日常

調和

2010-09-21 19:35:55 | 考え
岡潔「春宵十話」
『数学の目標は真の中における調和であり、芸術の目標は美の中における調和である。』


生命は、いのちは、調和を保っている。

健康というのは、調和の状態を言うのだと思う。  
病いというのは、その調和が、均衡が崩れた状態を言うのだと思う。  

健康と病いの間をつなぐものが自然治癒力。
自然治癒力は、調和がとれた全体性に戻っていこうとする、生命の傾向のことを言うのだろう。 


人に湧き起こる感情も、全体の調和にとれた状態へ行くために必ず必要なもの。 
湧き起こる感情は、均衡が破られたしるしのようなものでもあるし、別の均衡をつくっていくためのはじまりの合図でもある。  


生命それ自体が、全体性や均衡への、調和への傾きを持っている。 
色んな物事で均衡が崩れても、さらに別の大きな大きな均衡へと移ろうとする。  
だから、人はたやすくは死なないのだろう。


生命。いのち。

生命は、それ自体が、全体性や均衡への傾きを持っている。 
調和を保つ自律性を持つ。


人は生きている以上、必ず、生命を持つ。いのちを持つ。
生きている以上、必ず調和や均衡へ至るものだ。 


脳がいろんなものに毒されようとも、生命は、生命自体の自律性を持って生き続けている。
生命は個人の中で均衡を保とうと、日々自律性を持って働いている。 
 
 
個体、時間、空間・・・・を越えて連続する生命。
それは、「いのち」とも呼ばれる。
だから、「いのち」は永遠に続くという言い方が成立する。



脳の中にある意識という機能を利用して、自分の中に散らばっているエネルギーを一点に集中してみる。方法は何でもいい。

すると、そういう深い場所にある生命の自律性に気づく。 
それを、「たましい」と呼んでいる人もいるかもしれない。
本当は、名前はなんでもいい。それでもいいし、あれでもいい。


生命は、色んな物事を分離したり拒絶することを求めてはいないのだと思う。
生命は、全てを受け入れ、包み込み、その上でさらに大きなバランスを保ちたいと願っているのだと思う。



調和は、和の調べ。


この世はとかく騒がしい。
ただ、和の調べを静かに、静かに、静かに耳をすまして聞くと、
自然と聞こえてくるものがある。

それが、生命そのものの音なのだと思う。

4 コメント

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病気にはめっぽう弱いです。 (imura)
2011-01-03 17:28:43
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。
緑の資本論、まだ途中です。読んだら書きこもうと思っていたのですが、中途半端ですみません。。

>生命は、いのちは、調和を保っている。

僕は、同時に、奇跡でもあると思っていて、「鞍点」のようなものだとも思っています。
http://mathweb.sc.niigata-u.ac.jp/topic/saddlept.html

x軸から見るか、y軸から見るかで、バランスは取れているけれども、危うさの感じ方が全く違うというか。。
「当たり前」かもしれないが「たまたま」かもしれない。その逆かもしれない。

だから。。
ちょっと熱出ると、もう死ぬかもしれんと思ってしまいます。笑

また、僕の尊敬する方からは、株はscienceとartだ、と教えて頂きました。岡潔さんの言葉を知ってて教えられたのかしら??と思ってしまいました。
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鞍点! (いなば)
2011-01-04 20:45:11
>>imuraくん
あけおめの、ことよろです。(ギャル風。上の世代から、日本語が乱れてイカン!と言われますね)

思い出したように集中的に書きこんでくれる季節が来たって感じですね。笑
よくもまあ、こんなにも字が多くて読みにくいブログを丁寧に読んでもらって。嬉しい限りです。そういえば、昔ImuraくんがやってたHPは、さすがにもうやってないかもだけど、ブログとかはやってないの?金融関係の仕事は、そんな暇ないかなぁ。

緑の資本論、けっこう難しいよね。でも、イスラム金融って面白いと思うのよね。利子とかないし。きっと、いまのアメリカ型資本主義がいづれぽしゃると思うので、金融のプロの方には、未来に向けた新しい修正資本主義を頑張って追及してほしいのです。いまの社会は格差が広がりすぎじゃない??

・・・・
「鞍点」、いいねぇ。僕もイメージ(映像)ではこんな感じだよ。
シーツをひっぱったとき、そこにビー玉が落ちていって、あるとこで安定点を見つけて安定する感じをイメージしてたので。
でも、この鞍点は数学的にもすごく面白そうだねぇ。
『微分すると零なのに、鞍点は谷底ではないので極小でなく,また丘の上でもないので極大でもない』ってのが、自分の世界観ともすごくあうし!いいご指摘、ありがとうございます。

『株はscienceとartだ』。これって、医学もそう言われるよ。科学的な知識と、技術的なもの、そして芸術的なセンス。こうした、いろんなものとの鞍点のような場所にこそ、大切なものがあるんでしょうな。そこで常にバランスを取り続けないといけないんでしょう。岡潔さんの本も、おすすめですよ。そんじゃそこらの数学者とは違います。
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ありがとうございます! (imura)
2011-01-09 00:33:48
ブログもtwitterもやってないんです。。
ちょっとやってみようとしたこともあったんですが、自分から書くことって、あんま、ないなーと思って続きませんでした。。暇はあるので、いなばさんのようにがんばっている方には申し訳ないなぁと思ってます。。

やはり色々なところで、scienceとartなんですね。調べたり計算しまくったりして、最後は勘とか、適当にアイディア出しまっくて、後から検証とか順番はわかりませんが、バランスを取るのは大事ですよね。。岡さんも見てみます。

。。。
格差を生み出すような資本主義からの脱却、現在の日本ってすでにその段階に入ってるんじゃないかと思いますね。ある意味、世界に先駆けているというか。。
最大多数の最大幸福って概念が受け入れられているのか、社会福祉費をもらうことになれてしまったのか、石橋を叩いて渡るのが好きだからか、かと思ってます。

。。。
国家の財政は「国家」というハコとして「何が正しいか」で動いてほしいですが、日本経済全体は、世界経済が「どうなるのか」を先駆けて、取り組む姿勢がいいのかなと思ってます。

「空気」の研究、少し読ませて頂きましたが、自らの行動に裏づけを作るように「空気」を利用する(言い訳)のではなく、相手に働きかけるというか、自分のやりたいように「空気」を作るのが必要ではないかと思ってます。ま、平たく言うとキャラ作りっすかね?笑

国(資本主義)と空気の話を続けて書いたのは、仕事をしてて、空気(情報)を誰よりも早く色づけしたときが儲かりますし、また、変な空気を壊したときはもっと大きなことが出来るなぁと思いますので。
日本はその空気が自分に不利でも空気に合わせるのは、すごく上手だと思いますが、色づけと壊し方はあんまり上手くないんじゃないかなぁと思ってます。農耕民族だからっすかね?

ま、そのために、だからこそ、日頃「空気」を読もうと一所懸命になってます。ま、単なるビビリですね。笑
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山本七平 (いなば)
2011-01-11 20:28:40
>>>imuraくん

ブログもtwitterも、自分は止むに止まれずにやっているだけで、あんまりがんばっている意識は自分の中にはないんだけど、まあ自分の中にエネルギーが枯れ果てたら、自然に何も書かなくなると思います。笑

最近は、言語に書き起こす事そのものが思考プロセスになることが多くて、思考するために書いているようなところがあります。
もちろん、普段からふと考えることはあるけれど、あくまでもモヤモヤしたままなんだよねぇ。

もやもやさまーずってテレビ東京で散歩番組やってるけど、あんな感じでモヤモヤしたままダラダラと散歩したり寄り道しながら普段は考えている感じ。

<science&art>ってのは、理論と実践とか、まあ常に振り子運動するために大事な考えだと思うよね。
脳とか身体のクセのようなもので、やっぱどっちかに偏る傾向にあるので、常にバランスをとらないといかんのだろうし。


山本七平の「空気の研究」は示唆に富んでて面白いよ。
ここにも時々書きこんでくれる、ともこさんから教わったんだけどね。
日本が戦争に向かったのも、責任がない『空気』のせいにしたり、そういうのって、大学病院でも官僚的な役所的なシステムの中でも、ふんだんに使われている常套句な気がしますね。ある意味、それは個人を守る知恵だったのだろうけど、単なる無責任開き直り主義に悪用されがちなもので。

「空気がよめない=KY」っていうのが流行語になること自体、そんな『空気』の存在は誰もが感じている事なのでしょうしねぇ。不思議なもんです。
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