2007年にイスラーム巡礼 岩波新書 新赤版677を読んだ時、一枚の挿絵に出会った。
当時 それはなじみのある日本の鉾や御神輿に余りにも類似していると感動したものだ。
今回大阪の天神祭の由来を調べて神鉾を流すといったことに疑問を感じたが、朝から「みそぎの際、人々は船を仕立てて奉迎。それが天神祭の始まりだとさ。」を記録し、その後ずっとそれに付いて考え続けていた。
もしかすればこれはやはり鉾だったのかも知れないと・・・。
以前民俗学の本何冊かに鉾の話が出ていた。
鉾の上には笹が突き出ており、カマ等が付いたものもある。
カマは土葬の際土だんごとともにXにして死体の上にさしたのだとまた別の本に書かれていた。
一説では悪霊遮断等境界の意味もあるが、また別の説では犬が掘り起こさないようにといったことも考えられるという。
刀などは古墳のまわりに祭儀用に置かれていたとも伝えられている。このことから考えると、わたしが思うだけだが、カマは「死と再生」にも関係するのではとも感じられるが、全くの妄想である。
「死と再生」でいうと、古事記には奇形の故を流し再生を願い、新たに子を得たとある。イザナギ、イザナミのみことの話である。
神鉾はこの再生とも関連しているのかもしれない。
元々みそぎはほとんどの場合この再生のパターンに当てはまらのではないと考えられるのではないだろうか。
考えは全くまとまらなく頭の中を堂々巡りする。
イランのアーシューラーに置ける生け贄は大地を汚してホセインの再生を願う。
一つ目小僧は選ばれた次の生け贄に印を付けるため片目をつぶす。
英雄の死と再生に置ける伝説と英雄化。
そういったものがまとまりなく頭の中を回転するが、わたしにはまとめる力を持ち合わせてはいない。
だが、わからないままに自分也に妄想しとらえようと遊ぶのは楽しいものだ。
おそらく間違い浜逃れないだろうが、正しい事実に出会うまで、自分の中で楽しんであたためておきたい。
これからもゆっくりのんびりと遊びたいものだ。
みそぎの際、人々は船を仕立てて奉迎。それが天神祭の始まりだとさ。
天神祭川沿いの夜店
天神祭橋上の提灯。
源八橋の真ん中には道切りのように綱が張られたところが二ヶ所。
これは一体なんなのだろうか?
写真は橋中央の道路を挟んだ向こう歩道川。ぶれていて、ごめんなさい。
船能だけとはいえ、昨年初めて見た天神祭。
ネットでではありますが、謂れを調べてみました。
天神祭は大阪天満宮の神事です。
大阪天満宮は子どもの中学受験のおりにおまいりしたことがあります。
天神祭は菅原道真公をお祀りするされ、1000年以上続くそうです。
天満宮の御鎮座の翌々年(951年)、社頭の浜から神鉾を流したそうです。
そして、流れついた場所に斎場を設けました。
みそぎを行った際、人々は船を仕立てて奉迎。それが天神祭の始まりだそうです。
ここで疑問が二つ生じてきました。
1 みそぎは元々神鉾といった形だったのでしょうか?
2 みそぎは具体的に何処に流れ着いたのでしょうか?
ネットのみで調べたわたしは目こぼしが多いせいか、上二つは未解決のままです。
元々は古い形のみそぎであった可能性も全くないとは言えないので、調べると面白いのではないかと・・・、そんな素朴な妄想に陥るのです。
24日早朝太鼓で幕開け。朝には鉾流神事で天神祭は本格的に始まります。
しかしながら船能しか見たことのないわたし。
本来の祭を見てみたいのですが、こう暑くてはわたしには無理です。
今日の天神祭は本番で華やかと、出会った方々に教えていただきました。
気持ちは行きたくってうずうずしているのですが・・・。
そんなこんなで、天神祭の由来を簡単に調べてみたのでした。
どんとはらい
最後までおつきあい下さいまして、感謝申し上げます。
写真 2010年7月24日 天神祭
大阪天満宮 天神祭
4:00
一番太鼓
7:45
宵宮祭
8:30
鉾流行列参進
8:50
鉾流神事
11:00
行宮祭
12:00
天神講獅子 獅子舞
16:00
催太鼓氏地巡行
16:30
どんどこ船宮入 鉾流神鉾奉還
18:00
水上薪能
18:40
催太鼓宮入
19:00
獅子舞宮入
18:00(7/24,7/25)
タイ国ロイクラトン祭
13:30
本宮祭
14:30
神霊移御
15:30
陸渡御列出発
17:30
船渡御列出発
18:00
船渡御
19:00
船上祭
19:00~21:00
奉納花火
20:30
催太鼓の宮入開始
22:30
還御祭