Sideway

気のおもむくまま。たこやきの日記的雑記。

うう~ん。

2005-10-23 | 日記。
何か悪夢見ました。昼寝してて。
クマが家の中(実家の台所)に入ってきて(しかも挟み撃ち)、テーブルの下に隠れて必死で目をあわさないようにするんだけど、気になってどうしても視線が行って。
なんでかテーブルの上に引きずり出されて(何故かこの辺りからクマじゃなくなってた気がする)、すっごいゾワゾワと背中の付け根がして、
「さあ、いつ上から爪が振り下ろされるのか!?」
と怯えてる所で夢だって気付きました。んで、目が覚めた。
…………なんか、途中から敵はゴリラになっていたような。
こういうこと書くと、なんかお笑いのよーに思えるかもしれませんが、当人マジで死ぬほど怖かった。
実家はクマを養えるほど山が豊かじゃないので、多分クマは出ませんが、運が悪ければ出るかも。
ああ~、怖かった。危機一髪。むしろ死んでたんじゃ?
起きた瞬間、話の参考に書留めとかなきゃ!! と思ったのですが、なんとも言い表せないので断念。まあそんなに忘れないだろう、ということで。

某動物バラエティでガンダムSDの曲が使われてて、すっごく欲しくなりました。うう~っ!! そんな金ないよ! 踊る大捜査線の曲もコンプリートしたいのに。どっちも超絶好みだ~。
とか言いながら今はエヴァを久々に聴いてたりして。しかも洋楽berを。
このCDの、なんとも言えず暗い絶叫がこだま見たいに響くイントロも好きですね。
…………分かる人いるかな?
本人の創作意欲はといえば、軒並み減退中。なんでだろ?
今は物語を消費したい気分~。誰か私を楽しませてください。
ゲーム(ブロックもの)やったり、素材作ろうとしてみたり、気が散りっぱなしです。今日なんて、昼過ぎまで寝て、三時から寝て、もうそろそろ寝ようかな位ヤル気ないし。
周期的にやってくる、自分の話が面白くない時期なのかもしれません。
絵を描くにも肩が凝り過ぎててどうでもいいし。(肩こり症)……これが最大の原因かも。
ゲームのやりすぎかな?

映像作品っていいなあ…………。

2005-10-23 | 日記。
もし生まれ変わったら、次は映像作家(ドラマ・映画・アニメなど)になりたい。
二十代もとっかかりでそんな事を言ってるたこやきです、こんばんは。
「音楽にあわせて動く映像」がもたらすかっこよさ、高揚感ってなんとも言えないなあ。いいなあ。

と、まあ、踊る大捜査線を見て思いました。つくづくと。大好きです!!!
視覚で見せる伏線の面白さとか、映像だからこそのインパクトの強さって、なかなか文章じゃ太刀打ちできそうにないなあ……よほどの才能がないと;
その代わり、別の情報量の面で優れてるとおもいますが、文章は。背後の事情や関係、その事柄に対する予備知識、エピソードの多さなどなどで。
何故そう思うかといえば、やはり小説→漫画でも、映画でも、端折られるシーンって多くなるからです。一冊の小説を完全に忠実に映像化するのって難しいし、そうすれば小説の魅力がそのまま伝わるってわけでもないのでしょう。

でも映像いいなあ……漫画くらいなら、下手の横好きでも手を伸ばせば届かなくもないけど。でも、「音がある」「動く」っていう二大要素が、とても私にとっては大きい。
アニメのオープニング・エンディングとかもすきなんですよね、だから。
音楽にあわせて激しく変化する映像に弱いらしい。
まあ、耳優先回路の人間なので、その辺もあるのかな? 音情報があると脳へのインプットが強くなるらしい。だからって音楽かけて小説は読めません。音楽聴いちゃって小説が頭に入らないから。ちなみに書く事も出来ませんね、ほとんど。
例外は陽炎でしょうか。
あと、他の作品もイメージを頂いてる曲はあります。でも聴きながら書けないけど。

えーと。他には。
まとまりの良い映画って、話の構造を考える、物語を「見せる」勉強になるかな~、とも思います。
上手く分析できるほど頭がよろしくはないですが、ああ、こうやればいいのか~、みたいなことをたまに思いますね。
今日も忘れないうちにメモしとこう……。
漫画を描いてれば構図とか見せ方とか、他にも自分の栄養になる情報は一杯あるだろうなあ。

映画っていいなあ、と思うのに、映像は時間を拘束されるから苦手だったり。本当ならえり好みせずにガンガン見れば、それだけお勉強にもなっていいんだろうな、と思うのですが。
疲れるしね、影響頭に残りやすいのは……小説も一緒だけど。
はまる作品って、頭の中が見た後(読んだ後)しばらくその作品で占拠されてしまう。ぐるぐるぐるぐるその話が頭の中を回っちゃってさ。
いつか是非とも、誰かの頭の中を占拠する作品を書きたい。とか考えてます。
野望、野望(笑)

こうやって、私は音楽や物語を食べていく。
音楽を聴く事で気分を高揚させ(あるいは静め)、物語を体験することで感動し、一時の満足感や高揚感、幸福感を味わってはそれを忘れていく。
それは「食べる」行為に似ていると思います。
言い換えれば消費している。
そうしてる自分は、ただ貰って食べてるだけで、どんなにその登場人物たちのことが好きになっても、感情移入しても、テーマに深い感銘を受けても……つまり、どれだけその作品と一体感を感じても、
ただ、その作品を「消費している」だけに過ぎない。
作品を見た後に、どんなに「あの後どうなったかな~?」と想像を巡らせても、ありそうな展開を空想して楽しんでも、
その行為は「消費」であって、その「想像」は「本当の彼らのその後」ではなく、彼らは永遠に「私のもの」ではない。

私がオリジナルの創作をする最大の理由はそこにあります。
なんか悔しいから。
「私のもの」な物語が、「私が考えるのが『本当』」な物語が欲しくなったんですね。
これまで食べた物語や音楽を、消化して、心にたくわえて、別のものを再合成していく。そこには自分が「はまれる」要素をありったけ詰め込んで、自分がはまれる物語にしたい。
そしたら、自分がはまった物語の続きって、自分で考えれてそれが本当v
あの主人公が考える事の全ては、自分の中にある。

…………と、ゆーのが理想(笑)それを目指して、むしろそれに憧れて話を書いてます。他の人はどうなんだろう?
自分が「生産」したいという欲求……誰かに共感してほしい、誰かに影響を与えたい、という欲求。それもあります。上で言ってるけど。誰かの頭の中を占拠してみたい(笑)自分がそうなってしまうように。
と、同時にさっき言ったような理由もあります。私が話書いてるのには。

しかしまあ、消費するのと生産するのじゃかかるエネルギーのケタが余裕で二つは違う。しかも技術が要る。んがぁ。
好きな話書いてるくせに、キャラの行動は全部自分の中にあるはずのくせに、
先は見えないわ背景の空白は埋まらないわ、油断すると貧相になるわ、どのエピソードも自分がひねり出してるおかげで、常に「変じゃない? こじつけ臭くない?」という疑念が抜けないわ。
他人の話で妄想してるときみたいに、妄想してる間に出てくる「本物」と「自分の(自分の思考のクセが出るので)」のギャップに失望したりはしないけど、
別の苦しみがありますねえ。
このギャップが苦しくて二次創作には手を出さないのですが、他人の作った二次創作は全然平気(笑)だって、自分のクセが出てるのがいやなので、他人のだと気にならないんだもの。

おお、グダグダかいてたら長くなった。
ではこの辺で。