乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

古典芸能への招待 「仮名手本忠臣蔵 祇園一力茶屋の場」    丈丈丈 尤尤尤 尤尤尤尤

2018年06月24日 | TVで 歌舞伎・能楽


   古典芸能への招待 「仮名手本忠臣蔵 祇園一力茶屋の場」



 テレビで、白鴎襲名披露、歌舞伎座二月の「仮名手本忠臣蔵 祇園一力茶屋の場」を見たよ。

 仮名手本忠臣蔵(通し)は馴染むの演目のひとつで、「仮名手本忠臣蔵 祇園一力茶屋の場」も、台詞や仕草を覚えているくらいに親しみを覚える場だよ。


 おかるとその兄の場は、昔でいう孝玉の組み合わせで、心がワクワクするよ。

 高校生の頃に初めて見たとても好きな孝玉だが、今は随分と演じ方や化粧も変えられているよ。

 特に玉三郎さんのお化粧は随分と変わってきたし、演じ方も形に重きを置かれ、文楽を意識してだか多少の人形振りまで海魔にられ、重厚だよ。



「仮名手本忠臣蔵 祇園一力茶屋の場」でのおかるは、いろいろな役者さんで見たけれど、特に印象に残っているのは、

    藤十郎丈
    秀太郎様
    故勘三郎さん
    七之助さん
    
 他にも雀右衛門さんや考太郎さんや他多くの役者さんで、リアル舞台でも、テレビでも見たことがあるよ。

 それぞれの役者さんの演じ方や仕草が思い出されて、舞台はいろいろな思いを巡らせることができて、楽しいよ。


 今回、兄弟の再開で兄が
「少し見ない間に綺麗になったな。ちと、兄やんに見せてくれ。」
のところで向かって兄の左のまま
「こうかいなぁ。」
とすんなり仕草は展開されたが、右に回って後ろを向き両手を広げて
「こうですかいなぁ!」
 という役者さんが多いよ。

 中でも七之助さんのその場面は美しすぎて、会場中どよめきが起こったことがあるよ。
 確か、松竹座でのことだったよ。

 
 そかし、仁左衛門丈もお年を召されたな。
 年齢を重ねられて入るけれど、仁左さんは当然のことながらリアル芝居でお上手。男前でかっこよく、素敵だよ。
 少し気にかかったのは、以前に比べて、2箇所だけ、間が長い部分があったこと。
 大好きな仁左衛門丈、いつまでもいつまでもお元気で頑張って!!!


 ところで、染五郎の時から好きな、白鴎丈
 白鴎丈が出てこられると、引き締まりまする。

 彼の台詞の言い回しは、40年前の歌舞伎を思い浮かべ、嬉しくなるよ。
 こういった言い回しをされる役者さんが減ったことは、一般的にはわかりやすく身近に歌舞伎が感じられるのかもしれないけど、さみしいことだよ。
 最近歌舞伎を見はじめられた方々で、中には彼に対して下手だという方々もいらっしゃるから、サァ!大変!!!
 いや!うまいから!!!と声を大にして申し上げたい!!!
 白鴎丈は、根っからの歌舞伎を演じられているから!!!
 好き嫌いでいうのはいいけど、変なレッテルを貼らないでと、最近の歌舞伎だけに馴染んでおられる方々に申し上げたい。
 そのように、知人が申しておりました^^か?


 七月昼夜、家族とともに見る白鴎丈と仁左衛門丈と藤十郎丈
 丈丈丈と三揃。何と気の多いことでしょう。
 丈丈丈とかけな東大寺や興福寺の僧兵たちが絵巻物で、尤尤尤と左右で言い合っている場面を思い出す。

 丈丈丈 と 尤尤尤

 どことなく文字の形が似ていませんこと?

 ウンウン
 尤尤尤 尤尤尤尤






 拙ブログにお付き合いくださいまして誠にありがとうございます。

 感謝申し上げます。

 


 


 



 




 2018年6月24日(日) 午後9:00~午後11:00(120分)

「仮名手本忠臣蔵 祇園一力茶屋の場」

 平成30年2月歌舞伎座 白鴎襲名披露

 松本白鸚  市川染五郎,片岡仁左衛門,坂東玉三郎,大谷友右衛門,坂東彌十郎,中村松江,松本錦吾,
 竹本泉太夫,豊澤勝二郎,竹本愛太夫,豊澤淳一郎,

 1時間44分00秒


 詳細高麗屋三代襲名披露の歌舞伎座二月公演から「仮名手本忠臣蔵 祇園一力茶屋の場」をご覧いただきます。37年前初世白鸚が襲名披露狂言として由良之助を演じ、孫の染五郎(現幸四郎)が力弥を演じたこの演目を今度は現白鸚と孫の現染五郎が演じます。「七段目」の由良之助は廓(くるわ)で遊ぶ色気とあだ討ちを志す忠義一途な心を両輪に勤める難役。幸四郎改め二代目白鸚の「深き心」の由良之助を堪能できる見応えのある舞台です。
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桜の候、名古屋の犬山城(国宝 室町時代 天文6年 築城者 :織田信康)を訪れる。  2018.4

2018年06月24日 | お出かけ


 犬山城  室町時代 天文6年(1537)


 

 桜の候、家族三人で名古屋犬山市の犬山城に行く。

 興福寺の室町時代の某日記を江戸時代に写したものに触れてからというもの、多少なりとも室町時代に関心を持った私にとっては、犬山城が楽しくてならない。

 あいにく、桜の見頃を迎えていたので、桜は楽しめたが、天守閣に登るには相当時間がかかるため断念した。

 別の機会を見つけて、もう一度訪れたい。その時は、モンキーセンターで遊ぼう。

 また、車道付近の本格的クビデがいただけるイラン料理のうまい店も訪れ、食事兼、少し多めのテイクアウトもしたい。

 



  ここからは写真を記録したいと思います。▼

 
 美しい犬山城。城下町の栄かたを見ると、かなり勢力があったと感じた。

 

 

 
 石垣は細やか。大きく切り出した石の大阪城とは対照的である。
 大阪城の石垣がペルセポリスを思い浮かべ懐かしむことができるので好きだが、犬山城の品の良い現代アートのような重厚さも好きである。
 犬山城の石にカドミウムイエローやダークグリーンやコーラルレッドをくどくならない程度に加えると、名前をつければ現代美術が出来上がりそうだ。

 

 
 確か、楠だったような? なんでも芝居(歌舞伎)に結びつける私は、この古木を見て、七代目中村芝翫の『藤娘』を思い浮かべる。
 七代目中村芝翫の『藤娘』の舞台に垂れ下がる藤は、他の役者にくら寝て花が少し大きめである。





 

犬山城は戦国合戦の舞台 (犬山城公式HPより引用  ▼)

国宝犬山城は、室町時代の天文6年(1537)に建てられ、天守は現存する日本最古の様式です。木曽川のほとりの小高い山の上に建てられた天守最上階からの眺めはまさに絶景。周辺には犬山城下町の古い町並みや、多くの観光施設があります。信長・秀吉・家康が奪い合い、歴史の荒波を生き残った、国宝犬山城をご覧ください。
名称
:国宝 犬山城
通称
:白帝城
立地
:平山城
天守構造
:望楼型・三層四階地下二階・複合式天守
天守の高さ
:約19m
築城年
:天文6年(1537)
築城者
:織田信康(織田信長の叔父)
廃城年
:明治4年(1871)
指定文化財
:国宝(天守)
主な城主
:織田氏・池田氏・石川氏・成瀬氏
所在地
:愛知県犬山市犬山北古券65-2



 みなさま

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