北海道砂川市で先日、
隣家の壁を修理に来た工事業者が自分の敷地内を勝手に出入りしたことに腹を立て、
自ら運転する小型ブルドーザを隣家の壁にぶつけて壊し、
建造物損壊の容疑で逮捕された女性のホテル経営者がいました。
彼女は、72歳でした。
ニュースを見ながら、
先月3日放送されたNHK総合テレビ「クローズアップ現代」を思い出しました。
取り上げられたテーマは「“キレる大人”出現の謎」。
暴行事件の検挙者数を10年前に比べると、
全体では3.4倍ほどの増加であるのに対し、
50代では5.6倍、
60歳以上では、なんと12.5倍にも上っているそうです。
たしかに最近、
「キレた大人」が引き起こす、呆れ返るような事件を、しばしば見聞きします。
というか、実は私自身、
元来の短気な性格に輪をかけて近頃、
些細なことにイライラしたり、「カチン!」と来たりしやすくなっていることに、気が付いています。
「自覚症状」なのでしょうか。
なので、
読んでみました。
藤原智美著「暴走老人!」(文藝春秋刊)。
いま売れているそうです。
帯書きに、こうあります。
「“新”老人は、若者よりもキレやすい――現代社会に大量に生み出される孤独な老人たち。《暴走》の底に隠されているものとは?」
藤原さんは、こう書いています。
「分別があってしかるべきとされる老人が、ときに不可解な行動で周囲と摩擦を起こす。あるいは暴力的な行動に走る。こうした高齢者を、私はひとまず《新老人》と呼ぶ」
「新老人が暴走する原因を一言でいえば、彼らが社会の情報化へスムーズに適応できないことにある。いつの時代も社会は変化し、それにともなって人々の暮らしも変わっていった。けれどこの半世紀の変わり様は、そのスピードと質によって他の時代とは明らかに異なる」
「(そうした社会の)変化を変化として認識できず、昨日のように今日を生きようとすると、つまずくことになる。それが新老人が生きる困難さである」
私はまだ「新老人」と呼ばれるほどの年齢ではない、と自分では思っていますが、
少なくともその「予備軍」ではあるのかも知れません。
そういう立場でこの本を読むと、無意識に自分も「新老人」的目線で読んでしまうせいか、
藤原さんの分析は、いささか概念的で、底浅く思えた、というのが正直な感想です。
ただ、
社会のIT化が進んだ結果、
最近の私たち日本人は、ほんの短時間でさえ「待つこと」「待たされる」ことを辛抱できなくなっているという傾向について、
藤原さんが次のように書いていることには、まったく同感でした。
「子供のころクリスマスイブや正月を指折り数えた経験がある人なら、それを記憶の中から引き出すことによって、《待つこと》の、もうひとつの側面を思い出すはずだ。何か楽しいことがあらわれる瞬間を《待つこと》は、その瞬間の喜びと同じほどの幸福感、快楽を人々に与える」
「言葉を変えれば、《待つこと》を失ったとき、人は生きる力を失うのではないかと私は思う。《待つこと》が何もない人生は、間違いなく不幸である」
これから周囲にますます増えてくる「新老人」世代を理解し、共存・共生してゆくために、
あるいは、
将来の自身を、いまから省みておくためにも、
お読みになってはいかがと、お勧めしたい1冊ではあります。
都心の公園にも落ち葉が目立ち始めました。
秋色が、
少しずつ、でも確実に、
濃くなっていくようです。
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隣家の壁を修理に来た工事業者が自分の敷地内を勝手に出入りしたことに腹を立て、
自ら運転する小型ブルドーザを隣家の壁にぶつけて壊し、
建造物損壊の容疑で逮捕された女性のホテル経営者がいました。
彼女は、72歳でした。
ニュースを見ながら、
先月3日放送されたNHK総合テレビ「クローズアップ現代」を思い出しました。
取り上げられたテーマは「“キレる大人”出現の謎」。
暴行事件の検挙者数を10年前に比べると、
全体では3.4倍ほどの増加であるのに対し、
50代では5.6倍、
60歳以上では、なんと12.5倍にも上っているそうです。
たしかに最近、
「キレた大人」が引き起こす、呆れ返るような事件を、しばしば見聞きします。
というか、実は私自身、
元来の短気な性格に輪をかけて近頃、
些細なことにイライラしたり、「カチン!」と来たりしやすくなっていることに、気が付いています。
「自覚症状」なのでしょうか。
なので、
読んでみました。
藤原智美著「暴走老人!」(文藝春秋刊)。
いま売れているそうです。
帯書きに、こうあります。
「“新”老人は、若者よりもキレやすい――現代社会に大量に生み出される孤独な老人たち。《暴走》の底に隠されているものとは?」
藤原さんは、こう書いています。
「分別があってしかるべきとされる老人が、ときに不可解な行動で周囲と摩擦を起こす。あるいは暴力的な行動に走る。こうした高齢者を、私はひとまず《新老人》と呼ぶ」
「新老人が暴走する原因を一言でいえば、彼らが社会の情報化へスムーズに適応できないことにある。いつの時代も社会は変化し、それにともなって人々の暮らしも変わっていった。けれどこの半世紀の変わり様は、そのスピードと質によって他の時代とは明らかに異なる」
「(そうした社会の)変化を変化として認識できず、昨日のように今日を生きようとすると、つまずくことになる。それが新老人が生きる困難さである」
私はまだ「新老人」と呼ばれるほどの年齢ではない、と自分では思っていますが、
少なくともその「予備軍」ではあるのかも知れません。
そういう立場でこの本を読むと、無意識に自分も「新老人」的目線で読んでしまうせいか、
藤原さんの分析は、いささか概念的で、底浅く思えた、というのが正直な感想です。
ただ、
社会のIT化が進んだ結果、
最近の私たち日本人は、ほんの短時間でさえ「待つこと」「待たされる」ことを辛抱できなくなっているという傾向について、
藤原さんが次のように書いていることには、まったく同感でした。
「子供のころクリスマスイブや正月を指折り数えた経験がある人なら、それを記憶の中から引き出すことによって、《待つこと》の、もうひとつの側面を思い出すはずだ。何か楽しいことがあらわれる瞬間を《待つこと》は、その瞬間の喜びと同じほどの幸福感、快楽を人々に与える」
「言葉を変えれば、《待つこと》を失ったとき、人は生きる力を失うのではないかと私は思う。《待つこと》が何もない人生は、間違いなく不幸である」
これから周囲にますます増えてくる「新老人」世代を理解し、共存・共生してゆくために、
あるいは、
将来の自身を、いまから省みておくためにも、
お読みになってはいかがと、お勧めしたい1冊ではあります。
都心の公園にも落ち葉が目立ち始めました。
秋色が、
少しずつ、でも確実に、
濃くなっていくようです。
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