乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

国立ブンラク劇場

2006-04-29 | 舞台・芝居


    国立ブンラク劇場      2006/01/09  昼の部



 【演目】   

      1)  寿式サンバソウ

      2)  タイヘイキ忠臣講釈

      3)  munagi(33)参間堂棟yurai(むなぎのゆらい)




 【演目】 


 トウジュウロウの『ホンチョウ二十四考』の影響を受け、こどもの頃から苦手なブンラクに一度いってみんとて、いくなり。






 まず驚いたのは、劇場の舞台上には、字幕が現れる。

 まるでオペラ。

 日本語なのに字幕スーパーが出てくるのは、ビックリ。

 待ってましたのおなじみの演目が始まる。





 【ブンラクのジョウルリについて】


 ブンラクのジョウルリは思っていたよりもはっきりと聞こえ、カブキと変わらずに楽しめた。


 ただ違うところは、kabukiは情景を語り歌う脇役であり、ブンラクではギダユウが主役のよう。





 【ブンラクのジョウルリについて】

 ギダユウは表情豊かで、感情移入して歌い語られていた。

 私はブンラクでは人形を見たものか、ギダユウを見たものかで、少し戸惑い、興味深くみていた。


 ギダユウを見たくなり、人形を見たくなり、ときどき字幕の繰り返し・・・

 割り合いにして、

 ギダユウ:人形:字幕 = 4:5:1


 不安になりまわりの常連らしき観客を見渡すと、全員が人形の方を見ておられた。

 




 真前の幼稚園から小学校低学年らしき女の子は、聞こえないほどの小さな声でギダユウに合わせて口ずさんでいたのがかわいらしい。


 とてもかわいらしいおりこうさんの女の子は、素直に楽しんでいた。


 静かに座り、頭は左右にリズムを取っている。

 みていてほほえましい感じがこちらにも伝わってくる。

 その女の子に好感を持ち、三歳の頃からカブキに連れて行った我が子の姿を重ね合わせていた。





 【寿式サンバソウ】


『寿式サンバソウ』はアップテンポで進む。

 待っていました! の

「とうとうたらりらりら~」

という台詞は十分暗いたったところで歌われた。




 三味線がことのほか上手く、大向こうをかけたい衝動に駆られるが、まさか

「三味線」

と声をかける訳にもいかず、静かにゆっくりと流れを楽しむ。






 首の使い手は思いのほか難しそうで、驚いた。

 リズムに合わせてカブキやノウガクのように足踏みするのですが、一拍或いは二拍近くも遅れる。

 これはブンラクの特徴なのかも。

 何しろ私はブンラクのことは全く知らない・・・。





 聞きなれたリズムにのって、人形たちは踊り、みえをきりなどといった大奮闘の中、幕はおりた。









【taiheiki忠臣講釈】




 色々な意味でインパクトのあるこの作品。

 私はBUNRAKUのことを全く知らないのですが、お正月に何故この演目を選ばれたのかは、誰かにお尋ねしてみたいような気がする。

 



 
 【その理由として】


 1)夜鷹が数多く出てくる。

 2)夜鷹の言葉と内容が少しだけお下品。

 3)文化功労賞を受賞されている竹本スミダユウのジョウルリの語は大阪をイメージ。

 4)そのため京都の話だとはかなり話が進むまでは知らず、浪速の話だと勘違いしてしまっていたおばかな私。


 5) 女性(妻)が意味なく自害せねばならない境地に追い込まれることに対する不満葉のこるものの、お芝居にはこういったパターンが多い。


 注) 昔は全面的に男社会であり、妻やこの死はさほど問題視されなかったのでありましょうか。

 注) ブンラクの後にカブキが登場し、話の内容をソフトにしたのだろうか・・・近日中に図書館に出向き、調べてみよう。




 6) わが子を殺した父親に向かって、祖父(妻の父)が、

「忠義を尽くした」
「でかした」
という言葉には少々複雑な思いもいたしますが、これはお芝居にはとても多いパターンの一つのようなので、これからおいおい学んでいきたい。






 【女性用トイレ(国立ブンラク劇場)】




 幕間十分間。

 トイレは二箇所あるのでまあいいやとたかをくくっていてはいけない。




 トイレは狭く、数は観客に対してきわめて少ない。


 みんなが紳士用トイレやハンデー・子連れ用のトイレを使っても追いつかない位の人数と極少のトイレ数。


 トイレの絶対量が少ないのですが、係りの若い女性は、
「早く席にお戻り下さい」
の連発で、みんなが少しいらいらしてしまう。




 舞台開始の合図が鳴り 舞台が十分程過ぎた頃、ようやく席に戻る。

 ギダユウの語りはすでに始まっており、悲しみとショックを感じる。






 ブンラクの観客はは女性や高齢者も多いことを考えると、毎日新聞(2006/01/27?)にブンラクにきてくださいという趣旨の内容が一面に記事になっていたが、『足を運んで・・』という前に、数字的に計算して、基本的な設備くらいは整えられた方が良いにかしら・・・と、いらぬおせっかいを考えてしまう馬鹿な私。





 【ムナギ(33)間堂棟ユライ(むなぎのゆらい)】





 なぎとやなぎが枝を交わして緑という子もうけたという設定から話は始まり、思う浮かぶは『日本書紀。


 鷹狩りで足に引っかかった侍が柳を切り倒す。

 妻のお柳はもとは柳。

 この柳を切り倒されては、愛する夫とも緑(子ども)とも別れなければならないお柳。







 お柳が二人と別れるシーンの二場面は幻想的で美しい。


 1) お柳が柳の精に姿を変え、寝ている緑のはるかバックがブルーグリーンのなか、お柳が神秘性を持って、抽象的な形で現れる。


 2) 柳の葉が点からひらひらと舞い落ちてくる場面。


  ここは遠う目で立体性を自分で想像しながら観ていると、

柳の葉は来るっると舞い落ち、葉の連続性がいっそう柳らしさを感じさせる。


  ただ、木の葉に簡素手はよく見ると、熊笹の葉よりも少し短いほどに柳とは似ても似つかない代物。

  この形がくるくる回り、柳に見えやすくなるということがわかるまでに、一体どれだけの実験をしたことだろう。

  多分形だけではあそこまでは回らないはずであろうから、重みや微妙は形の変化も計算しつくされているに違いないと感じた。


 3)柳は切り倒されたが、みなの力を借りても動かして引っ張っていくことはできない。


 4)そこで夫(なぎ)は扇でで仰ぎ向かえ、緑(子)が引っ張ると・・・・動いたのである。


            めでたしめでたし

                   どんとはらい

                      すこーんすこーん米団子


 5)この演目も言葉遊びが多く笑える箇所が多かった。









 【ブンラクの大向こうについて】



 ブンラクの大向こうは義太夫に対してであり、首の使い手に対して、登場の時に限り、個人名でかけられていたよう。

 

 大向こうはあくまでも登場の時だけにかかる。

 そのかけ方は小芝居に似ている。






 前から四,五番目の席から声をかけるの方が多いのも、小芝居と合い通じており、ハンチョウという言葉が適切かもしれない。

 ちなみにカブキの場合 日により人にもよるだろうが 二、三階席の後ろからかかることが多い。

 ブンラクは世界遺産に登録されたが、舞台といい観客といい、**演劇(小芝居)に近いにおいを感じた。





 【ブンラクとカブキとの違い】



 1)ブンラクはカブキに比べ、歴史が古い。
   言い換えれば、カブキのもとになっている、

 2)ブンラクは人形、カブキは男の役者が演じる。

 3)ブンラクは聴き、カブキは観る。

 4)ジョウルリにおいて、ブンラクは主役であり、カブキはあくまでも脇役であり、状況描写に過ぎない。

 5)ブンラクは字幕スーパーが出てくる。

 6)大向こうのかけ方が違う。

 7)ブンラクは大阪仁ねずいているということがブンラクをみていて感る。

 8)カブキに比べ、ブンラクは同じ話でも残酷な内容、表現とクライマックス、表現がストレートのようです。

 9)ブンラクはきれいごとではない、人間や社会の本質までえぐりかかれているので、それはそれでまた面白い。


 10)ブンラクは舞台に溝(黒衣の歩く道)が掘られている。

 11)ブンラクには花道はない。










 ブンラクはあまり知らないので以上 上の十点くらいしか気づきませんでした。


 以上ブンラク知らずの、独断によるブンラク感想をお許し下さい。
 ブンラクを全く知らないため、言いたいほうだいで申し訳ございません。
 間違いやお気づきの点がございましたら、お教えくださいませ。




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ユメノナカゾウ センボンザクラ  コウシロウ様

2006-04-28 | 歌舞伎
 



      ユメノナカゾウ センボンザクラ


             2005/09  昼夜同演目 

             3回観劇(一度は家族4人で)




 小生の好きな役者の一人、コウシロウ。

 ソメゴロウ時代から長年 コウシロウの声と手の好きなの私。

 そんな私のために、家族が気をきかせて、一階席チケットを三回分購入してくれた。

 ありがたい。

 家族とはいいものだ。




 三度のうち一度は花道側の席。

 コウシロウのみえをすぐそばで見ることができ、涙の出る思い・・

 手を伸ばせば、そこにコウシロウが・・・

 彼の息吹を、熱意を感じることができる。

 しあわせ・・・とはこんな時に使う言葉なんだなぁ~と、このときばかりはしみじみと感じた。

(人にとっては安っぽいしあわせか・・)って、一人ほくそ笑む私。

 まあ、いいとするか・・・・  






 【『ユメノナカゾウ センボンザクラ』全体を通して】


 全体を通して『夢のnakazousenbon桜』はオリジナリティにとんだ良いできであった。

 脚本も演出も拓未である。


 また大道具家の二階は見上げるほどに高くそびえ立つ感がある。


 その二階での芝居の練習をするというコウシロウの演技が日によって違い、面白い。

 ただ、前の方の席を3度とも取ったため、首が痛い。

 コウシロウを毎回観続けると、たった3回の観劇でも首に負担がかかる。





 彼は素直な演じてのため、いい意味で『今日はつらそうだな』『今日はなかなか頑張ってるな』といったことが観客にも伝わってくる。


 彼のみえの切り方は格別で、ニザエモンとは違った、また別の魅力がある。





 浮世絵、写楽、日本美・・・・

 こういった言葉は彼のためにあるのではないかといった錯覚に陥ることしばしばである。

 コウシロウ(と、ニザエモン 他にもいっぱい・・・)ファンの私、一体どこまで書けば気が済むのであろうか。







 【コウシロウは他の役者とどこが違うか・・】





 彼特有の素敵な目使いで、目力は鋭い。

 声もいい。聞き取りやすい発音。

 加えて、台詞の切れ目のビブラートの利かせ方は、彼独自のものである

 
 

 他の役者との大きな違いは全体を通して【手】。

 彼の手は力強い。

 この手が、浮世絵の美しさに通じている

 故須田国太郎(油絵画家/独立会)がデホルメした手などを表現する際に、『ガバッツ』っと言ったように伝えられているが、まさにコウシロウの『手』は『ガバッツ』。

 コウシロウの演技を画家でたとえるならば、オスカー・ココシュカってところだろう。


 早く言えば・・・小生の好きな役者の一人ということだけである。

 ただ、それだけ・・・・

 本当に・・・

 意味の無い、自分の為の記録・・・







 【現ソメゴロウについて】





 ソメゴロウさんは大変頑張りを見せていた。

「この鼓はぁ~ぁ~、母デェ~  ごじゃりまするっ」
の名台詞はかわいらしかった。

 またカンタロウとの武芸の見本を披露する時のスピード及び迫力は満足感があり、好感が持てた。



 ソメゴロウはカンタロウとはまた違ったタイプの役者。

 優男、伊達男のにおいがする。

 彼もまた将来が楽しみの若手の一人といえよう。






【好きなヒデタロウについて】



 忘れてはならないのがヒデタロウ。

 いつもと違った役柄の彼もまた魅力的。

 素直に拍手を送りたい。


 

 一体何人好きな演じてがいるのだろう・・・・







 【コウシロウの舞台】

コウシロウの魅力がたっぷりと味わえる最後のシーンは素晴らしかった。


 本当に力強い。

 言葉にならない。

 強いて言うならば、芝居内容は違うが、コウシロウの『シュンカン』のラストの力強さにに相通じるものがあった。



 二〇〇五年九月はコウシロウをまじかで三度も堪能できた幸運な月。

 生涯、私の心の1コマに納めておこう・・・






 【フジマ紀子さんについて】


 劇場の出口付近には三度ともフジマ紀子さんがご贔屓筋にご挨拶をなさっていた。

 上品で始終にこやかな笑みを浮かべられ、素晴らしい方だと感じた。

 昔と変わらぬ美しさと気品と若々しさ・・・自分だけが年を重ねたような錯覚にとらわれたのは、少し寂しい。









      九代目  マツモトコウシロウについて                                     

                          コウライ屋
                      

                                

 昭和17年8月19日生まれ。

 本名 フジマ照明(ふじま てるあき)。

 八代目松本コウシロウ(初代マツモトハク鸚)の長男。



 21年5月東京劇場『スケロク』のウイロウウリの伜(せがれ)でマツモト金太郎を名のり初舞台。

 24年9月カブキ座『逆櫓』の遠見の樋口六代目市川ソメゴロウをシュウメイ。

 56年10・11月カブキ座『カンジン帳』のベン慶ほかで九代目マツモトコウシロウを襲名。






 昭和40年と42年にテアトロン賞

 54年度日本芸術院賞

 平成5年サー・ジョン・ギールグッド賞

 7年松尾芸能賞大賞

 7年読売演劇大賞最優秀男優賞

 10年眞山青果賞大賞

 10年同年菊田一夫演劇賞大賞

 14年度ゴールデンアロー賞大賞

 15年第10回坪内逍遙大賞

 17年紫綬褒章





  【コウシロウさんの演じる好きな演目】



『カンジン帳』

『シュンカン寛』

『テラコヤ』    他



 【『カンジン帳』について】



 特にコウシロウさんの『カンジン帳』は私にとっては最高。

 彼の『カンジン帳』は力強く、勢いがある。

 決めも素晴らしい。

 投げロッポウやみえの切り方は私の好みで言うと、彼の右に出るものはいないような・・・

 また品のある舞は、観客を優雅な気持ちにさせてくれる。



 ニザエモンさんやダンジュウロウさんやキチエモンさんの『カンジン帳』も素晴らしいが、どこが違うのか。



 彼の場合は【アップテンポで大きな動き】と【手】にある。

 『勧進帳』はリズムとテンポと迫力が重要である。

 また【形】がとても大切である。

 彼は能や狂言のように腰を下げる。

 充分に体を落として、しっかりと動くことにより、は迫力に加え、気品が生じる。

 芝居や舞には品が必須である。





 【彼の手】

 彼の手は素晴らしい。


 まるで浮世絵から出てきたような美しさと力強さを兼ね備えている。


 かなり昔に彼の『カンジン帳』と出会っていなければ、今このように芝居を観に行くことはなかったであろうといっても過言ではない。

 それほどまでに彼の影響力は、安部公房と同等に大きく、小生の今の生活観の基盤を作り出したといえよう。


 小生にとってこの演目は重要であり、今の生活を豊かで楽しい方向に導いてくれたとさえいえる。


 『カンジン帳』を観るといまだに若き日の小生に戻ることができ、心が弾む。





 浮世絵、写楽、日本美・・・・


 こういった言葉は彼のためにあるのではないかといった錯覚に陥ることしばしばである。


 他の役者とどこが違うか・・・


 彼特有の素敵な目使いで、目力は鋭い。


 上に加えて他の役者との大きな違いは【手】。


 彼の手は力強い。


 この手が、浮世絵の美しさに通じている。


 故須田国太郎(油絵画家/独立会)がデホルメした手などを表現する際に、『ガバッツ』っと言ったように伝えられているが、まさにコウシロウさんの『手』は『ガバッツ』。


 コウシロウさんの演技を画家でたとえるならば、オスカー・ココシュカってところだろう。






 最後になりましたが、今日書いた内容もあくまでも私の好みや独断による雑談にすぎません。失礼がありますれば、他の役者さんのファンの方、お許しくださいませ。

 役者の皆さん全てが個性的な演じ方をなさっており、どの役者さんの舞台を観ても楽しいことが多いことを付け加えておきます。

 間違いやお気づきの点がございましたら、お教えいただきますようにお願いいたします。

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サカタトウジュウロウ シュウメイヒロウ

2006-04-28 | 歌舞伎
 

ミナミ座(京都)カオミセ興行 2005



    【サカタトウジュウロウ シュウメイヒロウ】


              12/11(夜の部)家族4人

              12/22(昼の部)家族4人


 231年ぶりの三代目誕生とあって、歴史的重みを感じるシュウメイヒロウの瞬間にたちあうことができたという満足感を感じる。


 この思いを家族と分かち合えて幸せに感じます。

 今回はかなりの期待をこめて、家族全員で、朝夕観劇いたしました。

 もちろん今回は気合を入れて、1階で観劇。

 カブキ色が濃く、芝居を観たという満足感の味わえる舞台であったという、喜びの味わえるものでした。




 【昼の部  12/22】


「ユウギリ名残のショウガツ」と「ソネザキ心中」はトウジュウロウを満喫できる演目でした。






「ユウギリ名残のショウガツ」においては紙子(紙で作られた衣装)という装いを、当時を想定しての再現。



 サカタトウジュウロウとしての思い入れが伺える。


 待ってましたのニザエモンは出番が少なく、寂しい。

 夜の部の芝居中の口上や一般的なそれに比べ、仰々しく笑いの少ない口上であった。

 仰々しく、厳かに口上はおこなわれた。

 心なしか役者の顔は緊張気味。

 張り詰められた緊迫感の中、舞台は品良く進行。

 ショウチクや役者たちの思い入れが伺える。

 それほどまでにサカタトウジュウロウとは偉大な役者だったのであろうと同時に、今回シュウメイされたトウジュウロウに期待が大きいのであろうか。




 キチエモンの「ゴトサンバソウ」は喜劇を演じきり、素晴らしい出来であった。

 キチエモンはこういった茶目っ気の必要な芝居も上手い。




 ただ「京人形」のキクノスケは美しく素敵。
 
 ただ足の動きがおしい・・

 若手の中ではトップクラスに好きな役者の一人のキクノスケ。

 上手い役者だけに、ちょっとしたジレンマが痛々しかった。

 しかしこの若さでここまでできるのは素晴らしい。

 期待の持てる大型役者になられるのは確実であろう。

 って言うか、かなり好きな役者さんの一人なんだ。








 【昼の部  12/22】



 今回の「ホンチョウ廿四コウ」は素晴らしい芝居に出来上がっていた。



 家族Aは痛く感心し、目を輝かせていた。

 家族Bとはこれがきっかけとなり後に二人で文楽に行く。



「翼が欲しいぃ~、はねがほしいぃ~~、いっそ 飛んで行きたいぃいぃ~~」


 上なる名台詞の声色と抑揚は、今も私の心に深く刻み込まれている。





 【全体を通じて】



 全体に見て昼の部は楽しめる演目であり、夜の部はトウジュウロウらしさを覚える。共に満足の行く舞台であった。



 個人的には「ホンチョウ廿四コウ」にトウジュウロウの思い入れを感じ、感動した。

 彼はあの舞台では人形に彼の魂が乗り移ったような錯覚に陥った。

 それほどまでに彼は人形になりきっていた。



 長い歴史の流れの中で、人も芝居も文化も引き継がれる。


、トウジュウロウを想像し、トウジュウロウを楽しめる時代に生きることに喜びを感じた顔見世であった。
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シラナミゴニンオトコ

2006-04-27 | 歌舞伎
  



18代目ナカムラカンザブロウ シュウメイヒロウ

       通し狂言



          シラナミゴニンオトコ




               第四十一回 吉例カオミセ 夜の部


      
  カンザブロウ、ニザエモン、ヤジュウロウ、ミツゴロウ、ハシノスケ、センジャク、カンタロウ、シチノスケ 他


                     misono座(名古屋)






                              2005/10/11

 わぁい、私の好きな役者が多い・・・今回の公演。



【ベンテン川柳】



  さざなみや 五人つらねの 伊達男
  
  目力の ニホン駄右衛モン ここにあり





 ミソノ座「シラナミゴニンオトコ」のニザエモンはかっこよかった・・・

 楽しかったと今でもしみじみと感じる。

 舞台のつらねはなんともいえない胸のすく思いだ。

 今回花道がしっかり見える席にして、良かった。

 やはりニザエモンは、一等席で観たい。



 【ニザエモンについて】


 ニザエモンは迫力があった。

 さすがのニザエモン・・・

 長年のニザエモンファンとしてはたまらない。

 優男も似合うが今回のニザエモンも上手かった。
 いい味が彼を包み込んでいた。

 今回の「シラナミゴニンオトコ」のニザエモンの迫力は素晴らしい。

 ニザエモンはみえの切り方はコウシロウとは又違った迫力がある。



 (1)一旦目を見開く。

 (2)二秒間程ゆっくり目を閉じる。

 (3)切れよく即座に【カッ!!】と、目を見開いたかと思うと、大きく黒目を動かし、みえを切る。 

 (4)男前が加わり、言い表しようが無いくらい、素晴らしい。




 【カンザブロウさんについて】


 カンザブロウさんのベンテン小僧も楽しかった。

 彼の芝居は、広い意味で面白みが感じられる。

 これからのカブキ界をになう役者さんの一人。

 素敵な表現を味あわせて下さいました。


 周りのニザエモンやヤジュウロウやバンドウミツゴロウやハシノスケやその他の素敵なカブキ役者がいっぱい。

 これに関しては、七月のシュウメイヒロウに同じ。

 好きな役者さんがいっぱい出ておられました。

 さすがにカンザブロウ、人脈がすごいなあと関心いたしました。

 カンザブロウのお人柄のうかがえるシュウメイヒロウでした。






 【名古屋ミソノ座について】
 

 名古屋での観劇は快適であった。
 この日の公演は、カブキ好きのかたが多く、ビックリ。

 文化が東京よりのせいか、観客ののりもよい!!
 カブキはお勉強ではなく、遊びのひとつと心得ていらっしゃる。



 着物姿が多い。
 大向こうさんも多い。
 芝居を観ていて、活気が感じられる。



 ミソノ座はシートがゆったりとしている。
 一階席にも通路に補助席が出るほどの人気振りであったが、広々としていた。



 今回グループでの観劇であったが、結構いい席だったので、しっかりと楽しむことができた。

 名古屋公演鑑賞は、私たちみんなにとって喜ばしい観劇でした。 






【「シラナミゴニンオトコ」について】


「シラナミゴニンオトコ」を三幕、通し狂言で観ると迫力があった。

 内容はご存知の通り。

 簡単なのだが、きめ台詞が素敵で、切れが良い。

 衣装も形も話も素敵。
 
 芝居の内容も皆がかなり喜んでくれたようだ。

 


 今回連れ立ったみんなにとり、ニザエモンは新鮮だったようで、
「先入観無しで観たけれど、とても素敵な役者さんだった・・・」
とのことで、安堵した・・・

 役者の年齢を伝えると目を丸くして、驚いていた。

 ニザエモンは多くの人にとっても、とっても素敵に映るらしい。




 
 「どんな役でもこなす二枚目役者とは彼のこってい~~~~!!」(笑)
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日記 七月大カブキ

2006-04-27 | 歌舞伎
日記



 記憶をたどって。

 最近の物だけ記録する。


 





  七月大カブキ

       ナカムラカンザブロウ  
         



                         2005/07 夜の部 観劇






 ニザエモンさんはいつ観てもカッコ良い。

 ぽわ~~ん!!




 

 【演目】

 1) ミヤジマのだんまり

 2) 大津エドミョウ寺

 3) ノダバン トギタツノウタレ

 


 これでもかこれでもかの豪華キャスト。

 こと『ミヤジマのだんまりのだんまり』に関してはニザエモンも・・・

 価値のある演目と舞台であった。






 印象的だったのはなんと言っても


       『ノダバン トギタツノウタレ』



 現代劇或いは小芝居にも通じる。

 この芝居は、ナカムラカンザブロウさんのよさを充分に味わえる。

 彼の場合、こういった彼の特徴をうまく引き出せる芝居が好き。

 ナカムラカンザブロウさんは観客を楽しませるプロ中のプロ。

 観た後は満足感で、会場を出た観客は皆、ニコニコと笑顔が多いのが特徴。

 観るにつけ、ナカムラカンザブロウさんのよさが心にずしりと染み渡り、だんだんと好きになってくる。





 例えば二〇〇五年十月の『白波・・・』

 この演目ではナカムラカンザブロウさんがベンテン小僧だった。

 カンザブロウさんのベンテン小僧はキクゴロウさんやキクノスケさんとは違った味わいがあるが、カンザブロウさんもなかなかのもの。

 少し泥臭さがあって、面白い。

 では、ベンテン小僧はどちらの演じ方が好きだったか?





 私の場合は・・・内緒です。

 私はキクノスケさんとはさんもカンザブロウさんも好きですから(笑)
 






『ノダバン トギタツノウタレ』は始終安心して楽しむことができた。

 演劇としても充分楽しむことができ、若い方やkabukiが始めての方にも他の演劇と同様に楽しめるように思う。

 それがノダさんやカンザブロウ さん、強いてはショウチク株式会社の狙いでもあり、良い意味で、カブキ界の将来にかなりの影響があると思う。

 若手のソメゴロウさんやカンタロウさん、シチノスケさんの魅力は若い観客の集客力の手助けとなろう。

 私の場合は、あの素敵なヤジュウロウさんが観られれば幸せ。

 素敵な役者さんがいっぱいで、幸せ感と満足感の味わえるバランスの良い舞台。



 この舞台は途中で八,九十年年頃流行したの大掛かりな回り立体舞台が出てきて懐かしい。



 宿屋で急にトギタツがもて始めるが、紅い腰巻を輪にして、首にかけられるシーンは色っぽい。

 婉曲なる表現の美学は、kabukiでは良く使われる手法である。



 最後のどんでん返しは、見事。

 ひらりと舞い落ちるもみじは、トギタツの横たわったからだの上に・・・

 バックももみじの赤。

 この芝居は、赤を見事にまで表現している。




 今までで赤を見事に表現した映画を一作品、紹介したい。

『イン・モラル物語』

 この映画は結構・・・な部分が多いが、けして・・・ばかりには終わってはいない。

 色といい構図、筋などどれをとっても重厚で、芸術的ともいえる。

 素敵な映画の一つでありこの映画も赤の使い方がうまい。

 カブキでは『ヤグチノワタシ』や『ホンチョウ24シコウ』、『ヤグラノオシチ』などの、多くの赤が好きである。




 

 一般的に赤は血潮を思わせる。

 そのもみじがまた一つ舞い落ちる。

 誰ももみじが今人地舞い落ちたことなど、気にも留めてはいない。

 何事もなかったように、今までと変わらず時は流れる。

 なんと哲学的な芝居なのだろう・・・







 【kanzabu郎の芝居は楽しめ、厚みが魅力】




 芝居の世界では、『芝居四倍』といわれている。

 オーバージェスチャーが今流行ではない中、彼はあえて六倍であり七・八倍の大げさな仕草で芝居に挑む。

 脚本と演出、kanzabu郎さんの演じ方は一体化され、見事に私たちを楽しませる。

 彼はよくあれだけ色々な芝居を研究したものだと感心するばかり。

 



 台詞の口調をわざと崩し、一般演劇風の親しみやすさを取り入れて、kabukiに一風を巻き起こす勢いで頼もしい。

 ご子息においては、基本に忠実。

 若い間はアカデミックな芝居を手がけておられるように思われる。

 今、お二人は真正面から取り組んでおられ、その姿にはとても好感が持てた。

 もちろんソメゴロウさんも同様。

 頑張る姿はすがすがしい。






 先代のkannzabu郎さんは奴舞が上手かった。

 こと『奴風の踊り』に関しては、文句のつけようがないくらいに好きだった。


 ナカムラカンザブロウ はカブキを平たくして 世に広めたという点において、惜しまぬ拍手を送りたい。


 芝居においても世の中にあわせての流動性がある。

 これからはニーズに合わせて、色々なカブキがあっても良いのだろう。

 理論の上滑りは別として、カブキ知らずのカブキファンとしては、堅苦しいくらいの古典カブキも残していただきたい。

 芝居の『S』も何もわからず、手探りでミナミ座に通った子ども時代の小生。

 番付を読んでのあたふたしていて、ただただソメゴロウ(現コウシロウ)とタカオ(現ニザエモン)目当てで、芝居を観ていたような過去の小生が懐かしい。

 末等席が映画の二,三百円上乗せでカブキが楽しめた。

 何もわからず観ていた芝居は、今にして思えば、今よりも純粋に楽しめた気がしてならない。

 今にして思えば、悲しき事実である。
 




 カブキは娯楽である。

 もう少し開かれた気軽さが加われば、もっと観客の年齢層は若返るかもしれない。

 昔のカブキの氷河期を思い出して、『ジーパンで気軽にどうぞ』感を再度よみがえらせることが必要ではないか。

 こういった課題が、カブキが世界文化遺産に指定された今、大切だと痛感する。

 
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日記  日本現代美術館

2006-04-25 | 美術・文様・展示物
日記


  日本現代美術館




 今日日本現代美術館を見るために、関空手前に所在するりんくうタウンの行ったが、あいにく休館日。

 普通美術館は月曜が休みとたかをくくり、安易に考えていたのがまずかった。

 どうも早とちりでいけない。

 そういうとせっかく行った大英博物館は、休館日で臍(ほぞ)をかんだ苦い思い出を持つ。それと比べれば、よしとするか・・・



 現代美術といえば、パリのポンピドゥ・センターを思い出す。

 現代美術は理解の範囲内だが、現代音楽となると難しい。

 私の脳構造では、理解しがたい作品も多い。

 中には不協和音よろしくといわんばかりの気持ちの悪いものもある。

 長年において現代音楽について知人と意見を交わしていたが、知らぬもの同士の会話は、かみ合わず、一向にらちがわかない。

 十年ほど前にそれも買いけつぢき、一応胸をなでおろした。
 ・・・というのはこうである。



 現代において音楽は行き着くとことまでいってしまった。

 ゆえに、新しい曲を創作する上において、不協和音の連なりを曲として描金場、新しき制作活動は望めないのだそうだ。

 現代音楽り理も1970年後半から1980年代にかけてのロックの中には、大変美しいメロディも存在する。不協和音、これぞ現代音楽といった作品と比べると、ある意味ロックがクラシックに近い場合もあるのは不思議である。

 なんだか今日はピンク・フロイド気分になってきた。

 それでは失礼・・・
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日記  プーシキン美術館展を観る

2006-04-25 | 美術・文様・展示物
日記



   プーシキン美術館展を観る



ルノワールやセザンヌ、マティスやモネ、ボナールやピサロ・・・

書き上げればきりがない。

ロシアから持ち出し可能な中での、厳選の五十作品。

ロシアの意気込みが伝わる作品群であった。

またルーブル美術館と同じく、
ロシアのプーシキン美術館でも
『出品リスト』が出されているのであろうか・・・・

プーシキン美術館展(大阪)でも置かれていた。

ただ、ルーブル(フランス)のように薄い紙質ではなく、
かなりしっかりとしたA4サイズの紙に裏表印刷されていた。


『出品リスト』があると、気持ち的にゆっくりと作品と対話できる。



こういった心憎いほどの心使いは、
日本でもどんどん取り入れて欲しいものである。

なお、先日まで開催されていた『ルーブル展』(京都)でも、
同様に『出品リスト』を渡しておられた。






    プーシキン美術館展作品感想




       【印象主義】


『パリ、オペラ座の舞踏会』 (ジャン=ルイ・フォラン) 

 赤と黒のこなれた色彩が心憎いばかりに上品。



     【セザンヌと新印象派】

『池にかかる橋』 (ポール・セザンヌ)

 セザンヌは緑の中の緑、影の中の影の描き方が上手い。

 構図もほとんどの作品が風邪や空間を感じさせる。

 そのため、くるくると視線が画面をすべり、いつまでも見入ってしまう。

 この作品も、水面が揺れう動いていた。



      【象徴主義】

『船曳き』 (リュシアン・シモン)

 今日一番に収穫。

 素晴らしい。

 私は離れられる限り作品から離れて、この作品を見ていた。

 漁師の顔、腕、肩、脚・・

 あらゆる筋肉に力を加え、三人の男は船を曳いていた。

 右画面は海。

 海の向こうには月・・・


 私は右に動き、左に動き・・・

 前に行き、後ろに移動して『船曳き』を見つめていた。

 不思議なことに私が立つ場所を移動すると、海に輝く光はきらきらと揺れる。

 水面の輝きは波うち、光の反射は色彩さえも変化させてくれた。

 この作品に出会えて、良かった・・・・


『刑務所の中庭』 (ファンセント・ファン・ゴッホ)

 色も構図も好きだった。

 囚人たちの進行方向と、リズムのついた右上四個の窓が面白さを深くしている。

 ゴッホの不安定な精神状態を強調しているかのように感じた。

 重厚な一作品。



     【ナビ派とアンティミスト】

『室内』(エドゥアール・ヴュイヤール)

 緑使いと布質感か良い。

 ゴブラン織りが見事に表現されていた。



『洗面台の鏡』 (ピエール・ボナール)

 遠近感をかがみによって、上手く表現していた。

 ただ鏡の中にうつった女のヒップあたりが鏡から飛び出していたのは・・・惜しい。


『画家の妻・・・』『ポリフェモス』 (モーリス・ドニ)

この画家はコーラルレッドが特徴



     【マティスとフォービズム】

 ここの作品群は好きなものが多かった。

 ひとこと・・・

 素晴らしい・・・



     【ピカソとキュウビズム】

『小川』 (モーリス・ド・ヴラマンク)

 渦巻くようなダイナミックな筆使い。

 油(テレピンなど)は少ない目。

 たぶんチュウブから出した絵の具にほとんど油を加えていない。

 この作品は『ホワイト』の使い方が特徴的で、白によって水面の輝きを表現。

 遠くから見ると、油を加えたように艶があるが、近づくと絵面がカサカサしている。

 この快い裏切られ方は、快感さえ覚える。



 同じくモーリス・ド・ヴラマンクの作品『マルティーグの松林』

この作品も緑が美しい。


 モーリス・ド・ヴラマンク派セザンヌの影響を受けていることは上の二作品で充分に感じ取れた。


 ただ どの程度の影響を受けたかを確かめたくて、セザンヌ作品を再度観ることにした。


 モーリス・ド・ヴラマンクも彼らしい作品であったが・・・

 セザンヌはやり・・・セザンヌ^^だった。

 みごと!



         2006/02/22
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日記  倉敷美術館

2006-04-25 | 美術・文様・展示物
 日記


        倉敷美術館



 この美術館も何度行ったことだろう・・・

 好きな作家が並ぶ中、多くが心中にあらず。
 
 ただ、

 町のつくりを含めての作品群といったところか・・・



 古めかしい階段を上がると、

 こじんまり整えられた空間。

 作品たちの横の題と説明と、

 そしていすに座る係員の視線が妙に突き刺さる。



 耐え忍びながらも前に進むと、

 泥臭い小出楢重の女性がどろりと横たわる。



「ひさしぶり・・・」

私の声をさえぎるように、彼女は粘りついた視線を投げかける。



 私などに何の関心も示さない彼女。

 今回も・・・

「これが観たかったんだ」

と、一人納得して悲しみをこらえる・・・

                                                   2005あき
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ニニンサンバソウ

2006-04-25 | TVで 歌舞伎・能楽

 

 ニニンサンバソウ    

 

  A(マンサイ) B(ソメゴロウ)

 

  Aはニニンサンバソウの本来の特徴を見事に現していた。

 本来ニニンサンバソウとは五穀豊穣を願い、年の小さい子どもから順番に大きい子どもに変わって、成長を願って舞う。 

 後にはおめでたき象徴として、杮落としや祝いの場でも回れるようになった。 

 テレビでの説明では、五穀豊穣(稲のもみ踏み)にちなんで、舞うことを踏むと説明されていた。

  Aはニニンサンバソウを神事としてもとらえ、私たちに上手く伝えてくれる。

 次にAはサンバソウの特徴をとらえ、左から右、右から左へと散るの形で移動。 

 狂言と能の形を保ち、気品にあふれるしなやかな動きで、興味深かった。  Bの素踊りは優雅で、父親に似てきた感じがする。

 狂言師とカブキ役者は独自の世界をかもし出し。

 興味深い作品であった。   

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流星に捧げる

2006-04-24 | TVで舞台

日記


  


    「流星に捧げる」
    





    劇場への招待・知人会
    山田ta一作
    木村光一演出

    風*杜* 根gisi季衣 山*学

    楽しめ度 ★★★★☆


 面白く、楽しめる作品。
 シリアスな仲にも笑いがあり、適度な重厚さも感じられて、楽しいひと時を送ることができました。

 車椅子で大きな館に住む孤独な老人。
 インターネットへの、一言の書き込みから、老人宅に複数の接点のない若人が集う。
 キーワードは『車椅子の一人暮らしの老人』『動かない風見鶏』。
 彼らは老人を軸に話に広がりを見せる。
 現実離れした展開から人間愛への発展は、一時的にとはいえ、見る側を幸せにしてくれる。

 安部公房の『友達』との類似性を否定しうることはできないが、作者特有の明るさはこの作品を大衆に楽しませることに成功しているといえよう。

 各個の役者の特性を上手く引き出した作品であった。
 

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