Sideway

気のおもむくまま。たこやきの日記的雑記。

うちに帰ると……

2005-12-29 | 日記。
そこは雪国だった。

こんばんは、雪国に帰郷したたこやきです。
驚いた。

驚きついでに、久々に会った実家の飼い猫(例によって最初私のことを覚えていなかった)が、1.5倍に増量されていた。
でかっ!!
冬仕様のヤツは夏仕様よりかなりでかい。

それはそうと、携帯の充電器を忘れて帰るという阿呆をいたしました。
どうしよう、電池残量残りわすが(汗)
これが送信できるかも不安です(笑)

これから帰省。

2005-12-29 | 日記。
帰ってくるのは一月第二週かと思います。
あ、もしさっきまで上がっていた、幻の記事を見た方いらっしゃいますか?
唐突に消して、驚かせてすみません。
また、もちょっと色々検討しなおして再アップしようと思います。
今時間ないんで(汗)

ではでは、皆様、良いお年を~!

現在(いま)と未来(あす)

2005-12-28 | ネタとしての生物学
前回に引き続き、人間と環境、未来について。
ネタ生物としてはかなり真面目な方ですね。

「沈黙の春」のレイチェル・カーソン、「奪われし未来」のシーア・コルボーン、二人に焦点を当てた(主にカーソンに、でしたが)ビデオを見てきました。
その中で、繰り返されていた言葉。
それは「人間は、自然に謙虚にならなければいけない」「私たちは、未来に対して責任を持たなければいけない」というものです。
私はこういった考え方を、比較的早くから知り、共感し、自分の立場としてきました。

しかし、この間ふとしたきっかけで、「この考え方自体」がとても恵まれた、豊かな環境でのみ生まれうる言葉なのだ――と、唐突に気付きました。
苦労してきた世代の方々にとって、それは当然のことでしょう。
しかし、何不自由なく生まれ育って来た、同時に「環境問題」の顕在化と共に育ってきた私にとって、それは驚くべきことだったのです。
そのきっかけをご紹介します。
その日、私たちは食用ガエルを用いた実験をしていました。
解剖して心臓や坐骨神経を取り出す必要があったので、私の近くには腹を開かれ、血を流すカエルの入ったバット(四角い皿というか盆というか)がありました。
同じ実験台の向こうで、「痛っ!」と声が上がりました。
どうやら刺したらしく、指を押さえています。
先生が、「怪我をしたのか、早く洗いなさい!」と急いだように指示します。
「あ、ただシャーペンの芯で刺しただけなんで」とその子は言いますが、先生は「いいから早く!」となおも急かします。
私も、恐らくその子も、「タダのシャーペンの芯だし、変な薬品が付いたモンじゃないから大したことないや」と思っていました。しかし、その後の先生のぼやきに、私は目から鱗を落としたのです。
「全く、とりあえずこういう時には洗う! 知らないって言うのは幸せだよね~、ホントは顕微鏡で見れば、このカエルの血にはトリパノソーマ(寄生性の原生動物)がうようよしてるってのに……」
トリパノソーマは家畜や人間にも感染する寄生性の原生動物(ゾウリムシとか、アメーバとか、ミドリムシとか……というイメージ)で、感染するとある種のトリパノソーマでは「眠り病」を引き起こし、致死率も高い危険なものです。

完全に、「寄生虫」「病原体」に対して(特に寄生虫)平和ボケをしていた私にとって、これは衝撃的な事でした。食用ガエルといったら、実家の近くの川や池に、普通にいる生物ですから。
そしてこの話を聞いた時、普段料理をしながら思っていたことが思い出されました。普段、フライパンから飛んで逃げた具材を「勿体無い」と思い、洗ってもう一度フライパンに入れようとするとき、何を恐れますか?
何が怖くて、一度洗いますか?
私は「洗剤」でした。勿論、変なばい菌(寄生虫も含む)は熱処理で殺せる、ということもありますが、あまりに身近に「ばい菌」がなさ過ぎて、「そっちは少々平気だろ」と思っていた面があったのです。
そして、「洗剤」……ひいては科学化合物全般に対する怖れは、それよりも遥かに身近なものでした。今、1回口から入る量はごく微量でも、そのうち体の中に蓄積されていくんだよな……という恐怖感があったのです。

ここで、私は唐突に思い至りました。
「そうか、昔は……衛生状態が確保されていない状態では、『いつかそのうちの危険』になんて、考えが及ぶはずがないんだ。だって、今、この時不注意で何かに感染してしまえば、明日すらもないんだから」
何を当たり前のことを、と思われるかもしれません。でも、それまでの自分に、そしてそれまで学んできた「環境問題」の中に、そういう前提……それを気にする事ができる『今』が、どれほど恵まれた状況か、という認識は抜け落ちていた気がするのです。
環境問題、といわれれば、取り扱われるのは人工物質のネガティブな側面ばかり。勿論それに焦点を当てているのだから当たり前です。でも、そればかり学んで、それが使われ始めた時代の背景を見過ごし、まるで化学物質は悪そのものであるように捉えるのは危険なのではないでしょうか。
自分たちが、どれだけその恩恵に預かっているかも――その恩恵が生活に深く浸透しすぎ、当たり前になりすぎて――無自覚なまま、ただ「エコロジーブーム」、「天然・有機ブーム」に身を任せるのは、あまりに滑稽で愚かしい事なのではないか。「未来の事を考える」「未来に責任を持つ」ということそのものが、どれだけ贅沢な事かも気付かぬまま、それが出来ることへの感謝もないまま、「当然の義務」として十字架のように背負うのは何か歪んでいないだろうか。そう考えたのです。
清潔な、細菌もほとんど居なさそうなピカピカの台所で、テレビ画面の向こうに望む鮮やかな緑を夢想して「自然が一番!」と言う。このことに違和感を覚えていたのもあります。
(実際昔に比べて、私たち自身から取れる細菌の量は減ってるみたいです。髪の毛をシャーレに置いて培養した所で、指紋を付けて培養した所で、コロニーなんかできやしない、と先生が嘆いておいででした。昔はもっと、生徒の体自体に細菌が一杯くっついていたのだそうです)

繰り返すように、今、警告を叫ぶ方々にとってこの前提は当然過ぎるものでしょう。だから、「当然でない事」として化学物質と環境問題を叫び、広げよう、伝えようとするのは当然です。しかし、若い世代の私たちは、その前提自体を自覚していない。そのことにまで気付いて、その前提から包括的に環境問題を広め、伝えようという事は少ないのではないでしょうか。

私たちにとって、「現在(いま)」は、あって当たり前のものなのです。

それが、人類の歴史においてどれだけ特殊な状態であるかの認識も、自覚もない。
この状態で、暗雲垂れ込める「未来(あす)」の十字架ばかりを背負ってみようとしたところで、上手く行くはずがない。歪んでしまう。そう私には思えます。
今回のビデオでインタビュアーをしていた年配の女性が、60年代に始めて「沈黙の春」の話を知った時、
「正直、それは野生動物のことであって、私たち日本人はすごくお腹が空いているんだから仕方がないじゃない……って思ったんです。お恥ずかしいことですけれど」
と言っておられました。
私は、それは当然だろう、と思います。そうで当たり前なのです。恥ずかしくも、何ともない。事実だと。その事実を認めずに進む環境対策など、成功するはずがないと。
私たちは多分、野生動物の為に環境を守っているんじゃありません。
何より自分自身の為に、環境を、明日を保護していかなければならないのです。
そうである以上、日本にとってはかつての、世界の多くの国々では今直面している、「現在(いま)を生き抜くこと」を無視するのは間違っていると思うのです。現在を生き抜くために、たとえ未来を犠牲にしてでも、否、未来のことなど考える余地などありはしない状況で、化学肥料を使い、農薬を散布する。その行為を、それをしなければならない現実を無視して進む自然保護なんて、所詮空調の効いた室内で繰り広げられる机上の空論なのではないでしょうか。言葉をきつくして言えば、そう思うのです。
そんな状態で、何が「自然に謙虚」なのでしょう。
自分が何の上に胡坐をかいているかも自覚しないままの「謙虚」ほど、虚しいものはないのではないでしょうか。

多くの、自然保護を唱える専門家、研究者たちは当然そのことを知っているでしょう。
年配の、大人の方々も。
しかし、問題は私。そして、失礼を覚悟で言い切れば「私たち」です。
学ぶ立場であり、知る立場であり、引き継ぐ立場である私たちに、果たして「環境問題」に取り組むだけの土壌……それを行う為の基礎となる認識が十分なのか。その事に対して、私は懐疑的です。
もしも読まれた貴方が、私と同じような罠に嵌まっていたのなら、そしてこの文章でそれに気付いていただけたのなら、それ以上はありません。

明日帰省いたします。

2005-12-28 | 日記。
本をドッサリ抱えて(笑)
読むぞ~! きっと読んでる場合じゃ全然ないけど!
年明けからやっべえぞ~~~!!!

やっとバカの壁を買いまして。うん、面白そう。
キツイ題名は怖い……っちゅうか、流行ってる本は基本的に買わないので、今更。
あとは同じ養老さんと古舘さんの対談集、図解雑学「民俗学」に、ミルトンの失楽園、現代小説のレッスン、エレガントな宇宙、センスをみがく文章上達辞典。他、未読(積読;)のラノベを二冊。あ、あとレイチェル・カーソンの「沈黙の春」。これは先生に「生物をやる人間なら最低限読んでおくべき本だ」と言われたので。
…………なんだこのラインナップ。

エレガント~は以前にも言いました、ひも理論の本です。今読んでるところはまだ相対性理論と量子力学の説明ですが、なかなか分かりやすいですよ。一般向けに書かれているので数式はほぼ全く出てきません。算数さえなければとてもとても興味深い分野です、物理学。(電磁気がサッパリカッパリ掴めないから苦手だけど)
翻訳本なので、英語独特の言い回しが残ってて読みづらい部分もありますが、英語論文を多少なりとも齧ってると、「あ、これは多分元はこう書いてあったんだろうな」的な予測が立てられるので結構引っかからずに読めます。

センスをみがく~は、ちょっと興味があって借りてみました。結構色々な項目を立てて、詳しく説明してあります。結構いつもは無意識に使っている言葉の技術を、(自分が上手い下手は別にして)再認識・意識化していくのは、上達の手段として悪いことではなかろうと。一度意識化されたことは、後々自分の、あるいは他人の文章を読むときにも認識できるだろうし。

図解雑学。民俗学面白そう。っていうか、好き。図解雑学なんで、広範囲のトピックスを紹介した入門書だろうけど。イケショウとクナのクナちゃん辺りに役に立つのか立たないのか……立たないか。
まあ、妖怪とか何とか好きなんでv うふふ。

養老さんの本。何となくきついイメージあった気もするけど、読めば至極納得。うんうんと頷きながら読むことになりそうですが、「考えなさいね」と書いてある本の内容を、丸呑みして自分の頭をそれに書き換えるのも阿呆な気がするので、注意深く読んでいきたいです。
「当たりだ!」と思う論説にぶちあたると、大抵日頃考えている事に形を与えてもらえた気がして、何かスイスイ分かった気になりますが、実は全く同じなはずもなく、「当たりだ!」と思ったからって鵜呑みにするのは良くないかな~、と考える今日この頃です。
なんちゅうか、それと同時に、自力で形にならなかった悔しさみたいなのも感じますが(笑・ナマイキな)

失楽園。いや、不倫の方でなく。
ネタ仕入れというか、資料集め。岩波文庫でござい。現代語訳してあったから買った。
やっぱ、リアル宗教交えた、SF入った伝奇小説は憧れっす。ヨハネ黙示録とか、ダンテの神曲とか、セフィロトとか(笑)
百億の昼と千億の夜の漫画版とか、結構理想としてありますね。小説版は持ってるけど読んだ事ない。あとブレインヴァレーも!! 宗教+科学という題材が好きらしい。

現代小説のレッスン。
様々な現代小説に対する考察? かな?
帯には、「ブンガクはこう読め!」と書いてある。基本的に「ブンガクが読めない」奴なので興味が湧きました。日頃読むのは「物語」であって、「文学」にあまり興味はないのです。あ、大塚英志さんが何か出してる……きづかなんだ。今度チェーック。大塚さんの論説文が好きです。



普段、私が読むのも書くのも「物語」です。
母が持っていたり、書店で出会ったりして、今まで中島梓(栗本薫)さんと、大塚英志さんの物語論(?)を各2冊、計4冊読んでいます。
この程度では、自身が何か論説を展開できるほどの知識には到底及びませんが、どちらもとても参考になって、今の私の物語……小説に対するスタンスを決めています。
中島さんのが、「わが心のフラッシュマン」と「コミュニケーション不全症候群」。とてもとてもお勧め。書き手としても、物語を欲する読み手としても。あ、あと「小説道場」シリーズも参考になります。こちらは書いてる方に特に。もともとボーイズラブ系の雑誌での企画なので、投稿作はすべてソチラ系ですが。
あ、「タナトス~」が文庫になってる……! 買わなきゃ、買わなきゃ!!(暴走)また一つ読むのが増えたよ、大丈夫?
大塚さんのが、「物語の体操」と「キャラクター小説の作り方」です。キャラクター~の方を先に買って、「物語~の○○ページを少し立ち読みしていただければ…」という記述を目にし、素直に立ち読みしようと書店に行ったが見つからず、挙句レジで店員に「物語~っていう本ドコにありますか?」と尋ねるなどという愚挙をおかして(勿論店員さんはレジまで持って来てくれた)買わざるを得なくなったというの顛末が。買ってよかったと心から思ってますが。
キャラ小説だし、物語だし、やおいだし、ラノベな人種にしか用のないもの……とは思わないでほしいな~、と思います。
物語って何なのか、小説ってなんなのか。ドコが違うのか。実際的な書き方から、その根幹を考察する理論まで内容に富んでいて、とてもためになりましたので。
中島さんは、多分ご自身が物語作家だ、と物語を肯定してらっしゃるんだろうし、大塚さんは、小説・文学の価値とかそういうのを物語とはナニで、小説はどう違うのかから浮き彫りにしようとしてらっしゃるのかな、と(昔なのでうろ覚えですが)読んで思った気がします。読むならお二人とも読まれるとなお面白いかも。
また、日常生活に関わる価値観や情報処理(?)のことにも触れておられます。

自分は物語、キャラ小説、ラノベを読み、書いてるつもりです。文学に慣れ親しんだことはないし、リアルな事はリアル(自分の現実)で十分だと思い、活字の世界には、それとは異なる興奮・快感を求めるタイプです。
母上の至言(?)ですが、
「フィクションの世界でまで、普段の生活に転がってそうな事読んでどうするの」
だそうです。基本的に賛成。「お約束」の世界の安心感、痛快感が好きだし。
月の杖にしてもイケショウにしても、そこを外すつもりはありません。
お約束な骨格丸出しにしては面白くないですが、下手な所を壊すと「そこ壊してどうするよ! そりゃあ現実の可能性としてはあるかもしれないけど、ソレ書いて、読んでなんか価値あるワケ?」的な代物になっちゃうと思うので。
難しいだろうけどね~。うふ~。

ちなみに陽炎は、ネタだけあってナニも考えずに書き始めたら、結局まあまあ収まりのつくラスト(バッドエンドだけど、「物語」の範囲内かと思われ)に持っていけなくなった(笑)
ので、微妙に小説もどきをやっているかもしれません。
「瞑する条件」は、分かりやすくお約束だと思います。
良くあるツボ系のネタですぜ、あれは。
自分にとって何かが欠けている状態→事件→欠けたものを取り戻せた(満足した)
だから。この場合は欠けたもの=安らかに死ぬ条件(題名まんまや)ですが。
ちなみに、いつもこんなにグダグダ考えて書いてる訳ではないです(笑)長編書いてると、どうしても考える事になりますけど。見せ場を考えないとナニ見せたくて書いてるのか分からなくなるんで。

とか、こんな事グダグダ書いてると、「作家になる気か、お前は」と思われそうですが、その辺は微妙。多分、目指したりは……しないかも?
それよりはバイオ系、エコ系の研究者かライターになりたいなあ。学者さんとゆーか、自分も論説文書いてみたい。やりたい事は色々あって、環境保護だったり、地域貢献だったり、研究だったり……研究したいというより、研究成果、世界中で次々と発見されていく新たな事実を、すぐに見られる最前線に近いところにいたい。
一つの事を極めたいのか、理想を持って広い視野を見て、目的の方向へ持って行きたいのか、自分の好きなことがやりたいのか、何かの為に尽くしたいのか。
まだ全然定まらなくて困ったもんですが。
環境関係やると、またぞろその辺に関わりたくなって困ったもんです、本当に。
古生物学なんてドコの大学行ったら出来たんだろう? むが~!
でも分子レベルの生物学も好き。
頭の中が非常に散らかっておりますな。ヤレヤレ。

科学雑誌のライター……憧れ筆頭に来てるかも知れません、今日この頃。

人間にとっての自然環境とは何か

2005-12-27 | ネタとしての生物学
 今現在地球にあり、人間を育んできた自然環境は、人間にとって失う事の出来ない大切な「生存の場」であると私は考える。よって、他の何の為でもなく、人間の未来の生存のために、人間は今の自然環境を守らなければならない。その「自然環境」とは、この地球上の全てであり、一見人間とは何の関わりもないような人里から遠くはなれた生態系も、人間には害を為す動植物もそれに含まれる。
 なぜなら、人間が暮らすうちで必要なものの多くは自然環境によって作られ、維持されているものであるからである。空気の成分も、水質も、土壌も、もっと直接的には魚や外の畑でとれる作物も、ある程度人間が手を加える部分はあれ、大体自然に頼っている。人間は外界と完全に――空気すらも――切り離された世界に生きているわけではない。そして、その外界を形作っているものは、現存する自然環境全てである。そうである以上、それらのどこかを破壊し、全体のバランスを崩すことはすなわち、人間の未来を破壊することである。
 まだ、この地球上の、全ての生物や生態系がどういった仕組みで、どう相互作用しているのか、何処を引っ張れば何が出て、何処を崩せばどう傾くかを人間は知らない。そうである以上、近視的な考え方で行動し、手の届く範囲だけで自分たちの都合が良いように自然環境をいじりまわせば、この自然環境という緻密な立体パズルが、全く形を変えてしまうことは必至だ。その形の変化はこれまでにも良くあったことかもしれないし、形が変化したらしたで、適応し、生き延びる生命はいるかもしれない。問題は、今の形が崩れてしまえば「人間は」生きていけないということである。
 しかし、人間は自然環境をいじりまわすことでここまでの繁栄を得た。今更いじりまわすことをやめてしまう事はできない。それをすれば、大半の人間は生きていけなくなるからだ。ならばせめて、いじった部分とそれによる影響を、予想できる範囲内に収めるよう努力すべきである。そして、崩す事があれば修復し、完全にとはいかないまでも変わらぬ形で後の世代に引き継いでいかなければならない。また、それをしながら自然環境という緻密な立体パズルの構造を理解していかなければならない。そうすることが、「安全に人間がいじれる範囲」を増やす、唯一の手段だからである。
 自然環境とは人間にとって、絶対に維持しなければならないものであり、同時にいじらずには生きてゆけないものでもあるのだ。今後は、その辺りのさじ加減、理性的な判断が巨大化した人間の脳に求められるものだと思う。――何より人間が生き残るために。



とか何とか、タイトルのお題のレポートに書き散らして提出してきました。
自分の考えなので、調べまわる必要はなかったのですが、書いていてどうも「こりゃレポっちゅーより、日記ネタの口調だわな……」と思いまして。
何かこう、やたら無駄に論説文風というか、偉げというか(笑)
レポート仕様にしては文章がはちゃけております。

昨日の講義~今日の講義で興味深かったキーワード。それは「共生」
普段授業でやる細胞内共生ではなく、多細胞生物個体相互の共利共生の方です。
東南アジアの熱帯雨林は、生物相互の共生の例が非常に多くあるんだそうです。たとえば、高さ70mにもなる大樹とキノコの共生関係とか、植物とカイガラムシ、アリの関係とか。
熱帯雨林は温帯(この辺とか)などと違って、氷河期にも氷漬けにならず、長い間ずーっと生物が途切れず暮らしてきた場所なのだそうです。その分、そこの生態系の歴史は他より年季が入っている。
加えて、氷河期には他の地域で(寒すぎて)暮らせなくなった生物が避難してきて、とても多くの種がギュウギュウといる状態になった。
その結果、他の地域より遥かに生態系が成熟している、と考えられるのだそうです。生物の歴史といったら競争原理ですが、もう熱帯雨林は既に、競争の時代を終えて、共生の時代に入っているとか。
激しい競争に次ぐ競争の結果、強いだけのものは生き残れず、他者と共生することを選んだものが生き残った。適者生存と言いますが、その生態系における「最適者」とは必ずしも「最強者」ではない、ということみたいです。
何かちょっと感動(笑)
なるほど~、行き着くところまで行き着いた感じかあ、と。
この「共生」という概念が、これから人間が地球環境で生き延びていく時のキーワードではなのか、というお話でした。
(授業で取り上げられたのは、故・井上民二教授のことを取り扱った「未来潮流」のビデオです)

ただ、その中でも言っておられたのが、
「共生」という言葉は最近良く耳にするが、この場合の生物同士の「共生」とは、決して普段使われるような甘っちょろいものではない、ということでした。
自分が生き残るための戦いの中、ぶつかり合いながらギリギリで見い出した妥協点のようなもので、「相手の為に、誰かの為に云々」とかいうものではない、と。
競争が行くところまで行き着いた結果ですから当然ですね。

とても興味深かったので、井上民二さんにも興味を持ちました。著作物を調べてみようかな。



ちなみに、種の寿命はその進化の度合いに大体反比例するらしいです。哺乳類は大体800万年くらいだそうです。人間の歴史はあと大体300万年くらいかな~、とか。
長くてそのくらい。それまでに地球生命全てと一蓮托生、無理心中してしまえば話は別ですが、それなりに種の寿命を全うするなりなんなり、人間という種の寿命のみが終わった時を空想してみました。
他の種は大体、まだ続くわけです。それから先もずっと。
その時、私たちが残した創作物や、過去への考察はどうなるんでしょうね?
人間が絶滅した時、次に地球を席巻する種が、人間から派生しているとは考えにくいらしいです。ドコで聞いたんだったか、(多分誰かの授業)もし次の世界に生き残る可能性があるとすれば、アマゾンの奥地に孤立して住む人々くらいらしい。
今までの進化を見ても、一旦大繁栄した種は大体他に取って代わられているし。

そしたら、次の種は、私たちがやった、「文化」「文明」を持つ、という流れを踏襲していくんでしょうか?
それとも、全然そんなのナシ? この文字も、あの絵も、全部自然の模様の一部になってしまうのでしょうか。
それとも、どこかにその知識の蓄積は残って、次の種の文明に影響を与え、次の種の更なる進化の土台(踏み台)となりえるのでしょうか。

その種と人間が系統的にかけ離れていたら、
彼らが知りたいのは人間の歴史じゃなくてその種の歴史だろうから、
「人間の進化史とかだけ、無駄に詳しいし! 役に立たない!」
とか思われたりして~などと妄想してみたり。

「文明を持つ」ということが、生物進化全体の本流の最先端なのか、ただの先細りの支流の一つに過ぎないのか、人間には分かりません。先になって、人類が別の種に取って代わられたあとでないと。
それどころか、脳がでっかくなることが進化の方向性なのかも私には良く分からない。体の仕組みがどんどん複雑になってきたのは、生物の進化の方向性として明確にある。だけど、「これからどう複雑になるのか」は、何もその生物が「意識を持つようになる」という方向だけではないだろうと思うので。
(いかん、頭が死んでる; 文章にならない;)
もしも「脳が大きくなって、生物一個体が意識と自我を持つ」ことが今後の進化の方向だったとして、その「脳」が今の私たちと同じである保障もない。
私らの脳は、大脳新皮質がでっかくなってるのが特徴です。
大脳とは、脳の中で一番前側(てっぺん側)の、元々は嗅覚を司っていた部分です。哺乳類の脳はこの、嗅覚の脳がよく発達してます。それに対して、鳥類は元々視覚の脳である、中脳のあたりもよく発達しています。
もし、鳥とか、脳の別の部分を良く使う動物から文明を持つ種が進化したとき、その種は私らと同じ思考回路を持ってるのでしょうか?
全然全く、根本的に違う思考なんて、所詮私たちは理解できませんが、多分、見る世界そのものが違うだろうと思います。今でもとても賢い鴉が進化したとして、いつか文明を持っても、それを私たちが理解できる保証もないわけです。

魚の目は、四原色で世界を見ているそうです。
世界の色彩が三原色から成り立つのは、単に人間の視細胞が三種類の色素しか持っていないからです。四種の色素を持っていれば、世界は四原色なわけ。
その世界では、高い彩度の紫色と黄色の中間色があるし、赤と緑の中間色もある。
私らにはこの二つは、どっちも濁った灰色にしかならないけど、四原色なら別の色。
私らの目で見てアースカラーに統一された、落ち着いた色彩の絵画も、魚の目で見れば悪趣味な極彩色かもしれない(笑)といったら言いすぎでしょうか。

ナニが言いたいかというと、
人間の見る世界は絶対のものではないし、私たちが何より価値を置くものも、種の世代交代が起きてしまえば何の価値も為さず、地層の奥に埋もれていくものの一つかもしれない、ということです。
自分たちが先細りの傍流なんじゃないか、私たちの見る世界とその真実は、私たちが消えた瞬間に消滅し、後に残るものでも、理解されるものでもないのではないか。
そんな考えは人間にとって、とてもとても耐え難いことのような気がします。

だから大抵、私たちが「未来」として想像するのは更に進化した人類か、さもなくば生命が何一つ存在しない不毛の大地なのかもしれない、とちらりと考えたのでした。
「私たちが最終段階」でないという事実は、(もしその事実があるとしたら)人間にはとてもではないが受け入れられるものではないから。
それが証明されるくらいならば、いっそのこと地球と心中してしまうかも(笑)
などとネタ的な事を考えたわけです。

自分たちが生き延びる為には、そりゃあ必死で環境維持に努めなければならないけど、その反面、もし自分たちが滅びても生命も地球も存続し、更なる進化をしていくなら、そんな未来ない方がマシだ。それくらいなら自分らと一緒に滅ぼしてやる、そうすれば自分たちが永久に、生命進化の最終段階であれる。
そんな事を考えてもおかしくない気がしてます。
心のどこかで、滅びを望んでいる部分がある……とまで言ったらネタ的すぎますけど(笑)
その心理は、とてもとても人間臭いものだと思うので。
だって、それはそのまま、人間一個人が死を怖れるのと同じ心理ではないでしょうか。
自分がいた証を残したい。自分がそこにいる価値が欲しい。誰も自分が居たことに、いなくなったことに気付いてくれないのなんて耐えがたい。
そんな感じで。

一個人ならば、周りに覚えていてくれる人々がいる。
一民族ならば、隣り合う民族や交流のあった人々の歴史に残る。
でも、人類全体の寿命が来てしまえば、もう他の誰一人として理解し、記憶し、その存在の証を認めてくれるものはいなくなる。
それは大いなる絶望かもしれません。
科学が示す、神様のいない世界の一番冷酷な面は、もしかしたらそこかもしれない。神様がいれば、神様はちゃんと、人間がいたことを覚えていてくれるからね。

なーんちゃって。
この、「自分の意識の存在の証を残したい!」という衝動は、「ミーム」からも考察できると思います。
このミームという概念も、とてもとても興味深いので、気になる方はチェックしてみましょう。私のお勧めは佐倉統さんの本です。同じミームでも、文系(教育系?)からのアプローチとなると、またちょっと違うので、個人的には理系なミームの本をお勧めします。ネタ的に。

ではでは、ながなが~く書いてしまいましたが、いつものよーに裏は特別とっていないので、その作業は各自でお願いします。鵜呑みにしないように。

私も、ただ1回どっかで小耳に挟んだ事をネタに妄想してるだけなんで。

どんだけヒマだったんだ。

2005-12-26 | イラスト記事
今日の集中講義にて書いた絵。(一枚はウチに帰って描いたけど)


コレは家で描いた。

ファンタジー系のお話のキャラどもです。
自分的にベタ王道な話を考えて、投稿できれば良いのにな~、というコンセプトのもと、フラフラ考えてるお話。
まあ、大体顔つきでドレがナニか分かるんじゃないでしょうか(笑)
一番目がヒロイン、二番目の、つり目の方がヒーロー(笑)
一番最後のはライバル系。真ん中二人は推して知るべしということで。
ちなみに文字が端に見えてるのは、同時進行で授業のノートもその紙に書いてたから(^^;

ドイツもコイツも、全く名前が決まっておらず、たこやきには適当に呼ばれてます。
真ん中の男なんて、(お察しの通り、敵ですが)「銀彩(仮)」とか言われてたりして。他は主人公、相手役、仲間(男)……って感じ。
早く名前決め手やらないとな……。

05.デュクシス

2005-12-26 | イラスト記事
デュクシス兄です。戦斧がしょぼくてすいません;
実はかなりのお気に入りキャラなんですが、いつも面倒をかけてばかりの気もする(笑)
フォルティセッドの兄。三兄弟の長男、28歳。
フォートが父親似、デュクシスとベル(妹)が母親似でしょう。
かなり黒に近い茶色の髪、茶色の目です。容姿の特徴はとりたててナシ。背はフォートより目線二つ分くらい高い。
森を歩くのが得意な野ザルなので、それなりに筋肉はあるはず。力押しの瞬発力タイプ(ムキムキ系・笑)ではなく、頭脳を使いながらの持久戦型。
フォートよりも直接戦闘が得意。魔術は使えません。
コイツも軽装で描くことが多いが、必要なら鎧もつける。ただし重いのは好まない。

飄々とした性格(のはず)だが、弟がからむと意固地になる傾向あり。
それ以外では熱くなった所を見せない、どこかつかみ所のない人物だが、郷土と家族を守りたいという思いは人一倍持っている。
全キャラクター中、一番「守るべきもの」をはっきりと持っている奴かもしれない。その基準がある分、ぬるい躊躇いがなかったり、存外苛烈だったりすることもあるかも。

28だし、婚約者とか用意してあげたいところ。

風邪っぴきたこやき。

2005-12-25 | 日記。
げふげふ。
ども、たこやきです。風邪引きました。喉痛いです。
3時間睡眠を二日連続でやって、その直後に(中一日開いたとはいえ)オールナイトで遊ぶから。
(遊ぶといっても友人宅で喋ってただけですが)
明け方ごろにはかなりやばくなってて、その日は夕方まで撃沈してましたが、親父が夜に来たので片付けをしたりする必要もあり……。
見事、今朝は声が出ませんでしたとさ;
結局友人から貰った薬は切れて、買いに行く事になったさ。
ヤバイと思ってたんなら引き揚げろよ、という話なんですが(笑)それもつまらないので、アホをやってみました。げふげふ。
然るによってただ今、喉が痛くて色々集中できません。外に出る気も起きず(出るべきではない;)、家にいても創作をするほどの元気もなく。
ゴロゴロと無為に過ごしてみました。
明日から今度は集中講義。
年明け一発目から再び忙しいので、講義が終わったら、やはり図書館にこもって、先に色々終わらせようかと思います。
運が悪ければPCは入院します(笑)←色々と前科があるので。
…………年始まで、あまり何も期待しないでください。
『エレガントな宇宙』読んでます……。(←物理・ひも理論の本)

あと一週間。

2005-12-24 | 日記。
で、今年も終わりです。
ついでに、「終末の日々」の締め切りです。
だ~れ~か~、投稿してくださいませ~。
新着投稿がないと、宣伝するのが難しいのであります。
宣伝が難しいと、新規参加者も集まらないのであります。
そろそろ投稿者も集まらなくなって久しいし、募集取りやめて展示だけに切り替えようかな……。
その辺は、年末までに投稿されなかった方々へ確認メールを送って、その返答次第ですけど。
え、自分は書かないのかって?
いや、もう一本書いたしいいかな……とか。
ネタはあれど、内容的に(取材が)厳しいので……。


あ、募集と言えば、2周年企画の方も(笑)
まだまだ当選確率は高い状況です。
信用されてないのかな?(汗←過去の所業を見ると、信頼に足るとは言い難い)

あいかわらずの超絶マッタリ更新、好き放題をやっている当サイトですが、
来年もよろしくお願いしますv
来年は長期休暇の帰省による更新ストップはなくなるかと思います。
理由は簡単、帰れないから(笑)
その代わり、忙しくて云々~、とは言っているかもしれません。
ああ~、本当に好き放題だなあ……。

それでは、良いクリスマスを!

ぱちょこん壊れた

2005-12-22 | 日記。
レポート締め切り前夜。
今度こそ逝ったかも。前回の手が通用しないや;
あーあ、完成品のレポートが。Excelを駆使して集計した結果が……。
ムゴイぜ、ばかパソめ。
レポート……終わらない……。

ただいまです。

2005-12-21 | 日記。
午前2時まで、学校で缶詰してました、たこやきです。
あんな遅い時間に学校にいたの初めて~。ってか、明日の朝(今日の朝?)一コマからだけど…………(滝汗
ああ、全然眠くない。でももうヤル気にもならん。
寝ますかねえ……。しかし、意外に人がいるぞ、理学部。
外では(教育学部辺りから)熱唱する歌声も聞こえてくるし。
12月の真夜中。元気だねえ。
ウチに帰ってくると、一階の電気は全てついてました。みんなレポが終わらないのかい?(ちがうか)

依都様、イラストお受け取りありがとうございました~v(私信)

ちなみにあの絵、元サイズは1500*1800という超・巨大サイズ。
線画は以前公開したものと同じサイズなんだけど、拡大複製して塗りました。
まんま塗るよりきれいかなあ……? どうだろう。
フリーズに怯えながら完成させ、最終的には12MBありました。でっかいなあ。
そんなわけで、もっと大きいものもご提供できます(笑)
折角塗ったんだから、そのままのサイズで保存しておくか、縮小版を保存して元絵は(メモリ食うので)破棄するか悩み中。
ちなみに1500*1800がどのくらいでかいかというと、面積的には9倍。100%表示じゃ翠ちゃんの顔と胸しか入らないくらいです。(公開しているものは500*600)
こんなにおっきくては、等倍のままでは観賞も出来ないのですが(笑
(ちなみに原寸はコチラ。233KBあります。IEをお使いの方は、多分縮小して表示されます)

レポ締め切りは木曜日。日付的には明日、気分的には明後日です。
まあ、何とかなりそーな、どうだろう……。
頑張ります。

うわ~ん!

2005-12-20 | イラスト記事
依都さ~ん! 何でだろ、色塗り完成しちゃいましたよ~!
(今、絶対オフの友人に「阿呆だ」と思われた!)

ってなワケで翠ちゃんです。推定年齢20歳。
依都さま、進呈いたしますので煮るなり焼くなりなすってくださいv

ども、絵を描けない欲求不満がついに爆発したたこやきです。事情をご存知の方々は、どうぞアホと呼んで下さい(笑)
今回も色々テクスチャとか写真とか失敬しております。
お世話になったサイト様方は絵別館のリンクに大半ございますので、興味をもたれた方は是非。
いいや、明日昼からだし、すぐ終わるし、明日頑張る。今からも頑張る……。十二時半回ってからが本番さ、とか意味不明を言ってみる。

ああ、楽しかった……。
何だかんだで絵を描くの好きだよな、自分…………。
ま、別名「テスト前効果(この場合はレポ締め切り前効果)」だけどね。

満月の雪

2005-12-18 | 日記。
(正確には満月は昨日ですが)


午前一時。
友人宅のドアを開けて外へ出ると、闇に沈んでいるはずの世界は、一面が白に塗りつぶされていた。
例年ならこの季節には見ない光景に驚きながら、帰宅するためアパートの階段を降りる。

折りしも月は満ちている。
その光は薄い雪雲をすり抜けているのか、辺りは深夜と信じられないほど明るい。
淡い月光は降り積もる雪を白く浮かび上がらせ、地上を染める白に弾かれ。
何処が光源とも知れない光に、世界は満たされていた。

光のないが故に、影も存在しない世界。
深夜でありながら、昼間のようで。
己の足音すら聞こえず、ただ耳に届くのは、遠く霞む救急車のサイレン音だけ。
そこに、ただ深々と無音で雪が降り積もる光景は、正に異界と呼ぶに相応しいものだった……。


とか、さっき見たものを書き留めておきます。
何か小説のネタになればいいのに~。そのままフラフラ出歩きたくなったよ。
(実際には友人宅は自分ちの真上=同じアパートの二階なので、一瞬で家に帰れる)
明日の朝、どんだけ積もってるだろうな~。実家の辺りが30センチとか積もるはずさ~。明日何センチになってるか楽しみだぜ。
何か、上の文句から短編かけそうな人がいたら名乗りを上げてください(笑)
その短編を公開してくださることを条件に、上の文章を譲渡いたしますわv
なんちゃって。

どかん!

2005-12-17 | 日記。
うが~! 絵別館の推奨環境、ネスケもしくはモジラ!!
IE(インターネット・エクスプローラ)なんか嫌いだ~~~~~!!!!

ヒスを起こしております、たこやきです。
何であんなに崩れるの!? もうちょっと統一しといて欲しいなあ。
いつもモジラのコンポーザー使って作るから、IEで見たらひでえことに。
もう、アレがデフォだと思ってください。直す気力がない。
テーブルとボックスの解釈は、NN系の方が賢い気がするのはNN系で作ってるから?
あと、IEはたまに余計な気を回しすぎてる気がする。
改行タグもないのに、タグ打ちのときの改行を読み込んで勝手にスキマあけないでほしい。
いつもIEさんのテーブル(特にセルの横幅の解釈)に悪戦苦闘しております。
ネスケ系、あとはスクロールバーのデザイン変えるのと、スタイルシートのフィルタが使えれば文句はないんですが。




と、言うわけで一応別館に絵を上げました。

何でこんなモンが…!

2005-12-16 | 日記。
国立大学の図書館にあるんでしょう……!?(爆笑)

あーあ、誰だ~、こんなの頼んだの~。何か同じ学科な悪寒がするぞ~?
認める方もアレだと思うんだけど。これ入れて貰えるなら欲しい本が……(笑)
漫画系のデッサン本とか、イラスト系の画材本とか。
……頼んでみよかな。

コレでいいのか、Y大。
ちなみに新着図書のコーナーにありましたよ、同学の皆々様方。
他にもあるのか、奥の棚をチェックしたくなったよ。
でもドコのジャンルだよ、これ。(情報? 芸術?)








…………借りてみました。