乱鳥の書きなぐり

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あれ!懐かしき哉「第69回京都薪能」  「鞍馬天狗」火入れ式、「祇王」「正尊」テーマ「義経の生涯」平成30年6月2日

2018-06-16 | 能楽・狂言



   「第69回京都薪能」



 
 ファイル付きのカタログ
 子供曰く、ファイルはくれぐれも外で使わぬように。いちびりと思われるから、と。

 

 

 




「京都薪能」は,昭和25年に始まったそうです。(広報より)

 平安神宮の大極殿を背景に,篝(かがり)火(び)の焚かれる幻想的な雰囲気の中で,観世・金剛・大蔵の各流派の能や狂言をお楽しみいただける豪華な演出で,今では,初夏の京都を彩る年中行事として定着を、謳い文句にされています。


 学生時代、学校の帰りにバイクで気軽に訪れた京都薪能。

 二度きりだったが、雰囲気がよかったので、京都の大学生だった子供にも伝授。

 面白いことに、息子も学生時代に二度行ったのことだった。


 印象がいいまま長年を経過した私と子供は、今の夏、「京都薪能」を見るべく三条京阪で合流。


 タクシーで丸太町のタルトタタンの店に出向き、結構長く趣味ついて話し込んでいた。

 彼も私も、趣味には事欠かないので、お互い老後は安心だねと胸をなでおろした。

 あんれ、ま!私の場合、もう、老後に差し掛かっているという方が、正しいのであろうか?

 心はまだまだ学生プラスαなんだけど。(笑み)


 開場の頃合いを見て店を出る。

 懐かしの平安神宮の前には長蛇の列。

 日差しが暑く、かなり眩しい。

 おばちゃんの特権と勇んで日傘をさすと、子供が恥ずかしそうに俯いた。

 曲がりくねった列には色とりどりの傘が、まるで朝顔のようであった。


 かなり出遅れた感があり、案の定席は好きな場所が確保できなかった。

 中には荷物を置いて、頑なに退けない謡本を持ったご婦人もいらっしゃり、恥ずかしいことだと首をかしげる。


 私が学生の頃会場に入ると、もう少しお席が少なく、割合に自由に席を移動したり、立ったまま楽しむことができた。

 現在は席がびっちりと詰まっており、ウロウロしたり、立って見ると行った自由さはない。

 興福寺(奈良)の薪能は今でも割合に自由な部分が残されており、良い意味で素朴だ。

 入口の立て看板には
【写真撮影、録画、録音は、硬くお断りいたします(概要)】
と記されているが、能楽の上演中に主にスマホで頻繁に写真撮影しているモラルのない人々の多さに驚く。


 写真を撮ってもいい能の一部を紹介したい。

    大神神社(三輪神社 奈良)
    東大寺鏡池奉納の能(年二回、 聖武祭、大仏秋の祭 奈良)
    春日大社おん祭の奉納(奈良)
    天神祭の舟能(大阪 船渡御& 帝国ホテル)

 平安神宮や興福寺の薪能は、写真撮影は禁止されている。

 自覚して、責任ある行動を心掛けたいものだ。自分自身も他のことで人様に迷惑をかけているかもしれない。

 気をつけねばと感じた。


 会場を見ると、欧米アジアと様々な外国の方が多い。

 海外でも京都薪能は浸透しつつあるのだろうか。

 京都薪能は来年、70年を迎えるという。


 私たちは二日目(土曜日)を楽しんだ。

 この日の午前中から十五時前まで、深草にあるR大学で二講座を受けていた。

 その足で三条京阪にいそいそと向かい、子供と合流した、こんなわけだ。

 京都薪能のチケットは今回も子供がプレゼントしてくれた。すっきりしっかりとした、大人だ。


 前書きが長くなった。

 いよいよ能楽。

 二日目(6月2日(土曜日))の演目は、

    観世流能「鞍馬天狗(くらまてんぐ)」
    

  「火入式」

    金剛流能「祇王(ぎおう)」
    

    観世流能「正尊(しょうぞん)」
    



 馴染みの「鞍馬天狗」を終え「火入式」ともなると、あたりもくらやんできて、グッと気持ちは薪能気分。

 観世流のは、大変迫力があり、目を点にして楽しむことができる。

 高まる気分をほどほどに抑え、「火入式」が時始まると、カメラやスマホの人々が前にはだかり、視界を遮る。

 演技の最中も撮っておられるのだから仕方がないかと、諦める。


 ここでは狂言そのものはない。


「鞍馬天狗」、そして後に出てくる「正尊」もまたしかりだが、間狂言もそこそこに。

 大変短い間狂言に変更されていたように思う。

 その変わり、会場の皆がわかりやすいようにとの配慮からか、長いわかりやすい前狂言(とでもいうべきもの?)が加えられていた。

 この形式は、私は初めてかもしれない。

 能楽も時の流れとともに、工夫を重ねられているのか。

 天野文雄先生がおっしゃる、「能楽も演劇の一種です。」という言葉が、改めて思い出される。

 
 「鞍馬天狗」という迫力の演目の後の後の品良き「祇王(ぎおう)」

 後シテもカケリも一声もないように思ったが、何しろ楽しんでいるだけという能楽知らずの私のこと、間違っているかもしれない。


 続いて 「正尊」

「正尊」と書いて「しょうぞん」と濁音がつく。

 この曲は、私は初めてであった。

「正尊」は「安宅」(歌舞伎の「勧進帳」)を思い浮かべる場面があった。

 起請と勧進帳。歌舞伎でいう「暫」と「女暫」のようにうまく裏返されている。

 弁慶と正尊の関係も面白い。

 人数は多く、橋掛りに人や子供が立ち並ぶ。

 バッタバッタと倒し倒される。

 
 狂言の「起き上がり小法師」のように舞台を左右縦横斜めに、戦いながら転ぶ。

 倒された者は、真後ろに直立不動で

       ばたり!!

 と倒れる。

 舞台は大きな音を立て、観客はその度に、驚きの悲鳴と歓声をあげる。

 能楽では珍しい、客席歓声参加型の能楽であった。



 上にも書いたが、「正尊」は私は初めての演目だった。

 下調べもなく望んだ曲だが、非常に楽しむことができた。

 子供と一緒だったので、観世流百番集、続百番集を持参しなかったのが良い方向に向かい、好き放題に思いを巡らせて楽しむことができた。


「正尊」の内容が今ひとつ分からないので、「祇王」とともに、矜持途中に内容を把握せねばと感じている。

 目を瞑ると、三曲それぞれの場面場面が思い浮かぶ。

 奈良で見る能楽も良い。

 だが、子供の頃から慣れ親しんだ平安神宮での薪能は一味もふた味も違うもので、感無量であった。

  

 
 おなじみの「鞍馬天狗」


 今年のテーマは、義經の生涯

 義經といえば、静御前

「祇王(ぎおう)」は静御前と女が舞を舞う。

 私は舞を見ながら、今思い浮かべる?と自分に疑問を投げかけながらも、
「静か(静御前)に ただの無(忠信)」
というセリフを思い浮かべていた。

 
「祇王(ぎおう)」
 
 静御前ともう一人の女性が舞う。

 
 弁慶も出てきて、心が踊る。

 

     

1 第69回 京都薪能 ―悲劇の英雄 義経の生涯―

 (1)日時

   平成30年6月1日(金曜日),2日(土曜日)

    午後6時~午後8時45分頃  ※開場は午後5時

 (2)会場

   平安神宮(左京区岡崎西天王町)

   ※ 雨天時は,ロームシアター京都メインホール

 (3)番組

  ア 6月1日(金曜日)

    金剛流能「橋弁慶(はしべんけい)」

    観世流能「烏帽子折(えぼしおり)」

    観世流能「船弁慶(ふなべんけい)」

  イ 6月2日(土曜日)

    観世流能「鞍馬天狗(くらまてんぐ)」

    金剛流能「祇王(ぎおう)」

    観世流能「正尊(しょうぞん)」


   ※ 両日共,1曲目の上演後に「火入式」を行います。

   ※ 各曲の間に,狂言師が能の内容を分かりやすく紹介します。


     

 最後までお付き合いくださいまして、誠にありがとう存じます。

 心より御礼申し上げます。


     

 
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