重低音のBlue Canary

♪ 思いつくままを、つたない文と photo で …

晩秋の風物詩「木守柿」

2006-12-01 | つれずれ
昼間、空には雲ひとつなく、太陽が燦々と照っているのに、
空気そのものが冷えていて寒いから、
屋外に設けられた会社の喫煙場所では、一服するのも早々に引き揚げてくるようになった今日この頃の名古屋です。


私が住む「北名古屋市」は、文字通り名古屋市に隣接するベッドタウンですが、
とはいえ、田や畑もまだ少なくない田舎と言えば田舎です。


そんなわが町に点在する農家の、畑や庭先に必ずあるといっていいのが柿の木です。

この時期、実はすでに熟し、ほとんど収穫されているのですが、
その枝先に1個あるいは数個だけが、不自然に取り残されている光景をよく見かけませんか?



「木守柿」(「きもりがき」あるいは「きまもりがき」)と呼ぶのだそうです、
こんなふうに取り残されている柿を。
ご存知でしたか?

そう、
残されている柿は、収穫し忘れられたわけではなく、実はわざと取らずに残されているのです。
それが「木守柿」の習わし――。


残されているのには「理由」があります。

作物の恵みをいただいた神様に、そのお礼・お返しの気持ちを表すために。
来年の豊かな収穫を祈念する、神様への「お供え」の意味で。
収穫を人間だけが独り占めするのではなく、鳥や虫たちにも「おすそ分け」する「自然との共生」の気持ちを表すために。
あるいは、
通り掛かった空腹の旅人への「施し」の心を込めて。
――等々、諸説があるそうです。

だから「木守柿」はまた、地方によって「布施柿」とか「鳥食い柿」などとも呼ばれるのだとか。


そうした「意味」まで含めて伝わっているかどうかはともかく、
しかし今も身近に「木守柿」の光景を目にするということは、
家人の誰かが「全部取ってしまってはダメだよ」と、きちんと言い伝えて来たからなんでしょうね。

日本人の奥ゆかしさが残る、心温まる「晩秋の風物詩」ではありませんか。


そんな「木守柿」をファインダーの中にとらえながら、
思ったのです。

私たち大人には、
次の世代にきちんと残していかなければならない大事なモノが、
実はほかにも、
もっともっとあるんじゃないかと。



この柿を啄(つい)ばんでいったのは、
どんな鳥たちなのでしょう――。


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