エッセイ的な何か

エッセイ的な「何か」です。
エッセイなのかコラムなのかダイアリーなのか自分でもよく分かりませんが「何か」です(笑)

良い写真、凄い写真

2008-10-27 | ちょっと考えた事
素人には善し悪しが分かりづらいものって、結構あると思うんです。
例えばワインとか、楽器の音色とか、料理とか。
よくテレビで有名人の格付けとかやってたりしますけど、あんな感じです。
何千円のワインと百万円するワイン・・・実際俺も分からないと思います。楽器の音色なんかも、楽器よりも奏者のレベルの違いの方が大きいと思いますし、もうあのレベルの違いなんて、本当のその道のプロの人じゃないと分からない位の差というものってあると思うんですよ。
そりゃ、極端にマズイワイン、例えば保存状態が悪くて酸っぱくなってしまったワインと美味いワインの違いならすぐ分かると思いますけど、そういう極端な違いでも無い限りなかなか善し悪しの差がわかりづらいものっては、結構ありますよね。

で、俺は写真ってのもそういう物のひとつだと思ってますし、思ってました。
絵と違って写真はありのままそのままを写すわけですから、模写の技術に差は無いわけで、(これも、前述の通り極端なピンボケだとか、手ぶれなんかの写真は論外としてですよ)素人目に見たら、善し悪しを判断するのは難しい部類のものだと思うんですよ。
でも、俺自身が旅行をして、ブログにUPするために写真を撮り歩いて、最近ふと思うことがありました。
それは、写真の善し悪しというのは、結局の所「如何にその場の感動を写真の中に切り取って、その感動、雰囲気、臨場感を伝えることができるか」だと言うことです。

北海道旅行をして、特に感動したイメージが強いのが弟子屈町の「摩周第3展望台」や浜中町の「アゼチの岬」、礼文島での「桃岩展望台」なんかは、その景観に圧倒されて、凄く感動しました。
で、実際に写真を撮ったわけですが・・・・確かに、撮った写真にはそのままその通りの情景が写っています。写ってはいるんですが、やっぱり何かが違うんですよね。
言葉にするとそれこそ、感動や臨場感、や雰囲気といったものなんですけど、そう言うのがいまいち感じられない。
確かに雄大な風景が写っているけど、それだけ・・というか、そういう一枚の絵がそこにあるだけというか。そういう感覚。とてもじゃないけど、実際にその場で感じた感動までは伝わってこない。

実際に自分でそういう経験をして思いました
「ああ~、プロのカメラマンというのは、きっと写真でそういう感動を伝えようとしているんだなあ」と。

素人目に見て、「上手い写真」というと鳥の羽ばたく瞬間だとか、朝日が昇る瞬間だとか、ダイヤモンドダストだとか、そのシーンだけで絵になる場面ってのはあると思うし、一見するとそのシーン、テーマだけで凄いと思っちゃいそうで、そしていざ素人が良い写真を撮ろうなんて思うと、変に構図に凝ってみたりだとか、そういう何かの瞬間やら、光の演出に拘ろうとかしちゃって、なんて言うんだろう?小手先の小細工に走っちゃうと言うか・・・・そんな感じがします。
でも、違うんだなあと。
本当に凄い写真というのは、写真を見ただけで、実際にその場に居るかのような感動、臨場感、雰囲気を味わうことが出来る写真なんじゃないだろうか?と。
そう思うと、写真の善し悪しを判断するのには、何も特別な知識なんて必要無いんじゃないか?なんて思ったりもします。
ピントがどうとか、シャッタースピードがどうとか、露出がどうとか・・・そんなのはどうでも良くて、単純に写真を見て、問答無用で感動できるか。結局はそこなんじゃないかなあとか思うんです。最近。

だから、例えば摩周第3展望台に言ったときは、俺はその感動から本当に鳥肌が立ちました。あの時の感動、小言は必要なくて、写真を一目見てそのような言葉にならない感覚を写真から受けるかどうか・・・単純に良い写真、凄い写真ってのはそういうことなんだと思います。

実際に自分で写真を撮って、ブログでそれを伝えると言う側に立ってみて、初めてそこに気付いたような気がします。
いざその場にいって、感動すればするほど、自分で取った写真から伝わる感動が、あまりに現場に比べて薄すぎて、歯がゆい思いをしているのですが、そういう経験を経てようやく、写真の奥深さ、難しさ、そしてすばらしさに気付いたような気がします。

とは言っても、今更何十万も掛けて機材を揃えようとか、今更写真家を目指そうなんて気はありませんけどね(笑)
コンパクトデジカメ(パナソニック、LUMIX)で頑張りますよ。
ただ、最近そういう部分に気付きましたという・・・そういう話でした。