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乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

『宮大工棟梁 西岡常一の世界』奈良 法隆寺iセンター(3枚)

2012-02-12 | 美術・文様・展示物



  宮大工棟梁

         西岡常一の世界










 法隆寺iセンターで、宮大工棟梁 西岡常一の世界を見た。

 五重塔の建設方法、西岡常一氏の緻密なノートに驚く。

 西岡 常一 ウィキより ▼

 (にしおか つねかず、1908年(明治41年)9月4日 - 1995年(平成7年)4月11日)は、宮大工。

 奈良県斑鳩町法隆寺西里出身。祖父西岡常吉、父西岡楢光はともに法隆寺の宮大工棟梁。


 素晴らしい…☆



 

 

コメント (4)
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32 『日本文学全集 5 森鴎外 二』「山椒大夫」【森鴎外も岩崎武夫氏も両方理解できるネ】

2012-02-12 | 読書全般(古典など以外の一般書)


2012年  本

    30:  『日本文学全集 5 森鴎外 二』から「山椒大夫」


 

     『日本文学全集 5 森鴎外 二』「山椒大夫」【森鴎外も岩崎武夫氏も両方理解できるネ】


『日本文学全集 5 森鴎外 二』から

   「山椒大夫」    129-151
   

 集英社

 昭和48年

 


17: 『古浄瑠璃 説経集』から「さんせい太夫」 岩波 新版古典大系

18:『さんせい太夫考』から「説経序説」「さんせい太夫の構造」岩崎武夫著 平凡社選書


19: 東洋文庫『説経節』から「山椒太夫」「注」「解説:山椒太夫」昭和44年3月


『説経節』厨子王丸& 『幸若舞』信太(平将門孫)& 『説経節』小栗判官 = 重瞳、双瞳



     
『日本文学全集 5 森鴎外 二』「山椒大夫」 を読む。

『説経山椒太夫』『さんせい太夫』(岩波緑)『さんせい太夫考』では【太夫】の字が使われているが、森鴎外は『山椒大夫』というように【大夫】で現している。

 わたしの中ではイメージが異なる。

 なので【太夫】と【大夫】をひいてみることにした。



【太夫とは】日本国語大辞典より
   たい【太夫】
     1〔接尾〕(「たゆう(太夫)」の略)太夫である遊女の源氏名の下に付けて呼ぶのに用いる。
          特に京都の島原、大坂の新町で用いた。
          *洒落本・虚実柳巷方言〔1794〕下「太夫どしあるいは内にても太夫の名を呼に何太 ...
   たい‐さま【太夫様】
     〔名〕たゆう(大夫) ...
   たい‐ふじん【大夫人・太夫人】
     〔名〕(大夫人)天皇の生母である夫人、女御を敬っていう語。皇太夫人。
     *続日本紀‐神亀元年〔724〕二月丙申「勅尊正一位藤原夫人、称大夫人」
     *漢書‐王伝中「令諸侯立大夫人、夫人世子亦受 ...

【太夫とは】大辞泉より
  たゆう【大夫/太夫】
     1 ⇒たいふ(大夫)1
     2 神主・禰宜(ねぎ)などの神職の称。たいふ。
     3 御師(おし)の称。
     4 芸能をもって神事に奉仕する者の称号。
     5 猿楽座の座長。江戸時代以降は、観世・金春(こんぱる)・宝生・金剛の ...
  たゆう‐だな【太夫棚】
     江戸時代の劇場で、浄瑠璃の太夫と三味線弾きが座って、浄瑠璃を演奏した所。床(ゆか)。
  たゆう‐もと【太夫元】
     演劇・演芸などの興行責任者。本来は役者全体を監督する者をいった。江戸では座元が兼ねた。

 


【大夫とは】大辞泉より
     1 五こ大夫
         百里奚(ひゃくりけい)の異称。
     2たい‐ふ【大夫】
        1 中国、周代の職名。卿(けい)の下、士の上。
        2 律令制で、一位以下五位までの者の称。また特に、五位の通称。
        3 伊勢神宮の神職。五位の位をもつ権禰宜(ごんねぎ)。
        4 江戸時代、大名の家老を敬っていう語 ...
     3だい‐ぶ【大夫】
         律令制で、職(しき)および坊の長官。「右京―」「東宮―」

 




 岩崎武夫著の
『さんせい太夫考』から「説経序説」「さんせい太夫の構造」
がきっかけとな読んだ「山椒大夫」は、なつかしいものだったし、小説としては面白いと感じた。

 だが、『さんせい太夫考』にあるように、『説経山椒太夫』『さんせい太夫』などの説経節という伝統芸能から考えると、ちがうものだった。

 気になった部分がいくつかあった。

 その一部を短くメモしておきたい。



     残酷な場面が削られている          → 【死と再生の境界】が減る、或は曖昧
                              山椒太夫のこども三人の意味をなさないような気がするのですが…?

     四天王寺(説経節 伝統芸能にとっての立地条件)→  清水寺(清水さんにも『境界』という意味を持つ滝があるが、説経節なので…)

     当時の奴隷制度に対しての知識が翻訳調で長い →  兄弟二人のつらい境遇がぼやけているような気がするのですが…?
                              兄弟二人の無邪気さを示す部分がいくつかある



 あまりにも『説経山椒太夫』『さんせい太夫』と根本的な部分が違うので、わたしは、森鴎外がどうしてあえてこのように内容を変えて小説にしたを考えてみた。

 死と再生を考え語られた説経節 は、四天王寺やその周辺に身を寄せる癩病者やなどが聞くことにより、自分の生まれ変わり、再生を願ったという。

 あれほどの無情な体罰や復讐は、わたしたちにとって小説として読んだり聞いたりするのはあまりにもつらい。

 多くの人びとが読む小説作品を世に出すこという鴎外の配慮ではないかと感じた。
 

 森鴎外の「山椒大夫」を読み続けざまに「じいさんばあさん」「最後の一句」もたのしんでいた。

 鴎外の「じいさんばあさん」は男目線ではあるが、とても素晴らしいキレのある短編で、好きになった。

「じいさんばあさん」などの素晴らしい作品から考えると、小説「山椒大夫」は 『説経山椒太夫』からあえて切り離して作品化したのだろうなと勝手なかいしゃくをしてしまう。


 ただやはり『説経山椒太夫』『さんせい太夫』の意味から考えると、岩崎武夫氏のおっしゃっていることは正論で理解できると感じた。


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