重低音のBlue Canary

♪ 思いつくままを、つたない文と photo で …

うわのそら的寸撮/青白い、夜。

2007-10-21 | photo

■撮影場所/北名古屋市 / 2007.10.21 18:22:52
■NIKON D80 / SIGMA DC 18-50mm EX MACRO HSM / F2.8 1/3秒 ISO800 / シャッタースピード優先AE 補正+2 分割測光

秋の深まりとともに、
夜が、日一日と長くなってきました。
もちろん毎年の、同じ繰り返し。

ただ――。


昔、日暮れた町の灯し火は、もっと暖かでした。
家々から漏れる明かりも、
街路灯も、
車のベッドライトも、
もっと暖かでした。


それがいま、
家々の白熱電球は蛍光灯に変わり、
街路灯は水銀灯に変わり、
車のヘッドライトもハロゲンランプに変わって、
すべての明かりが、白く――いえ、青白くさえなりました。

いま、夜の町を包むのは
温もりを感じる暖色系の「灯」ではなく、
心の中を隙間風が吹き抜けるような寒色系の「光」――。


照度や輝度が増し、明るくはなりました。
便利にも、なったのかも知れません。

けれども、
単なる偶然なのでしょうか、
同じ頃から「家族の崩壊」に根ざすさまざまな問題が日本の社会全体を覆い始め、
寒々とした事件を、毎日のように見聞きするようになったのは。


町の明かりが暖かさを失ったことによって、
人の心もまた、
知らず知らずに暖かさを失ってきたような気がして、なりません。


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ご近所カフェ/じょあん

2007-10-20 | おすすめ
所用のため、先週まで5週末連続で家を空けました。
当然、
庭の草むしりや部屋の片づけがなおざりになっていました。

というので今朝は、休日にしてはかなり早起きし、
大奮闘です、私なりに。


――と言えばカッコイイのですが、
そこはまあ「忙中閑あり」ということもあり、
以前からネットで評判を知り、気になっていたご近所のカフェ&ギャラリーへ行ってきました。



北名古屋市徳重「じょあん」です。
自宅から車で5分足らずの近さなのですが、
よく通る道から外れた住宅地の中にあり、
行く機会がなかったのです。



外観も、いま流行りの「隠れ家」的で私の好みですが、
店内も落ち着いた雰囲気で、



即、気に入りました。

何より、たくさんの花が飾られているのがとても嬉しいお店です。

 

 

 


そのうえ、
肝心のコーヒーも美味しくて、
私にとっては「☆☆☆」の「おすすめカフェ」になりました。


私がオーダーしたのは、この「モーニングセット」でしたが、
さて、このセットで、値段はいくらだと思われますか?



450円です。
これが、名古屋では当たり前の「モーニング」価格です。



「ギャラリー」という名も付く通り、



店内でアクセサリーや小物も展示即売していて、お洒落です。

 


お店の入口前にもミニ花壇があり、
可愛い花や植物を楽しめます。

 

 

私にとっては、
心を休める「オアシス」が
またひとつ、出来たようです。



――などという今日のブログに載せる写真を編集しながらテレビを観ていたら、
セ・リーグ「クライマックス・シリーズ」とやらで、
わが中日ドラゴンズが、巨人に勝っちゃいました。
しかも「3タテ」で。


だからといって、
はしゃいだりなど、しません。
それが「実力」ですから。

ともあれ、
日本ハムさん、
札幌でお会いましょう。


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懺悔。

2007-10-19 | つれずれ
毎朝、出勤前に名古屋市北区「名城公園」でカメラ片手に散歩しています。

そんな先日のある朝、
ひと回りしたあと、ベンチに座り、紫煙をくゆらせながら一服していると、
少し先に、見慣れない子ネコが一匹、
地面に転がった何かと戯れているのが見えました。

(何だろう?)と思って立ち上がり、歩いてゆくと、
子ネコが遊んでいたのは松ぼっくりでした。

(親は、どこに居るのかなあ。もしかすると、また捨てネコ?)などと思いながら、
その場に屈み込んで、シャッターを押すこと数枚。


ふと気がついて腕時計を見ると
8時25分過ぎを示していました。

(おっと。もうこんな時刻か。そろそろ行かなくちゃ)
立ち上がり、まだ遊んでいる子ネコに「バイバイ。またな」と声を掛け、
車を止めた場所に向かって十数メートル、歩いた時です。


「ちょっと」
と、背後から声を掛けられました。


振り向くと、
自転車に乗った、どうやら「公園の住人」さんのようです。


名城公園の「住人」さんとはもう何人も挨拶を交わす間柄になっていますが、
40代らしいその彼は、初めて見る顔でした。

そんな彼に突然声を掛けられ、
「??」という面持ちで見返した私に
彼は右手を私の胸の前に突き出すと、こう言いました。
「これ、忘れ物」

見ると、
彼はその右手に、
タバコの吸い殻を摘んでいました。

「おたくのタバコの吸い殻。さっき、捨てたでしょ」


ガーン!と、いきなり顔面を殴られたようなショックを受けました。

間違いなく、
私がさっきベンチで吸っていたタバコの吸い殻です。


ただ、
弁解すると、
「捨てた」のではありません。
取りに戻るのを「忘れた」のです。


昨今のご時勢ですから、
私も「携帯灰皿」をカメラバックにぶら下げて、持ち歩いています。



公園の中で、ポイ捨てはしません。


それがさっきは、
何かにじゃれて遊んでいる子ネコが気になり、どこかへ行ってしまう前に写真を撮っておきたくて、
でも、
火をつけたばかりのタバコをそのまま捨ててしまうのがもったいなくて、
あとで取りに戻るつもりで、
ベンチの基礎コンクリートで火を消したタバコをそこに置いて、立ったのです。

そのタバコのことを、
「忘れて」いました。


でも、
結果的としてそれを「さっき、捨てたでしょ」と彼に言われ、
「いいえ」と否定する資格もつもりも、
私にはありません。

「あっ。……はい。すみませんでした」
そう答えて、
私は吸い殻を彼から受け取りました。


それ以上何も言わずに自転車で去って行った「住人」さんの後姿を、
私は、恥ずかしさで顔が赤くなっている自分に気付きながら、
しばらく見送っていました。



今朝――、



誰かが捨てていったのでしょう、
まだ紫煙をたなびかせている吸い殻を、園内で見つけてしまいました。


ご同輩、
お互いに「忘れない」ように気をつけましょうね。


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ありふれた風景?

2007-10-18 | つれずれ


今朝の名古屋市内の、
ありふれた通勤風景です。

でも、
よーく見ると、
実はそんなにありふれてはいませんでした。
なぜか?


「観察力テスト」です。

上の写真を、もう一度ご覧になっていただけますか?

お分かりになりました?
ちょうど私の視線の延長線上です。


アクセルを踏み込んでもう少し近づくと――。



自転車です、これも。
初めて見ました。


真後ろからでは分かりにくいので、
ネットで探した写真を拝借すると、こうなっています。




「リカンベント」という種類の、れっきとした自転車です。
英語で「Recumbent」=「寝そべった」という意味だそうです。


たしかに、
サドルにまたがるのではなく、
長細いソファ型のシートに、仰向けに寝そべった姿で乗り、
前方にあるペダルを漕いで走ります。

ハンドルはシートの下にあります(USSタイプ)。
ハンドルが、前の上側についているタイプ(OSSタイプ)もあるそうです。

もちろん、
現にこうして走っているように、
公道でも走れます。



何もこんな窮屈そうな格好で乗らなくても……と思ったら、
いえいえ、
背中をシートに持たれ掛けているため、
乗り慣れたら案外ラクチンで、
とくに長距離を走る場合は、普通の自転車よりむしろ疲れないそうです。

坂道だって、
立ち漕ぎができないから大変だろうと思ったら、
急坂は無理でも、ママチャリで登れる程度の坂道なら全然平気だと、
調べたネットの中に書いてありました。

ただ、
車高が低く車のミラーなどの死角に入りやすいため、
交通量の多い市街地で走るのには、本当は不向きなようです。

それと、
「リカンベント」を、普通の自転車のように引きながら歩道を歩くのも、
とくにUSSタイプでは、出来なくはなくても、かなり大変そうですよね。


ともかくも、
一見いつもと変わらなそうに見える「ありふれた風景」も、
実はこんなふうに、
どこかに何かの「非日常」が溶け込んでいて、
それに気付かないことのほうが多いのかも知れませんね。


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うわのそら的寸撮/命。

2007-10-17 | つれずれ

■撮影場所/名古屋市中区新栄の、あるマンションで / 2007.10.16 12:38:22
■NIKON D80 / SIGMA DC 18-50mm EX MACRO HSM / F5.0 1/100秒 ISO100 / プログラムAE 補正±0 スポット測光

あるマンションのゴミ捨て場に
真二つに折られて捨てられていた「ケータイ」。


「彼」がまだ、日々充電されてエネルギーを蓄え、
電波という「存在証明」を常に発しながら生きていた時、

「メモリー」という名の「彼」の頭脳の中には一体
何人の、名前と電話番号とアドレスと、
何通の、送り、送られたメールと、
何枚の、記念に撮られた写真が、記憶されていたのでしょうか。

そして「彼」は、
「彼」の持ち主と誰かとの、
いつ、どんな内容の会話やメールのやり取りを
どれほどたくさん仲立ちしてきたのでしょうか。

にもかかわらず「彼」はなぜいま、
こんな場所に、
二つにへし折られてまで、
捨てられてしまったのでしょうか。


「ケータイ」は、自身では何一つ言葉を発することは出来ません。

けれど本当は「彼」自身も
言いたい思いを胸の中にいっぱい溜め込み、
でも、
多くの思い出や、幸せや、喜びや、悩みや、悲しみや、とりわけ「秘密」を、命をかけて守りながら、

いまここにこうして
横たわっているような気がしてなりません。


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いま、この季節に…

2007-10-16 | つれずれ


毎朝立ち寄る名古屋市北区「名城公園」では、
園内の木々の葉が、一枚、また一枚と色づき、
あるいは、
はらはらと舞い散りながら、地に戻って行きます。


そんなふうに、「秋」が日々深まり行く中、
今朝、
しばらく足を延ばしていなかった蓮池近くで
咲いているのを発見しました。




失敬。

少し興奮して、
近づき過ぎました。



そう、
桜です。

紛れもなく、
桜です。




異常気象による季節外れの狂い咲き、ではなく、
秋から冬にかけて咲く桜もあることは知っていました。

十月桜、
子福(こぶく)桜、
四季桜、
冬桜……。

去年11月、やはりこの木に咲いた桜は「霜月桜だよ」と
「公園の住人」さんに教えてもらいました。


でも今年はまだ10月半ば。
なので念のため、公園管理事務所に電話して聞いてみました。
すると――。

「うーん。それがね、実は、よく分からんのですよ、記録がなくて。
 ただ、花や葉の特徴から見ると、たぶん子福桜じゃなかろうかと、そう思っているんですけどね」

なるほど、お役所というのはどうやら、
「記録」をなくしてしまうことにかけては、共通して名人のようです。


ともかくも、
桜は、桜です。

薄桃色の桜の花を見ると、つい気分が浮き浮きしてしまうのもまた、
日本人に共通した人情というものですよね。


おかげで、ほんのりと温まった気持ちで職場へ向かうことが出来た今日の私でした。
よろしかったら、
おすそ分けを、どうぞ。




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秋の楽しみ。

2007-10-15 | つれずれ
今朝7時半ごろ、愛車「マツケン・サンバ号」のイグニッションを回すと、
エンジンが自動的に回転数を上げ、そのまま暖気運転モードに入りました。

見ると、車内に置いた温度計は



14℃前後を示していました。

この時間帯での暖気運転モードは、
今朝がたぶんこの秋一番の低温になったことを、教えてくれたようです。

こうしたことも、
季節の移ろいを実感する、極めて現代的な「変化」の1つなのでしょうね。



そんな名古屋地方の、
今日一日の「空」です。


▽午前7時52分、名古屋市北区「名城公園」で。




▽午前8時49分、名古屋市中区の会社近くで。




▽午後4時30分、同。




▽午後5時41分、同。




うろこ雲が時々刻々、変化して、
どれほど長く見上げていても、飽きることはありません。


そんな表情豊かな秋の空が
私はとても好きです。

それに……、
何と言ったって私、
「uwanosora(上の空)」ですから。


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秋色、さらに…。

2007-10-14 | つれずれ
月末に予定していた所用を繰り上げることになったため、
今週末も静岡方面へ出掛けました。
9月から5週末連続の長距離ドライブは
さすがに少し疲れます。


今週末は、ほとんど目的地から次の目的地へと直行で移動したのですが、
そんな中で時間調整のため短時間ですが立ち寄ったのが、
浜松市西区村櫛町「浜名湖ガーデンパーク」です。

お出掛けになったことがある方もいらっしゃるかも知れませんが、
「浜名湖ガーデンパーク」は、2004年4月~10月に開催された「浜名湖花博」の跡地を整備し直し
2005年6月に再開園した都市公園・多目的緑地です。


花好き、写真好きの私としては、
できれば「花博」開催中に見に行きたかったのですが、
当時はまだ静岡方面へ出掛ける機会が少なかったため、
残念ながら好機を逸してしまいました。

というので今回は、
会期中にも人気があり、
再開後もほとんどそのまま残されているという「モネの庭園」を楽しみに出掛けたのですが……。


事前調査を怠ったのが失敗でした。

なぜなら、
公園の面積、実に56ha。
「ちょっと立ち寄る」にしては、あまりにも広すぎました。
北駐車場から、ほぼ反対側の南端にある「モネの庭園」まで
急いで歩いても20分近くかかりました。


それでもとにかく見るには見たのですが、
ゆったりとカメラを構えるだけの時間がありませんでした。

なので、
撮るには撮った数十枚の写真も、
かろうじてお見せできるのは、
こんな程度です。



     



     



     



     



いずれも、
わざわざ「浜名湖ガーデンパークで」などと撮影地を記す必要もない、
ありふれた写真ばかりですよね。


カメラを被写体に向けるときは、
ゆっくりと落ち着いて、時間をかけ、
自分なりにベストと思った瞬間にシャッターを押さなければ、
被写体に対して失礼だ――と、
改めて思い知らされた今日の数点。

その反省の意味を込めて、
あえて駄作を晒すことにしました。

いずれにせよ未熟に違いない私ですが、
今日はとくに、ご覧になっていただいたみなさん、
ごめんなさい。


ただ、

園内のそこかしこで、
秋色がさらに深まり行く気配を
感じましたよ。


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花壇の花たち。

2007-10-11 | つれずれ
相変わらず出勤途上に立ち寄っている名古屋市北区「名城公園」の花壇に
今朝咲いていた花たちの、
これが「オールキャスト」です。



   

      

         

      

   



   

      

         

      

   



   

      

         

      

   




秋が深まるにつれ、
目に映る景色から、
「色彩」が少しずつ失われていきます。

だからこそ、
こうした草花の1つ1つの彩りが、
これから仕事に向かう私に、
元気を与えてくれる気がするんですよね。

がんばらなきゃ。


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「暴走老人」

2007-10-10 | おすすめ
北海道砂川市で先日、
隣家の壁を修理に来た工事業者が自分の敷地内を勝手に出入りしたことに腹を立て、
自ら運転する小型ブルドーザを隣家の壁にぶつけて壊し、
建造物損壊の容疑で逮捕された女性のホテル経営者がいました。

彼女は、72歳でした。


ニュースを見ながら、
先月3日放送されたNHK総合テレビ「クローズアップ現代」を思い出しました。
取り上げられたテーマは「“キレる大人”出現の謎」


暴行事件の検挙者数を10年前に比べると、
全体では3.4倍ほどの増加であるのに対し、
50代では5.6倍、
60歳以上では、なんと12.5倍にも上っているそうです。


たしかに最近、
「キレた大人」が引き起こす、呆れ返るような事件を、しばしば見聞きします。

というか、実は私自身、
元来の短気な性格に輪をかけて近頃、
些細なことにイライラしたり、「カチン!」と来たりしやすくなっていることに、気が付いています。
「自覚症状」なのでしょうか。


なので、
読んでみました。



藤原智美著「暴走老人!」(文藝春秋刊)。
いま売れているそうです。

帯書きに、こうあります。
「“新”老人は、若者よりもキレやすい――現代社会に大量に生み出される孤独な老人たち。《暴走》の底に隠されているものとは?」


藤原さんは、こう書いています。
「分別があってしかるべきとされる老人が、ときに不可解な行動で周囲と摩擦を起こす。あるいは暴力的な行動に走る。こうした高齢者を、私はひとまず《新老人》と呼ぶ」

「新老人が暴走する原因を一言でいえば、彼らが社会の情報化へスムーズに適応できないことにある。いつの時代も社会は変化し、それにともなって人々の暮らしも変わっていった。けれどこの半世紀の変わり様は、そのスピードと質によって他の時代とは明らかに異なる」

「(そうした社会の)変化を変化として認識できず、昨日のように今日を生きようとすると、つまずくことになる。それが新老人が生きる困難さである」


私はまだ「新老人」と呼ばれるほどの年齢ではない、と自分では思っていますが、
少なくともその「予備軍」ではあるのかも知れません。

そういう立場でこの本を読むと、無意識に自分も「新老人」的目線で読んでしまうせいか、
藤原さんの分析は、いささか概念的で、底浅く思えた、というのが正直な感想です。


ただ、
社会のIT化が進んだ結果、
最近の私たち日本人は、ほんの短時間でさえ「待つこと」「待たされる」ことを辛抱できなくなっているという傾向について、
藤原さんが次のように書いていることには、まったく同感でした。


「子供のころクリスマスイブや正月を指折り数えた経験がある人なら、それを記憶の中から引き出すことによって、《待つこと》の、もうひとつの側面を思い出すはずだ。何か楽しいことがあらわれる瞬間を《待つこと》は、その瞬間の喜びと同じほどの幸福感、快楽を人々に与える」
「言葉を変えれば、《待つこと》を失ったとき、人は生きる力を失うのではないかと私は思う。《待つこと》が何もない人生は、間違いなく不幸である」


これから周囲にますます増えてくる「新老人」世代を理解し、共存・共生してゆくために、
あるいは、
将来の自身を、いまから省みておくためにも、
お読みになってはいかがと、お勧めしたい1冊ではあります。



都心の公園にも落ち葉が目立ち始めました。



秋色が、
少しずつ、でも確実に、
濃くなっていくようです。


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