山本晴美 ここで愛ましょう

歌語りシンガソングライター 山本晴美のブログ

海からの手紙

2007-12-04 20:09:29 | ここで愛ましょう

驚いた。
62年前の海から手紙が届いた。
65年分の愛とともに。
しばらく何も手がつけられなくなってしまった。

私は2歳半、姉二人、弟四人の子どもを残し、父は断腸の思いで戦場地マニラの海に散ってしまいました。
その時の船(吉田丸)には父の弟も乗船していて、弟は幸い戻って来る事が出来ましたが、船が沈んで行く時、父はその弟に「家族を頼むぞ!」と最後の言葉を言い残しました。
その瞬間、どんなに辛く、苦しく、悔しかったか想像もつきません。
享年33歳でした。
弟は母のお腹にいる時、父が出征し、待望の男の子が生まれた事を一時も早く父を喜ばせようと、写真と手紙を送りました。
返事も無く、母はいつも「写真が届いたかどうだかね」と返事を一日千秋の思いで待ち続けたようです。
そして間もなく、紙切れ一枚の「戦死」の知らせ。
何一つ戻らず海に沈んでしまいました。
母はその直後、父が魚に食べられた想像から、魚が食べられなくなったそうです。

・・・・中略・・・・

母も83歳で他界しましたが苦労の連続だった母、私たちの誇りです。
楽をさせてやりたかったと悔やまれます。


「歌語り」感激の余り、65年間の思いがあふれ、涙がとめどもなく流れ、その涙を拭く事さえ忘れ、大声で「おとうさん」と叫びたいほど感涙むせた時間でした。



Fさんのお父様の無念。
戦地に奪われてしまってからのお母様、Fさんご兄弟のご苦労が小さな文字で便せん4枚にびっしり書かれてありました。
この手紙は62年前の海の底から時を越えてわたしに届いたのだと思います。
「おばあちゃんの手紙」のとき子ばあちゃんのご主人も海に消えていきました。
歌語りは遠くの魂が命かけて守った大切な人に、時を越えて伝えきれなかった愛を届けているのだなぁと体の中に何か落ちていくような感覚を覚えました。

きっと、歌語りはたくさんの魂に支えられている。