売掛金横領。懲役3年6月判決/地裁弘前

テレビでも、地元のローカルニュース番組で取り上げられていた記事ですが、これを見てちょっと疑問に思ったこと。
何もこの件に限った事じゃなくて、他の横領事件や窃盗事件でも言えることだと思うんですけど、この件でもリンク先の記事中にあるように

『~一方で、被告が被害弁償として473万円を支払っていることなどを酌量した。』

というこれ。
一見、「返そうとしてるんだ。酌量の余地有りだなあ」と確かに思えそうだけど、よく考えてみるとおかしくないかな?これ。
横領したり、盗んだりしたものを返すのは「当たり前」の事なんじゃないか?と。

5000万っていう大きい金額だから、分かりやすく、ちょっと単位を落として「友人から100円盗んだ」という想定で考えてみると、友人から100円盗んで、それがバレた。→悪い悪い100円返すよ。で済まないでしょ?
盗んだものを返すのは当然。本来その友人の物なんですからね。
じゃあ、盗んだという不法行為に対する制裁はというと、100円を返す行為とはまた別に、その不法行為を行った制裁として考えないと駄目でしょ?
どんな犯罪だってそう、犯罪を犯そうとして失敗したから「分かった分かった、じゃあ返す」で、済むものではありません。返すのは「当然」。

だったら、この横領の場合も「返済したことが酌量の余地」ってのが、なんなんだろうなあ?と思ったんです。
返すのは当たり前・・・というか5000万に比べたら全然返せてないし?
と俺は思ったのですが。

盗んだものを返す。横領したものを返す。
それは、当たり前のこと。やらなければならないこと。
なのに、この当然の事をしたことが「酌量の余地」になるっていうのは、なんというか、イマイチ納得できないなあと思いました。
なんだろ?「盗んだものを返さない、横領しても返さない」が基準なのかな?そこに基準があるから、返すという当然の行為をしただけでも「酌量の余地がある」と好意的(?)に受け取られるんだろうか?
だとしたら、基準の置き場所間違ってないかな?と、俺なんかは思ったりしたんですけれどもね。
酌量される位だから、「当然以上」の反省が必要なんじゃないの?返すのは「当然」の事だろ?と。

原状回復は「なされて当然」ではなくて「なされるとまだマシな方」という事なんだろうか?
それって、なんか嫌だなあ。被害者泣き寝入りかよ?とも思いましたが・・・これは極論かな?
ともあれ、そんなことを考えました。でも、考えてみれば「当然の事」をして情状酌量されることが多いなあとか思います。
過失犯罪なら分かるけどさ、故意犯にそれってどうなんだろうなあ・・・・